◆ 351・音楽療法の基盤No.3

板東 浩
吉岡稔人

はじめに
 本稿では、音楽療法の基盤について記述してきている。初回は出生前の胎児の時期について考察し、音の解析方法、ヒトの進化と音、音楽、芸術、ヒトと音との出合い、胎児とモーツァルト、胎教のコツなどについて触れた。
 前回は出生後の時期について、最初に聞く音、新生児・乳児の聴力、マザリーズ、子守唄による郷愁、幼児からの発語、モノ・ヒト・自分という3者の関係などを概説した。
 今回は、幼児から学童期について、シュタイナーの人智学などを含め、論を進めていきたい。

1・シュタイナー
 ドイツの教育学者かつ心理学者として知られているのが、シュタイナー(Rudorf Steiner 1861-1925)である。彼は自然科学と精神科学を融合させ、生命化した人智学(アントロポゾフィー)を樹立し、教育や医学、芸術、農業、社会論などの分野に大きな業績を残した1)。
 彼はオーストリア=ハンガリーのクラリエベック(旧ユーゴスラビア領)に出生。スイスのドルナッハに、コスモポリタニズムに基盤を置く普遍アントロポゾフィー協会(一般人智学協会)を設立し、この地に眠っている。
 研究領域は幅広く、著書の中には「仏陀からキリストへ」、「釈迦・観音・弥勒とは誰か」、「ルカ福音書講義」などの神学関係書も多い。そのために、神々や霊という視点からの内容だと指摘する人もいる。一方で、著書「健康と食事」など、健全な現実感覚を有しながら、人間の自由や尊厳を重要視している姿勢も見受けられる。
 本シュタイナー派の流れは、世界各地に存在するシュタイナー学校や農場、医療に関わる治療施設の共同体などに、今も受け継がれてきている。

2・アントロポゾフィー(人智学)
 シュタイナーが提唱する教育理論は、アントロポゾフィー(anthroposophie, 人智学)と呼ばれている。その中で、知性と感情と意思のバランスのとれた人間を育てることが本当の教育であり、人間の誕生、成長の段階を見通しながら、7歳までが意思、14歳までが感情、その後、思考という順序で教育が進められるべきだ、という。

人智学の語源について、下記に英語で示す。
anthroposophy    人智学
anthropology     文化人類学
anthropometry    人体測定学 
anthropozoology   人間動物学
anthroposomatology 人類生体学

 このようにanthropoが人間の、人類の、という意味であり、sophiaは哲学や智恵という意味だ。Sophia Universityは上智大学、SophiaLorenは女優、Sophie's Choiceはソフィーの選択(映画と書籍名)である。日常会話でSophisticatedという単語を使える人は、英語力が相当だろう。上品な、おしゃれな、洗練された、知的な、賢明な、粋な、教養人向きの、高級なという意味で、まさに智を好む(philo+sophy)人物と考えられる。

3・幼児における音楽
 シュタイナーが唱える理論の中で1)、音楽に関わる記述を抜萃してみよう。音楽には3つの要素があり、第1はメロデイ、第2はハーモニー、第3はリズムである。人間にとって、メロディは頭脳にいちばん作用する。2番目のハーモニーは呼吸に作用し、リズムは、手足の運動や血液の循環、物質代謝を左右すると、述べている。
 シュタイナー派では、音楽について、発育段階に応じて推奨する音楽の内容を分けているのが、興味深い。つまり、幼児の音楽、幼児から小学校3年まで、大人の音楽、と3つに分けて論じているのだ。幼児の音楽は、レから5度下方のシラミレの4つの音からなる瞑想的な音階を使い、幼児から小学3年には、ドとファのない長音階のペンタトニック(pentatonic 五音音階)やファのない長音階(hexatonic、六音音階)を奏でるとよい、と独自の論が展開されている。
 また、当時、彼は「幼児がピアノに触れるのは発育にとって好ましくない。」「電気回路を用いた楽器や録音再生も心身の成長の障害をもたらす。」、という説も述べている。
 前者については、おそらく、幼児がストレスフルな鍵盤の練習するよりも、心豊かに歌うほうが大切だ、という意味なのであろう。後者については、シュタイナーの凄い予知能力と感じる。というのは、筆者を含む多くのピアニストや音楽家が感じていることがあるからだ。ピアノや生の楽器の音は数時間聞いても大丈夫だが、電子楽器の音をしばらく聴取すると、疲れを感じる。電子音と成長については、後でも触れたい。

4・興味深い音楽の解釈
 また、シュタイナーは広い知識と鋭い感受性を合わせ、下記のような興味深い記述がある。音と惑星との関係は、ド:火星、レ:水星、ミ:木星、ファ:金星、ソ:土星、ラ:太陽、シ:月であるという。なお、シュタイナーの幼児教育では、戦いの星である火星(Mars)の音(ド)と恋愛の星である金星(Venus)の音(ファ)は幼い子供にはまだ早いという理由で、レミソラシの五音音階を使用している1)。
 これらの解釈と評価は簡単ではないが、自然科学、神学、言語の発音や意味などのファクターが絡み合うことで、このような解釈をしたのではないか、と筆者は思う。彼の概念には、科学的なものとそれ以外のものとが混在しているが、1920年代に、将来起こりうる社会現象を予知していたことに驚かざるを得ない。

5・音楽による心身の成長
 シュタイナーが述べた興味深い論点がある。それは「電気回路を用いた楽器や録音再生も心身の成長の障害をもたらす。」という記述だ。これについて、いくつかの側面から考えてみたい。

1)音質の見地から
 シュタイナーが論じた当時は、おそらく録音された音楽には雑音が含まれ、再生された音質もそれほど良くなかったのであろう。現代では、アナログからデジタル信号に移行した再生音となり、雑音はなく、ほとんど生の音に近い技術レベルとなってきている。
 しかし、自然音と電子音とは、音質や音色という点で、違いが認められる。オシロスコープで音波を調べてみると、自然音では、滑らかなサインウェーブを基本に不規則な揺らぎの音が混在し、全く同じ波形の連続はみられない。一方、電子楽器の音では、矩形であったり、鋸の刃のようなぎざぎざの形であったりする。最近では、デジタル信号で滑らかなサインウェーブを描けるが、同一の波形が連続して「揺らぎ」がなく、やはり自然音とは異なるものだ。
 CDの音は2万ヘルツ以上の音はカットされており、自然音では5万~20万ヘルツの音も含まれている。高周波の音は、耳には聞こえなくても、脳波でα波を増加させる作用が実験で確かめられている。当時、このような技術的差異が音響の分析器で検出されたかどうかは不明だが、経験的に安らぎや癒しを感じるかどうかの差異に気づき、電気回路の音は好ましくないとの結論を出したのかもしれない。

2)教育的な見地から
 シュタイナーは、前述したように「意思→感情→思考」が重要であると述べている。
 意思とは、自分のエネルギーを誰かに伝えたい、という自然欲求であろう。快か不快かを子供が親に話したり、他人と関わりを持ちたいのは、ごく普通のことである。この意志というレベルが、人間の基盤を作り、人格やエゴの形成に導いていく。つまり、物事を判断できる基礎や基本を身につけるのである。7歳までの時期の音楽としては、伝統的で標準的なクラシックが良いだろう。それは、音楽の基礎がきちんと含まれているからだ。ポピュラー、ジャズ、ロックンロールなどは、もう少し成長した後に触れるとよい。
 感情について考えてみる。伝えたい内容が、単に事務的連絡なのか、自分の愛情の気持ちを相手の心に伝えたいのか、常にある種の感情が伴う。特に中学生の頃には、溢れる情動を押さえきれず、うまく言葉で表現できずイライラしたりするものだ。この気持ちを放置しておくと、フラストレーションが溜まることに。こんな場合に刺激的なロックやポップス音楽に出会うと、ぴったりとハマる人もいるだろう。保守的な人々はこれらの音楽を良くないと言うかもしれないが、実はそうではない。様々な常識を打ち破り、自己を発見していくうちに、自我に目覚め大きく貢献しているのだ。青春時代にビートルズの影響を受けた人も、多いのではないだろうか。
 思考とは、内容を筋道をたててまとめることだ。考えて自問自答するときには、大脳の引き出しの中に情報が詰まっていなければ、考えるための材料がなく、何の判断もできない。つまり、音楽の基盤があるほうがよいと思われる。

3)文字とパソコン
 学童が文字を学び習うとき、まず字を読み、次に自分の手で書き覚えていく。鉛筆に慣れた後、小学校の高学年から書道が始まる。学校を卒業し社会に出れば、通常、硬筆や毛筆を使わず、ペン字か、パソコンで打ち込む書類を作成する。このほうが見た目にきれいで読みやすく、人々に必要な情報が的確に伝わるからだ。
 ここで考えてほしい。実社会ではキーボードを利用するので、「今後の教育は、硬筆も毛筆も不要で最初からパソコン教育すればよい」とか、「いつも電卓を使うので、九九も筆算も不要だ」などと主張する人はおそらくいないだろう。
 つまり、実際に便利で役に立つかどうかというものさしで判断してはいけない。成長の段階でそれぞれ妥当な学習を積み上げておく必要がある。現代の便利なものも、古くて手間がかかる方法も両方を体験し、メリットやデメリットを感じておくべきなのだ。

4)手紙と文学
 同様に、手紙とメールとがある。単に事務的な連絡をするのであれば、メールでもかまわない。でも、自分の心を伝えたい場合には、現代においてもやはり手紙が重要なのだ。
 心の発育段階で大切なものに「童話」がある。アンデルセンや日本の昔話に接することで、物事の善悪や道徳を体得し、優しい気持ちや他人への配慮を学ぶのだ。この時期には、難解な哲学書や逆に世間で流通している低俗な週刊誌の記事などが妥当でないのは、当然である。
 本の内容について考えてみよう。中学生がSF小説ばかりを読む場合、しばらく経過観察すると、その熱病は良くなるだろう。でも、ずっと続くのは考えものだ。また、高校生が教科書と参考書だけは読むが、SFなど受験に関係なく役にたたないものは全く読む気がない、などと主張するような場合も、これまた困る。
 近年、タレントや芸能人も教科書に登場しているという。標準的なテキストには、古くて歴史的なものが多いだろうが、新しい内容を加えてもよい。近年、教科書に関する問題もあるが、要は、古きも新しきも、右寄りも左寄りの内容も、両者を適度にバランスよく含めていてほしい。

5)美術の鑑賞
 絵画について考えてみよう。便利な世の中となり、わざわざ美術館に行かなくてもいい。絵画全集を眺めればよく、テレビで鑑賞でき、インターネットでも画像をダウンロードできる。
 でも、これでいいのだろうか。少なくとも本物の油絵を目の当たりにして、表面の凹凸やひび割れを観察し、絵から受けるエネルギーを受け止めて感じる体験がほしい。簡便だからといって、単なる虚像だけをみていてもダメ。真と偽を見分ける能力などは育たない。
 絵画や美術という領域でも同様に、本物を見て触れることで、心も富んでいく。これが、シュタイナーが伝えたいことだったかもしれない。

6・バランスが大切
 世界は循環し、生命は輪廻する。歴史は繰り返し、社会は巡り、ファッションや流行も回帰するものだ。どのようなリバイバルが訪れてたとしても、新旧の両方に精通していれば、的確に判断できる。両方を知っていなければ対応できず、乗り遅れることになるだろう。
 音楽の領域ではどうだろうか。生の楽器を使った経験と、電子楽器を使った経験の両者を有していてほしい。ロックにのめり込んできてきた人が、60歳になってアンプラグド(unpluged)などのアコースティックに変わることもある。逆に、坂本龍一のように、生の楽器から出発してシンセサイザーで仕事を展開した人もいる。音楽療法の現場では、生の楽器が良いときもあり、逆に電子楽器が効果的な場合もある。つまり、TPOに応じたバランス感覚が必要とされるのだ。
 以上から、音楽だけではなく、すべての領域で、現代社会を生き抜くための智恵が必要だ。つまり、新旧のいずれもを熟知していれば、うまく対応でき、選択幅が拡がる。知識と経験を有する基盤に、新しいツールを積み重ね、すべてをバランスよく活用していくことであろう。

7・適度な音楽経験
 人が育ちある年齢になるとエゴが形成されてくる。心理学的に、エゴの状態を分析する手法として東大式エゴグラムがあり、CP、NP、A、FC、ACというファクターのバランスが重要視されている(表1)。著者らは従来音楽療法との関連について研究を継続し、その中で、音楽は世代に関係なく人に影響し、エゴグラムでNPを上昇させ、CPを下降させ、音楽が人格形成に少なからず影響するというエビデンスを示した2)。
 これに関連して、シュタイナーは、各人はそれぞれ成長段階に見合った音楽があると論じている。従って、成長段階に見合った音楽経験が好ましいことが示唆されるが、その客観的データは従来認められなかった。
 このたび著者らは800余名を解析し、適度な音楽経験を有している被験者では、音楽聴取で適度なエゴグラムの改善が有意に認められやすいことを報告した3)。これは、シュタイナーが唱える成長段階に見合った音楽と関連しており、NP形成段階に重要である幼少期から音楽に親しむことがポイントの一つとなると考えられる。
 人と音楽との付き合いは、通常一生涯続くと考えてよい。通常は、個人的な好みや嗜好という切り口で捉えるが、音楽を生涯学習の一環と捉えてみることもできる。すると、音楽療法が多面的な視点から評価され、様々な方向性を有しながら発展していくことであろう。

おわりに
 本稿まで3回にわたって、音楽療法の基盤について論じてきた。この中で、人が出生する以前から音や音楽を聴取しており、乳児から幼児期における音楽の重要性や、学童期における教育や音楽の関わりなどについて述べた。
 次回からは、現代社会と音楽療法について触れながら、社会的、音楽的、音楽療法的な軸で考えていきたい。

文献
 1) ルドルフ・シュタイナー. 西川隆範 訳. 音楽の本質と人間の音体験. イザラ書房, 1993.
 2) 板東浩, 吉岡明代, 中西昭憲: 音楽がTEGに対する影響の検討.日本心療内科学会誌7(3): 181-186, 2003.
 3) 吉岡明代, 板東浩, 吉岡稔人: 音楽経験がエゴグラムの改善に与える影響.日本音楽療法学会誌4(2): 191-197, 2004.

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