◆ 354・日常の音と音楽No.1
板東 浩
吉岡稔人

はじめに
 我々は従来、代替療法の領域で音楽療法について記述し、心理学的な側面や社会的な側面からさまざまな例について記載してきた。
 今回からのシリーズでは、普段、生活している我々を取り巻く音や音楽が、どのような場面で使われているのか、考えていきたいと思う。これらは意識している場合もあり、逆に意識しないレベルで音が活用されているのも含まれる。
 本稿では、最初に、歴史的に重要な2項目を解説した後、様々な例を紹介しながら、解説していきたい。

1。音楽療法の実証「ダビデ」
 音楽療法の領域で、音楽が心に働きかけて健康にさせるというエピソードが、長年にわたって知られ伝えられている。それは、旧約聖書(サムエル記、16章23節)の中にある。主人公は、勇敢な兵士として知られているダビデである。義理の父であったサウル国王が、心の病(うつ状態)で悩んでいた。そのとき、ダビデによる竪琴の演奏によってサウル王の心が和み、病気が癒されたとの記述されている。竪琴から放たれた澄んだ音色は、王だけではなく、家来の心にも染み入るように、和ませたという。
 ただし、この話は陽の部分を捉えていて、陰の部分もある。そもそも羊飼いのダビデが、王サウルに仕え、実力を認められた。3mもの巨人を相手に、紐の先に石を結んだ紐を振り回して敵の眉間に命中させたりするなど、活躍はめざましく、優れた人格者でもあった。そのため、後に、ダビデを妬んだ王サウルは刺客を放つことに。ダビデはイスラエルへの愛国心に燃えながら、サウルと戦ったのだ。そして、ダビデは統一イスラエル王国を建国し、ダビデはイスラエルの危機を救った救世主とされたのである。
 さてここで、若干話がそれるが、ごく簡単に旧約聖書のアウトラインを示しておこう。旧約聖書は39の書から構成されている。最初の5つが律法(モーゼ五書)と言われるものであり、
1)創世記(天地創造から、ノアと大洪水後、全世界の民族について)
2)出エジプト記(モーゼに率いられシナイ山で有名な十戒を受ける)
3ー5)レビ記、民数記、申命記となる。
  次いで6-17番目が「歴史書」であり、
9)サムエル記第1(ダビデ王国の成立)
10)サムエル記第2(エルサレムに首都、ダビデの生涯)
 18ー22)が「詩の書」で、 23ー39)が「預言書」である。
 この中で、1)と2)がよく知られており、映画で「モーゼの
十戒」や「The King of Egypt」などがあり、最初はエジプトでの話となる。
 なお、ダビデについて、かの有名な「ダビデ像」の経緯を説明しておく。ミケランジェロが10歳の頃、フィレンツェの大建築物やその彫刻物に触発され、ロレンツォ・デ・メディチと出会う。これが芸術家としての出発点だ。当時、富豪でフィレンツェの実質的な支配者であったロレンツォはミケランジェロの才能を高く評価し、宮殿に住まわせる。26歳の時、フィレンツェ政府からの依頼で、巨大な大理石の塊から約3年かけて彫ったものが、高さ434センチの巨像「ダビデ像」であり、アカデミア美術館に安置されている。また、バチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画や、最後の審判の制作を始めるまで、ミケランジェロはメディチ家の栄枯盛衰と共にローマに行ったり、フィレンツェに帰ったり繰り返していたという。
 ここで、ダビデ(Davide)の名前は、英語圏の中でDavidとなっており、聖母Mariaの名前からMaryに派生したのは、御存じの通り。また、メディチ(Medici)家はそもそも薬(medicine)の販売で財をなし、銀行家・政治家となり、ルネサンス期の芸術振興や芸術家の庇護という役割を果たした。家紋には5個の丸薬が表わされ、内科や医学(medicine)にも通じてきている。
 このような聖書や欧米の文化・歴史の概要を把握していることは、音楽や音楽療法について評価し判断する際に、必要となってくるだろう。

2。音楽療法における理論「同質の原理」
 音楽療法の領域で、理論と実践の内容は多岐に渡っている。音楽療法に含まれる様々な理論の中で、唯一と言ってよいほど広く受け入れられている理論がある。それが「同質の原理(iso-prinsiple)」である。音楽心理学一般にも通じる大原理であり重要なものであるので、概説しておきたい。
 本原理は、アメリカの精神科医アルトシューラー (Ira・M・Altshuler)によって提唱されたものである。1940年代に、アルトシューラー博士が米国の精神病院で勤務しているとき、食卓音楽の曲目や特徴について
考えていた。そのとき、最初に始める曲は、彼らのテンポと気分に合わせる必要があると経験的に感じたのである。言い換えれば、心の状態と同質の音楽からスタートすると、クライアントが気持ち良く、スムーズに行動に移ることができるのだ。
 博士は実際に「同質の原理」を適応し、クライアントの反応を観察した。つまり、適切な音楽を用いると、精神病患者の反応が促進されることを見いだした。うつ病の患者では、ゆっくりしたアンダンテのテンポに刺激されやすく、逆に、躁病の患者は速いアレグロのテンポに刺激されやすいことを明らかにしたのである。
 これから展開して、近年「同質の原理」は次のように、実際に活用されている。すなわち、クライアントが憂鬱な状態の場合、まず心を落ちつかせるような静かで心をいたわるような音楽を聞かせてみる。すると、その音楽と心の状態が同調してくる。引き続いて、次第に明るい雰囲気の曲に替えていくと、スムーズに気持ちが切り替えられていくだろう。この場合に、憂鬱な状態を、直ちに元気な気持ちに変えようと、いきなり快活で明るい曲を聴かせるのは、良い方法ではない。
 この原型は、古くギリシャの哲学者の一人、アリストテレスが唱える「カタルシス」に認められる。つまり、彼は悲哀の感情が悲劇とその音楽を過剰に体験することによって解消されることに注目し、「精神のカタルシス」と唱えた。これを参考にして、アルトシューラーは好ましくない感情から離脱するためには、まずその感情に共鳴し受け入れる音楽に接してから、次第に快活で心を鼓舞するようなムードの音楽に変えていく方法を提唱したのである。
 以上をまとめると、まず「同質の原理」を把握しておくことが肝要である。次に、それを現場で用いるには、個人・グループの音楽療法のセッションで、クライアントの雰囲気や状況を理解し、最初は同質の音楽から導入していく。そして、適切な選曲やリズムを駆使して、異質の音楽に持っていき、クライアントの心を変容させていくのである。概して、統合失調症(精神分裂病)ではリズムが速い傾向にある。そううつ病のリズム感については、躁状態では速く、鬱状態では遅い。

3。身の回りに溢れる音楽
 我々が毎日、通常の生活を送っているとき、実は音や音楽に囲まれているのを、実感しているだろうか?
 朝起きると流れてくるのが、ニュース番組でオープニングのテーマ音楽。通学や通勤のために家を出ると、その街に特有の生活の音、交差点の信号の音や音楽が聞こえてくる。駅のホームでは、放送の声や発車前のブザーや音楽など。たとえば、東京の山の手線では、各駅に由来があるテーマ音楽が流れている。
 オフィスでは仕事をしながら、邪魔にならない程度のBGMがかかっていることも多い。仕事が終わり帰宅途中でアーケード街や繁華街を通ると、小気味が良いリズムの音楽が流れていたり、いろいろな音が重なりあったりしている。
 自宅でくつろいで、テレビ番組を見る人も多いだろう。ドラマにでは雰囲気に応じてBGMが挿入され効果を高めている。コマーシャルは90秒間に6個あり、この頃は音量が大きい。これが気になる人もいれば、全く無頓着な人もいる。
 以上のように、普通に生活をしていても、否応無しに、あらゆる種類の音や音楽に、私達の身体と心がさらされていると言えよう。

4。能動的または受動的
 ここで、考えてみたいことがある。これらの音や音楽を能動的に聴く場合、自ら聴く意志があるので、「listen」と言える。自分で好みの曲を選んで聴いたり、そのときの気分に応じて、内容を変えたりするであろう。音楽家が特定の音楽を聴くのは分析したり、学術的な目的で仕事として聴いている。一般人が聴く理由としては、好きだから、聴きたい気分だから、気晴らしのために、などが挙げられる。また、読書をしたり、コンピュータでキーボードをたたきながら、自分が快適と感じる音楽を流し、環境作りの一つとして適用することもある。
 逆に、特に意識をせず受動的に聞く場合、単に耳に音や音楽が流れ込んでくるので、「hear」である。聴くのではなく聞こえてくるのである。
 絵画を例にとって、考えてみよう。人物像の場合には、中央に人物があり、その周囲に背景がある。名画「モナリザ」の人物の後ろには、やや暗い雰囲気の景色を配している。これが暗いから良いのであって、もしこれが極彩色で際立ってしまったりすると、中心人物のモナリザが魅力的でなく、くすんでしまう。背景(バックグランド)は、と主人公が引き立つために、重要なのである。
 絵画のように、音楽も同様のことが言える。受動的に聴く場合が、日常生活の中で頻度が多いだろう。BGMがかかっている場所として、ホテルのロビー、レストラン、オフィス、病院の待合室などが挙げられる。
 これらは積極的に聴くことを目的としているのではなく、あまり意識されないレベルで、受動的に聞き流してもらうものである。つまり、芸術用でもなく、鑑賞用でもなく、「聴覚的なバックグランド(背景)」であると言えるのだ。

5。BGMについて
 BGMは聴覚的なバックグランドであるので、むしろ前面に明らかに出てきたり、注意をひいたりするのは、適切ではない。実際には音は人の耳に届いている。従って、音の信号と刺激は、外耳から内耳を通り、聴覚神経を通じて脳の聴覚野まで届いているはずだ。しかし、情報が処理されても、無意識のレベルで行われるのが好ましく、その人に意識させたり、音に注意を集中させてしまうのは、本来の目的には含まれていない。
 通常用いられているBGMの特徴について、下記に示してみよう。
 1)テンポは割合ゆっくりしている。
 2)リズムは、3拍子よりも2または4拍子が多い。「テイクファイブ」など5拍子の曲や、7拍子など変拍子や合成拍子の曲は適当ではない。どうしても奇異に感じてしまいからである。
 3)旋律は、あまりに大きく速い動きがあるのは適切とは言えない。よく見られるのは、4拍子の曲で、3拍+1拍というリズムで、メロディがゆっくりと動く曲である。このパターンで作られた楽曲は、比較的BGMとして、多くの人に受け入れられやすい。
 4)和音については、協和音がある程度多く含まれるものがよい。ただし、和音の進行によって、緊張感を醸し出すために、多少の不協和音は必要だ。しかし、専門的な内容として、7thコードは大丈夫だが、ジャズで使用されるような、10thコード(ド、ミ、シ♭、ミ♭という和音)や、13thコード(ド、ミ、ソ、シ♭、レ、ファ♯、ラ)などの複雑な和音は極力少ない方がよい。
 以上のような特徴を有し、しばしば用いられている音楽は、バロックから古典、ロマン派ぐらいまでのクラシック音楽である。また、ポピュラー系の音楽も、比較的これらの特徴を持つので、BGMに頻用されている。
 BGMの目的については、下記の3項目にまとめることができる。
 1)イメージ誘導効果:
 BGMの存在によって、その場所に対する印象を良くし、落ち着きや高級感を醸し出す作用がある。具体例としては、一流ホテルのロビーには、低音量ながらBGMが流れている。会社のBGMは職員のためでもあり、来訪者のためでもある。その雰囲気で、良いイメージを持ってもらうためだ。
 2)感情の誘導
 この効果は大きく2つに大別できる。一つは、弛緩・沈静効果であり、緊張を緩和したり不安を和らげる働きがある。具体的には、病院の待合室のBGMは患者に不安を和らげる目的がある。オフィスのBGMは社員に対してストレスを少なくさせる目的がある。
 他方は、喚起・覚醒効果であって、仕事や会議の際に、雰囲気に飽きを感じて、眠気が来ないようにする作用がある。
 この2つの作用、つまり弛緩・沈静と喚起・覚醒は確かに逆の働きとなっている。しかし、同じ被検者に同じ曲を適用したとしても、TPOに応じて、いずれかの作用が主に働くのである。
 3)聴覚的マスキング:
 周囲にある不快な音や機械から発する音などを打ち消すために用いられる。ある雑音があるときに、その周波数に近い周辺の音域(帯域)の音を出すことによって、その雑音を聞こえなくする方法である。雑音を全く消去させるのは難しいので、別の音で隠すのだ。あまりに音量が大きすぎると、会話を聴き取るために用いている音楽が、逆に邪魔になってしまうこともある。
 参考として、最近開発されている方法を紹介する。高速道路から出る車の騒音が問題となり、その解決策が模索されてきた。雑音の音波を瞬時に解析し、その位相を逆にした音をスピーカーから出すことによって、騒音を消す試みがすでに行われ、効果を上げている。 

6。医療におけるマスキング効果
 マスキング効果を狙って、医療の中でもいろいろなTPOで応用されている。
 BGMが最も効果的と実感できる場合が、歯科医のクリニックである。必ずBGMが流れているはずだ。さもなければ、その歯科医を受診する患者が激減してしまうだろう。それほど、歯を削る音は嫌なものであり、音をきくだけで、気分が悪くなってしまう患者も少なくない。
 つまり、歯科医は口にマスクをしているが、同時に、患者の耳にもマスクをかけ、不快な音を患者の耳に届きにくくしていると言えよう。
 また、医療の中では、検査の中でマスキング効果が使われている。CTやMRIの検査の際に、あの狭い空間に閉じ込められ気分になり、機械的な音がガチャガチャと続くと恐怖感さえ生じてしまう。このときのBGMで、ほっとするものだ。
 さらに、内視鏡検査など、検査内容を考えるだけでおびえてしまう検査でも、部屋に心地よいBGMが流されていると、気分は楽になる。
 外科医の仕事場である手術場(Operating Room, OR)は別名、シアター(theater、劇場)とも呼ばれている。確かに、適度な音楽があるとコミュニケーションも和やかになり、メスさばきも良くなり、手術もうまくいくであろう。

7。BGMの効果は?
 近年はEBMの時代だが、BGMの効果は検証可能なエビデンスを得られるだろうか?
 前述した1)イメージ誘導効果については、BGMがある場合とない場合で、アンケート調査が可能だろう。2)聴覚的マスキングでは、オシロスコープでの波形を分析し、被検者が聞こえたかどうかを検討することもできる。
 問題は3)感情の誘導である。BGMを聴取して、弛緩・沈静効果または喚起・覚醒効果が得られたかどうか、を検定できるだろうか?
 従来、特定の音楽や好みの曲の聴取後、感情や気分の変容を、POMS(Profile of mood states)などを用いた報告がみられる。
 確かに、音楽によって、一定の感情が喚起されることは証明されてきている。しかし、ここで注意するべき点がある。つまり、実験の条件は、静かな部屋で被検者が音楽を聴取するものだ。通常は聞き流しているような音楽でも、そのときは、意図的に音楽に集中させる。音量が通常より大きかったり、常に使わないヘッドホンを装着している。これらは通常にBGMを聞く状況とは異なっており、BGMの効果を評価する方法については、今後の検討課題となるだろう。

おわりに
 本稿では、音楽療法の基礎に重要な事項として、ダビデのエピソードと同質の原理、BGMについて概説した。次回は引き続き、人を取り巻く音・音楽について、述べていきたい。

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