◆ 349・音楽療法の基盤No.2

板東 浩
吉岡稔人

はじめに
 本稿では音楽療法の基盤について記述しており、前回は、音の解析方法、ヒトの進化と音・音楽・芸術、ヒトと音との出合い、胎児とモーツァルト、胎教のコツなどについて触れた。
 第2回目の今回は、新生児から乳児・幼児の時期における音楽との出会いについて、論を展開していきたいと思う。

1・出生後、最初に聞く音 
  新生児期は4週間まで、乳児期とは1年まで、その後が幼児期である。新生児が生まれると、大きな声で泣く。赤ちゃんが最初に聞く音は、自分の泣き声であろう。そして、分娩室内の音や人の声、そして、母親の声を身近に聞くことになる。
 新生児の聴覚は十分に発達していて、外界の音は聞こえているはず。というのは、胎児のころから、胎内の音や母親の心音などを聞いているという研究結果が多く出ているからだ。「落ち着くリズムは、どれほどか」という調査があり、一般人が好むスピードは、メトロノームの音で60-80/分という。その理由として、1)自分の脈拍のリズムに近い、2)胎内にいたときに母親の心音を聴取し、その脈拍のリズムに近い、などが挙げられている。
 新生児は母親を本能で探し認識できるという。それには、胎児期の様々な記憶が関わっている。母親の声を胎内で聞いているからとされるが、実際には、羊水の中で聞く音なので、あまり明確でない音質だろうと推測される。
 これがどの程度なのか、あなたが水泳をしているときに、簡単な実験をしてみてほしい。場所と条件は、人の声が響いたりBGMが流れているプール。方法は、両耳が水面から10cm→30cm→50cmの深さで、どのように声や音楽が聞こえるのか、自分で感じてみよう。おおよその傾向は把握でき、もっと詳細な条件でなら、スピーカーやトランスデューサーを使うことができる。
 羊水中の胎児の耳から子宮壁まではそれほど距離はないので、おそらく、母親の声や脈拍などがある程度の明瞭度で聴取できるものと推測できないだろうか。
 最近のトピックスに「LDR」がある。Labor(陣痛)とDelivery(分娩)、Recovery(回復室)の頭文字で、別々だった各部屋を同一の部屋で行うシステムだ。陣痛がピークに達したとき、分娩室へ移動する必要がなく、ストレスが少なく落ち着いた雰囲気の中でお産ができる。
 もう一つは「カンガルーケア」。赤ちゃんが生まれたら何よりも先に母親と直接肌と肌で触れあい、誕生したばかりの貴重な時間を一緒に過ごす。具体的には、誕生後に臍帯切断し、温かいタオルで血液、羊水をふき取り、おむつだけをつける。すぐにお母さんの肌と密着して抱いてもらい、バスタオルやタオルケットを掛け、そのままで1~2時間。泣き叫んでいた赤ちゃんも安心して泣きやみ気持ちよさそうに抱っこされる。そのうちに、腹部から胸のほうに自力で移動し、乳房を探しおっぱいを吸い始めるという。
 ここで注目することは、
・胎児は母親の心音を聴いて記憶し安らぐ
・母親の心音や鼓動を感知し近づいていくことに
・外胚葉由来の皮膚は神経と密につながっている
・誕生後速やかな皮膚の接触が相互の信頼に
・母の乳の香りをすでに認識できる研究結果あり

2・新生児から乳児の聴力
 新生児は、母国語でも外国語でも、あらゆる発音を聞き分ける能力を有している。つまり、最初は全くの白紙の状態なので、あらゆる言語や発音に対応しうる。母音では、日本語の5音、英語では8~10種類、スウェーデン語では13種類以上もあるが、すべて聞き分けられるのだ。
 しかし、生後6~8ヶ月頃からその能力は低下する。生後1年を過ぎれば、母国語への適応が進むことによって、逆に、母国語には存在しない発音(たとえば、日本語でrとl)の聞き分けが不可能になってしまう。
 なお、驚くべきことに、乳児が読唇術を身につけているとされる。ある実験で、3~4ヶ月の乳児に対する実験で、唇の動きがアとイという二種類の映像をみせながら、一方だけを聞かすと、音と一致する唇の方をより見つめるという。発音を聞きながら、話し手の唇の形や動きも、一緒に認識しその情報を入力していると言えるのだ。

3・マザリーズ
 マザリーズ(Motherese)という言葉を御存じだろうか。母親が赤ちゃんの顔を覗き込みながら、愛情をこめて、優しく、明るく、「歌うように語りかけること」。日本語に訳すれば「母親語」となるだろう。
 人は、誕生する以前から、母親の声を胎内で聞いて覚えている。その体験や記憶が、誕生後にみられる身体の発達、心の発達や落ち着き、言語の獲得など様々な発育に、知らず知らずのうちに、影響してくるのである。
 マザリーズは、実際には、多くの母親が無意識に行っている。その際に、母親は自分のペースだけで話したり歌ったりしているのではない。赤ちゃんの表情や反応を随意観察しながら、それにあわせている。通常の話し声より、音程は高く、伸びがあり、音程の高低がある。音量の変化もみられ、愛情を表現するように、にこやかに微笑みながら、歌を赤ちゃんの心に届けるのだ。
 母親が腕に赤ちゃんを抱いて、語りかけたり、あやしたりする場合、しばしば身体をゆっくり揺する運動を伴ったりする。通常、揺する方向は、上下や前後でなく、左右である。そのリズムについて、もっとも安らぐのは、約1秒ごとに左右に、約30cmほどとされる。もし、これが0.5秒ずつ60cmも振られると、目が廻ってしまうことに。なお、この揺れは、機械でなく人間が揺すっているものである。従って、規則性と不規則性の中間に位置する「1/fゆらぎ」に近く、快適な揺れのリズムとなっているのであろう。

4・子守唄
 母親が胸に抱いた子供に語りかけているうちに、抑揚やリズムが合わさり、いつのまにか、歌に発展していく。その中で、子供の心に一番染み入るものは、何といっても、子守唄であろう。
 これが、心の安定につながり、歌や抱擁、揺らぎなどが一緒になって、原始体験が形作られる。子供が大きくなり、学童期から青年期になっても、このような経験の有無が影響を及ぼす。つまり、心の根底に安定感や安心感があれば、苦しく辛い状況に際しても、家族や友人からの歌や言葉、音楽などのパワーによって、逆境に負けず前向きにチャレンジしていこうという活力が出てくると言えよう。 
 世界をみると、国や地域、文化には多少の違いはあっても、子守唄はどこにでもある。何といっても一番大切な存在は母親で、子守唄によって安心してスヤスヤと眠ることができる。そのときの母の語りかけや子守唄、だっこされて揺すられた感覚こそが、ずっと子供の心の奥に、無意識ではあっても、人への信頼の基盤となるのである。
 それでは、日本はどうだろうか?以前は、子供が始めて触れる音楽が、子守唄であったといってもよかった。各家庭に西洋音楽のピアノなどはなくても、母がうたい、大家族で同居する祖父母も子育てをしながら、語り歌いかけていた。
 現在は小子化の時代。夫婦は共働きで、保育園に預けられる時間帯が長い。昔ながらの子守唄や童謡唱歌よりも、むしろ流行っている曲を聴くことが多いかもしれない。
 私が思うに、従来の子供対象の曲を、早期に幼児には覚えてほしいと思う。この落ち着くリズムや歌の内容が心の基盤として定着した後で、現代のさまざまな曲、少し速めで小気味良いテンポの曲など、いろんな曲に触れたらいいだろう。
 今後、童謡唱歌の普及率が低くなったり、人々が知っている共通の曲が少なくなったりする可能性がある。本当は、老若男女が世代を超えて覚え、一緒に口ずさみ踊れる曲が欲しいところだが、なかなか難しいそうだ。将来は、音楽療法で用いる曲の選択や決定についても、対象者やTPOに応じて大きく異なってくるだろう。

5・楽譜を深く読む
 子守唄には、音楽的に特徴がある。子供が寝るための音楽であるので、ゆっくりしたテンポで、旋律はそれほど早く動かず、和音もそんなに変化がなく、不協和音は少ないものだ。そして、小声で耳もとでささやくように歌うものである。
 もし、これが逆に、ロックンロールのリズムでメロディが大きく動き、絶叫型とかオペラ風に歌われたら、赤ちゃんとて眠られまい。
 ここで、ブラームスの子守唄の楽譜をみてほしい(図1)。3段譜で上から、歌の旋律と伴奏譜である。前奏の部分で、左手は明瞭な3拍子で、1拍目はいつも低く同じ音が続く。右手はずっと前のめりで、左手より半拍早く登場して、このリズムが続く。何となくアンバランスな気がするが、不安定の中にも、基音がずっと同じという不思議なコンビネーションがある。つまり、安定と不安定、静止と運動、という絶妙のバランスが、表わされているのだ。
 ここで、ちょっと考えてみよう。日本では子供をだっこするが、ドイツでは揺りかごかもしれない。ゆりかごの上で揺れる赤ちゃんがメロディとしよう。すれば、ずっと前のめりで伴奏する右手は、もしかしたら、揺りかごを吊るす紐をちょっと早いタイミングで押す右手かもしれない。すると、半テンポ遅れて篭が揺れることに。この揺れは機械でなく、人の手によるもの。ほぼ規則的で若干の不規則性を含む「1/f揺らぎ」のリズムであり、心地よいだろう。子守唄と籠で育った子供は、成人してもロッキングチェアでリラックスしているかもね。
 近年は、さまざまなタイプの音楽が世の中に氾濫している。ここで、流行りの曲と聴いて育った曲とに、大別してみよう。流行りの曲を聴くと、「ああ、あの曲だ」と認識し、それにまつわる当時の映像を思い出すことがある。
 一方、幼児のときに聴いた曲や子守唄については、明確な記憶がない場合が多い。でも、なんとなく、母親に抱かれてふるさとの風景を眺めているようば心象風景が蘇ってくるような気持ちになる。
 ここでのポイントは「無意識」である。遠い昔の情景が思い出せなくても、懐かしいような気持ちが心の子守唄となって、心を和ませたり、癒したりすると考えられないだろうか。これは、ユングが唱える、個人的無意識と集団的無意識の両者が関わっているのかもしれない。

6・幼児の発語
 幼児が喋る以前には、母親や家族からの言葉を聞くだけの期間がある。母親がコンピュータのように、いつも同じ調子でガンガン喋ったりするのはダメ。声の調子や顔の表情などを微妙に調節し、力の加減を知ったうえでやってみよう。すると、赤ちゃんは微妙な感覚を受け取れるはずだ。
 このとき、言葉のリズムやイントネーション、話す声色、表情や雰囲気などの情報がクラスターとなって伝達される。だから、入力される信号は、デジタルではなくアナログであろう。
 言語情報がものすごいスピードで新しい脳にどんどん吸収されていく。その後、それまでに蓄積された膨大な情報が、ある時点から滝のように溢れてきて、喋り始めるのだ。最初は「ママ、ママ」と喃語のレベルだが、母親の口調を真似をしているうちに、発音になり、発語になり、おしゃべりから歌や音楽へと発展していくる。
 実は、幼児自身がいろいろな声を出すのを楽しんでいるらしい。自分でやってみて、自分で聞こえてくる反応が、さらにおもしろいのだ。
 これは、原始的な行為であるとも言える。通常の声でしゃべったり、高い声で叫んでみたり、様々な発声を試したりと、経験を重ねていく。さらに、呻き、唸り、息を吐く音、息を吸う音、喉の奥でうがいでゴロゴロさせる音など、可能な限りバラエティに富む声や音を試みているのだ。
 以上をまとめると、母との言葉のコミュニケーションが最初に十分あることが必要であり、その後、言語を認識し、発語から言葉へ、そして、歌から音楽に至る、と考えてもいいだろう。
 母の語りに含まれるリズムやメロディが、子供の心に吸収される。これが、将来、音楽の6要素であるリズム、メロディ、ハーモニー、強弱、遅速、音色につながってくる。
 乳幼児期からの音楽経験は、当然、将来の子供の性格にも影響してくるだろう。最近、音楽療法の論文で、子供のころからの音楽経験の有無やその程度が、エゴグラムにおけるNP(養育的な母親)に影響するというエビデンスが報告された。音楽聴取に対する反応が、音楽経験が少ない群、通常の群、専門的な訓練を受けた群で異なり、幼い時からの適度な音楽との触れあいの重要性が示唆されたのである。
 
7・モノ・ヒト・自分という3者の関係
 そもそも、乳児は、いつごろから、自分を認識できるようになるのであろうか?ある実験が知られている。対象者は9ヶ月から24ヶ月の子供。方法は、被験者が寝ているときに、鼻に赤い印をつけ、目をさましたときに鏡をみせる。そのときに、自分の鼻に手を持っていけば、鏡の中の存在が自分であると認識していることになる。この結果、1歳6ヶ月を超える頃から、違いがわかるようになるという。
 1歳未満では、他の乳児が泣くと自分も一緒に泣く光景がよくある。自分と他人とがわからず、自他の区別ができないためという。
 しかし、1年半頃を超えると、他の幼児が泣くと、声をかけたり、おもちゃを渡したり、思いやりを示すようになり、自他を区別できていることがわかる。2歳頃には、自分の名前、人の名前、物の名前がわかり、存在の違いと名前の違いを認識できるようになるのだ。
 これらをまとめてみよう。新生児から乳児にかけては、子供と母という2者の関係だ。その後、乳児から幼児の時期には、ハイハイをして自分自身が動くことによって、他の物を見て触るようになる。これは、子供、母、物という3者の関係なのだ。つまり、ヒトを介してモノと関わったり、モノを介してヒトと関わったりするように認知する世界が広がっていく。
 この段階になると、おもちゃの車を握って母親に見せると、その返事が「ブーブー」と。母親からの発せられる単語によって、「そうか、これはブーブーというものか」、と物には名前があるのが次第にわかってくる。

 これが物の認識と言葉をつなぐ仕組みである。次第に、自分・ヒト・モノという3者の関係が展開し、空間的にも時間的にも拡がり、言語能力を獲得していくのである。この場合に、モノに相当するものが、楽器あるいは音楽と考えてみたら、どうだろうか?子供と母親と心を豊かにする音楽という3者が、素晴らしいハー
モニーを奏でることになる。このような家庭では、優しく暖かい母親の温もりが、NPという形で、子供に自然と伝わっていくことは、間違いないだろう。

おわりに
 本稿では、新生児~乳児~幼児の期間における音や音楽、言語、母や子守唄などとの関わりや、エゴグラムのNPへの影響などについて触れた。

 次回は、幼児から学童期について、ドイツの教育学者・心理学者のシュタイナー氏が自然科学と精神科学を融合させた人智学(アントロポゾフィー)や、その提唱する教育法、その一環の全人的音楽療法などについて触れたい。

資料
1) 吉岡明代、板東浩、吉岡稔人. 音楽経験がエゴグラムの改善に与える影響. 日本音楽療法学会誌 4(2): 191-197, 2004.

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