◆ 347・音楽療法の基盤No.1

板東 浩、吉岡稔人

はじめに
 従来、代替療法における音楽療法について述べてきた。音楽療法は間口が幅広く、非常に守備範囲が広いと言える。すなわち、音楽の分野であり、医療の領域でもあり、心理学のファクターが強く影響しており、さらに身体を動かす運動科学にも関連しているものである。
 本稿からは、原点に立ち返って考えてみることにより、新しい視点を模索していきたい。つまり、「“音楽”療法」における「音楽」とはいったい何だろうか? また「“音”楽」における「音」とは何を意味するのだろうか? これらを多面的に考察していくとともに、社会科学的な側面や内科医にとって有用で参考になる内容にも触れていきたいと考えている。

1・音の解析方法
 音に関わる事象は数え切れず、それに対するアプローチ法は様々なものがあり、まとめるのは容易ではない。しかし、解析方法を2つに大別してみると理解しやすい。すなわち、一つは音響学的な側面で、物理的にデジタル的に解析するものであり、数字やデータで表すことができる。
 他方は、人間が聴き認識するということによる認知的な側面である。これは、人というフィルターを通して知覚されるもの。これらの研究で得られた結果は、文章で示されたり、数字での表記がやや難しかったりする。つまり、データはデジタル的よりもむしろアナログ的なものである。
 両者を別の角度から考えてみよう。近年、医学領域でEvidence-based Medicine(EBM)の考え方が導入されてきており、これが前者に近いものと言える。今後は、EBMに加え、各個人のバラエティをも考慮したNarrative-based Medicine (NBM)の概念の重要性も認識されていくと予想され、これが、後者に関連するとも考えられる。
 さらに、他の尺度を用いて、大別する考え方もある。すなわち、一つは社会的および歴史的な見地から検討し研究調査を行う場合。他方は、自然科学的な見地から理系・医学系の検討を行う場合である。後者には、音や声を認識し、それに対応して何らかの行動を伴う脳科学も含まれる。

2・ヒトの進化と音
 ヒトは進化とともに、音との関わりが変化してくる。おそらく、最初の音とは、おそらく、新生児の泣き声であろう。その後、成長するとともに声を発したり叫んだり、その過程で持続的発声が歌になるかもしれない。また、手で道具を使うことで、何か2つの物体の間で音が出る行動が認められることになる。
 まず、人類の歩みについて簡潔にまとめてみよう。霊長類の共通の祖先から、
1300万年前にオランウータンが分岐し、
650万年前にゴリラが、
500万年前にヒトが分岐した。
その後は、猿人→原人→新人と進化をとげていく。その詳細は、
240万年前:ホモ・ハビリス
180万年前:ホモ・エレクトゥス
       ジャワ原人、 北京原人
25万年前 :ホモ・サピエンス
      :ネアンデルタール人
 なお、ここに示した数字については、当然ながら学説で多少異なり、おおよその目安であることを補足しておく。
 この中で、最も原生人類に近いネアンデルタール人は、しゃべって相互のコミュニケーションを行ったのであろうか? これについて、医学的に興味深い報告があるので紹介しよう。
 現代の成人では、気道が喉の奥で垂直に曲がっている。このため、水分を飲むときには、気道が塞がるメカニズムが存在する。一方、現代の新生児の気道は緩やかに曲がっている。このために、赤ちゃんは乳を飲みながら、同時に呼吸することができるのだ。ただし、この咽頭の構造では複雑な発語は不可能であるとされる。つまり、ムニャムニャという喃語程度の発声は可能であるが、明瞭な言葉の発音は無理であるという。
 ネアンデルタール人の気道と食道の解剖を調査してみると、現代の新生児に近い状態であると推測されている。従って、発声は可能であるが、発語ができたとしても喃語レベルであろう。
 なお、発語や歌唱が成立するには1) 発声器官、2) ブローカ中枢、3) 心性 (表現の意志)の条件が必要と考えられており、これらの状況から、ネアンデルタール人はまだ発語や歌唱は不可能であったと結論づけられている。

3・人の進化と芸術・音楽
 ネアンデルタール人が出現し、広く分布していった。しかし、何らかの原因によって約3万年前に突如として滅んだとされている。
 この時期に、特筆すべきことが起こった。現生人類の共通母系祖先をたどると、たった1人の女性にたどり着くことが、ミトコンドリアの調査で判明しているのだ。その女性は「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれ、14.3万年前にアフリカに誕生した。約5万年にその子孫が世界各地へ分散し、ヨーロッパの地域では、クロマニョン人が繁栄していくことになる。
 クロマニョン人が住んでいたと思われる所から、火の使用の跡、石器や道具や人骨、採集した食料や動物の骨などがまとまって発見されている。これらの痕跡や遺跡から、集落で一緒に生活を営み、言葉を話し、火を用いたと考えられる。
 クロマニヨン人が約1万8千年前に描いたとされているのが、フランス西南部にある有名なラスコー洞窟壁画。牛や馬、カモシカ
などの描写に加え、最近、「夏の大三角」や「プレヤデス星団(すばる)」と思われる星の並び、および月齢カレンダーを示す描写なども発見された。
 これと同様に、スペイン北部のアルタミラ洞窟壁画も発見されている。確かなデッサン、色彩対比、ぼかしや線刻、巧みな陰影処理など、絵画表現は人類の歴史上、最高水準のレベルに相当するものであるという。
 このように、洞窟絵画や骨角彫刻など、最初の美術品が誕生したのである。これは、人類における芸術の誕生と考えることができる。美術だけではなく、音楽に関するものとして、動物の趾骨に丸い孔を空けた笛様の楽器が見つけられている。おそらく、これは、一緒に集落で住む他人に対する連絡手段として使われたと考えられている。
 芸術が存在するという状況は、その当時、発語や会話、信仰、祈りなどが生活の中に存在したものと思われる。集落においては、呪術的な儀式が行われていた。儀式で発声しているうちに、朗詠から歌唱に至ったかもしれない。また、手に棒を持ち、何かを叩いているうちに、打楽器などの何らかの楽器に発展した可能性もある。儀式を執り行なうシャーマン(メディシンマン)が次第に指導者の役割を担当し、誰かの身体の調子が悪いときには、痛い所に手を当てて、手当てを行っていたのであろう。
 すなわち、このような背景があり、当初は医学、音楽、宗教の3者が混然一体となっていたのである。美術的なものは壁画として残っているために、エビデンスがある。しかし、残念ながら、音楽的な証拠は残されていない。いったい、どのような打楽器や笛をどのように用いていたのか、興味をひかれる。
 なお、美術と音楽の発生について、どちらか早期だったかはわからない。ただし、推測は可能であろう。洞窟画に牛が描写されていることは、牛がヒトの近くにいたことを示すと思われる。狩りだけかもしれないし、何らかの仕事をさせ、牛曳き歌を歌っていたかもしれない。少なくともヒトが何かの共同作業をしていれば、発声による相互連絡を行っていたと考えられる。つまり、音楽と美術とは、ほぼ同時発生的であったのではないだろうか。
 当時の集落生活を推測すると、少なくとも現代と比べて、音楽がもっと生活に密着し、中核をなすような存在であったと言えよう。

4・ヒトと音との出合い 
 生物の進化を考えてみよう。生物の誕生とは、水の中で28億年かけた進化を凝集して再現したものである。生命を育む子宮は、生命が始まった原始時代の大海に相当する。ヒトの妊娠期間は280日であるので、子宮の中での1日は、進化では約1000万年に相当すると言える。
 さて、ヒトが最初に音と出合うのはどこだろうか? 生まれて初めて母親の声を聞くときと思うかもしれない。しかし、実際には、出生する前、胎児の時期に、すでに子宮内で音を聴いていると従来から報告されている。
 それでは、羊水中の胎児は、どれほど明瞭に音を聴いているのだろうか? これは、水泳プールの中で潜水しながら、外界の音を聴いている状況に類似している。外界の音や人の声は、ぼんやりと聞こえてくるものであり、明瞭に聴取するのは難しい。
 ただし、ぼんやりした音質であっても、新生児や乳児にいろいろな音を聴かせる研究によると、確かに聴取しているようだ。新生児や乳児が泣き叫ぶときに、ある特定の音を聞かせると、泣き止むことが知られている。スーパーの袋やビニールの袋を擦ったり、番組がないテレビのチャンネル(砂嵐の画面)の音などにその効果があるらしい。その理由として、子宮内で聴こえる音や周波数と類似しているためとされる。
 胎児の脈拍は130~160/分であり、母親の脈拍は70~90/分である。これらのテンポやリズムの揺らぎが、胎児の聴覚を刺激したり身体に働きかけるのであろう。ここにリズムの起源があるのかもしれない。心臓の拍動がベースとなり、血管雑音や腸雑音が重なりあったり、静と動が加わり、落ち着きを感じる4ビートが身体にしっくりくるのかもしれない。
 胎児と音の聴取との関係については、歴史的にドン・キャンベルが詳細な研究を行ってきているので、次項で紹介したい。
 
5・胎児とモーツァルト
 歴史的には、「ドクターモーツァルト」と称されているアルフレッド・トマティス博士が、モーツァルト音楽の活用について長年研究した。博士は、胎児が声を聞き、音を聴くメカニズムを実証したのである。世界中の聴覚障害者、発声や聴覚に障害のある人々が博士のもとに集まり、検査した患者は10万人以上。子宮内の音の役割を調査し、新生児の発達障害、とくに自閉症や言語障害が、子宮内で受けたコミュニケーションの断絶や心の傷に関係するのではないかと考えた。研究の結果、妊娠10週目から胎児の耳は発達し始めること、また4ヵ月半頃までには機能し始めていることを発見した。「胎児にはすべての低周波音が聞こえている」と自伝”ConsciousEar”の中で記している。
 子宮内環境における音は、「おとぎの国のような、液体の不思議な音」と表現されている。この音を録音し、新生児や乳児に聞かせるとさまざまな大きな行動変化がみられ、博士はこれを「音による誕生(再誕生)」と呼んだ。
 トマティスは最初の研究で、「出生前の赤ん坊は音楽だけでなく、母親の感情のこもった低い声も知覚する」ことを明らかにした。引き続き、サイエンス誌で「乳児の脳に電気的活性があること、乳児に単純な音節を認識する能力があること」を発表。「母親の強い感情、すなわち、怒り、憤慨から深い平静、感謝の念、受容の気持ちに至るまでの感情は、ホルモンの変化や神経インパルスを引き起こし、胎児に影響を及ぼす」と考えたのである。
 数多くの被験者に対する調査研究の中で、母親がいない子供には、母親の声の代わりにモーツァルトの音楽を使うのが最も効果的であることを示した。その理由として、母親の声とモーツァルト音楽との間にある類似性が挙げられる。これについて、モーツァルト音楽の高音の部分が、胎児が聞いている母親の声や血流の周波数に近いという分析結果もある1)。
 モーツァルトの音楽の特徴2)には、優雅さや深い憐れみがある。また、静かな曲調を有しており、決して耳障りになることはないという。古代のギリシア、ローマ、中世、ルネサンスの各世界から現代の西洋文明が生まれたように、モーツァルトの音楽によって、無垢な心や創造性、そして時代の新しい秩序の誕生への期待などが、一緒に統合されるのだ、と指摘する人もいる。
 トマティスのもとで研究していたドン・キャンベル(Don Campbell)が、さらに研究を発展させ、彼の名著が日野原重明先生の監修で「モーツァルトで癒す」として刊行された3)。その中で、「代替療法を探してるのなら、遠くに目をやる必要はまったくない。自身の内なる音楽体系、つまり自分の耳と声、そして音楽の好み、
あるいは自分の発する音響こそが、最も強力にして便利な治療手段なのである」と記載している。

6。胎教のコツ
 「胎児が音を聞く」ことが知られるとともに、近年、胎教が注目されてきている。従来、日本では、生まれてくる赤ん坊のために、家族が心の準備をすることが、いわゆる「胎教」の一つであった。家族の声や思考、感情が胎児に影響すると考えられ、様々な不協和音的な刺激や振動などを与えないように、注意してきたのである。
 近年、胎教がブームになった一因は、胎児が音楽を聴くと認識されていることにあると思われる。しかし、胎教の実践で最も大切なポイントは、胎児の側ではなくて、母親サイドが心理的に落ち着き情緒を安定させることである。そのためにできる方策には、周囲の人々の精神的なサポート、適切なセルフコントロール、規則的な生活習慣などが挙げられる。これらの中の一つとして、音楽を上手に用いてもよい。
 胎教で使用する曲については、ロック音楽のような刺激的音楽ではなくて、クラシックやイージーリスニングなどの音楽がいいと、以前から指摘されている。一般的に、クラシック音楽であれば胎教音楽に適切であり、特に「モーツァルト音楽が胎教には最適だ」、「モーツァルト音楽は、万人に受け入れられる特徴がある」という情報が知られているようだ。
 確かに、モーツァルトの曲調は明るく、妊婦が落ち込んだり悩んだりしているときにも、プラスの効果が期待されることが多いと思われる。しかし、これらの考え方は妥当なのだろうか?

 この問いに対するキーワードを2つ挙げよう。「好みの音楽」と「同質の音楽」である。
 音楽に対する嗜好は千差万別で、人によって異なるもの。クラシック音楽を聞くと身体に違和感を感じる人もいれば、演歌にはまっている人もいる。さらに、最近の韓流ブームで、そのメロディにうっとりする人もいるだろう。好きな音楽に身体を抱かれれば、安らぎを感じるものだ。つまり、各自が「好みの音楽」が何かを認識した上で、選曲することが大切となってくる4)。
 また、人は誰もが気分が変わるもの。米国の精神科医であるアルトシューラーの「同質の原理」という音楽療法の原則が知られている。「人は気分が落ち込んでいるときは静かで美しい音楽を、逆にイライラしているときは刺激的な音楽を好む」という説明が、一番わかりやすいだろう。
 従って、妊娠中にイライラを感じた場合には、比較的短時間であれば、刺激的な音楽を聴いてもさしつかえない。心理的に同調する音楽を聴き、ホメオスタシス効果によって、気持ちが次第に落ち着けば、曲調を変えていけばよいのだ。
 妊婦では、アルコールをがぶ飲みしたり、喫煙をずっと続けるような人はいないだろう。これと同じように、妊娠中に刺激的な音楽を長時間聞く人も少ないと思われる。
 音楽は毎日を穏やかに過ごすためのツールの一つ。ジャンルにはこだわらず、クラシックやポピュラー、ジャズなど、何でも構わない。上手な方法として、好きな曲をいくつか選んでおき、TPOに応じて使い分けるとよいだろう5)。

おわりに
 本稿では、音や音楽と人間の関係が、いつどのように始まったのかについて触れた。次稿でも、引き続いて広い観点から論じていきたいと思う。これらが音楽療法の基盤の一部になり、今後の音楽療法や代替療法・統合医療の展開に一助になれば幸いである。

参考文献
1) 日野原重明、湯川れい子『音楽力』海竜社、2004.
2) 板東浩監修. 心とからだを癒すモーツァルト~健康のために~.キングレコードNKCD7070-7072, 2005.1.
3) Don Campbell. Mozart Effect. 佐伯雄一訳. 日野原重明 監修. モーツァルトで癒す. 日本文芸社. 1999.
4) Smith JC, Joyce CA. Mozar versus new age music:relaxation states, stress, and ABC relaxation theory.J Music Ther 41(3):215-224, 2004.

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM