◆ 340・日本の音楽とその機能(3)
東京学芸大学大学院 教育学研究科 松本晴子
徳島大学大学院 生体情報内科学 板東 浩

はじめに
 音楽の持つリラクセーション効果やヒーリング効果が、わが国で注目を浴びるようになってから久しい。当初、研究の中心は、モーツァルトをはじめとする西洋クラシック音楽のリラクセーション効果であったが、最近は、食や家具など生活の中にアジアへの関心が高まっており、音楽のジャンルにおいてもアジアの音楽によるリラクセーション効果に目が向けられるようになってきた。音楽療法の実践に日本の民俗音楽、和楽器への取り組みも見られるようになってきたことは、前回述べた通りである。
 本シリーズのNo.2では、日本音楽のリズムの特徴は一拍が必ずしも同じ長さではなく、ある場合には伸びたり縮んだりするという拍の伸縮が、芸術音楽や民謡の中で盛んに使われる1)ことに着目し、拍の伸縮に視点をあて日本人の音・音楽との関わりの特徴の一端を考察しようと試みてきた。前回は、聴取実験による検討を行った。
 本稿では、拍の伸縮に関わる歌い方が演奏者によってどう異なるか、またその違いと癒しとの関連性について音声分析の結果から検討していく。

1.音声分析の目的・方法

(1)曲について
 拍子の感じにくい曲の中から聴取実験と同じ曲である「音戸の舟唄」について、下記の3個の録音(音源はCDまたはカセットテープ)を用いて、コンピュータで音声分析を行った。
A: 初代 浜田喜一の声:決定版『日本の民謡』Victor VIGG―41014(CD)
B: 藤堂輝明の声:決定版『ふるさとの民謡 近畿・中国・四国編』Columbia COCJ―3033(CD)
C: 高山訓昌の声:『日本の音 声の音楽3の1』(カセットテープ)日本伝統音楽芸能研究会、 音楽之友社
 下記に分析した1番の歌詞を示す。若干異なる部分があり、Cの記述にはかけ声が見当たらないが、高山氏はかけ声をかけて歌っている。
A: イヤーレ
 船頭可愛いや 音戸の瀬戸でヨー
  一丈五尺の ヤーレノー 
   櫓がしわるヨー     
B: ヤーレノ 
 船頭可愛いや 音戸の瀬戸でヨ
  一丈五尺のヤーレノ
   櫓がしわるヨ
C: 船頭可愛いや 音戸の瀬戸で
  一丈五尺の 艪がしわる
(2)目的
 拍の伸縮に関わる歌い方の中で、特に間の取り方と伸ばしている時間によって、癒しの効果はどう違うのかを検討するために、歌い手3人(浜田喜一、藤堂輝明、高山訓昌)の比較を行った。
(3)使用ソフトとパソコン
 ソフト:音声工房Proの音声分析処理(NTTアドバンステクノロジ株式会社)
 パソコン:TOSHIBA DYNA BOOK 250PX Microsoft Windows98
(4)分析の方法
 次の3つについて1番のみ行った。
 1)波形分析(図1)、2)ソナグラム分析2)(図2)、
3)パワー包絡分析(図3) 
 なお、波形分析の横軸は時間位置を、Y軸は振幅値を示している。ソナグラムの横軸は時間位置を、縦軸は周波数を示す。パワー包絡の横軸は時間位置を、横軸はデシベル単位でパワーの値を示している。波形、ソナグラム、パワー包含の時間は同様に左0.0000秒から右39.9999秒である。
(5)分析箇所
 間の取り方、伸ばしている時間を検討するために次の4箇所に絞って行った。
1) 出だしの声で「ヤー」を伸ばした時間
2)「瀬戸でよ」の「よ」を伸ばした時間
3)「船頭かわいや」の後の間、
4)「音戸の瀬戸でよ」の後の間

2.波形と間の分析・考察    

 上記の1)、2)、3)+4)のデータを計測し検討した(図1)。なお、歌い手3人の名称は、浜田をA、藤堂をB、高山をCとして、記する。
1)「ヤー」の時間と波形
 A:2.1211秒 1.3秒で小さくなる
 B:3.2634秒 左記時間、波形が維持         
 C:3.3418秒 左記時間、波形が維持
2)「よ」の時間と波形
 A:4.2422秒 休符に向かって膨らむ
 B:3.1616秒 伸ばした後は平ら
 C:3.2417秒 伸ばした後は平ら
3)+4)2つの間の合計 
 A:1.0386+1.2377=2.2773秒
 B:0.7921+1.3199=2.1120秒
 C:2.9456+2.7921=5.7427秒

 I)波形について:全体の波形のまとまりは、AとBは大きく4つになっている。この4つのまとまりをAの歌詞で示すと
・イヤーレ船頭可愛いや、
・音戸の瀬戸でヨー、
・一丈五尺のヤーレノー、
・櫓がしわるヨー、のまとまりとなる。
 一方、Cは3つのまとまりである。Cは「一丈五尺の櫓がしわる」とつなげて歌っている。Cの歌詞には示されていないが、ヤーレノーというかけ声をさらっと歌いつなげている。最後のヨーも歌詞には示されていないが、実際には歌っている。
 II)振幅値について:全体的にAとBの振幅が大きいの対しCは小さい。これはCDとカセットテープの違いなのではないかと推察する。特徴のある音源を揃えることが難しかったためやむを得ないと考えるが、今後の課題でもある。
 III)曲の流れについて:全体として波形を見ると、前半の声の立ち上がり方などBとCの波形がよく似ている。Aは間の前の伸ばす音を膨らます傾向がみられる。
 IV)間について:3)+4)によりCの間がAとBの間の2倍以上あることが示された(図1)。この間の取り方が拍の伸びとなり、拍子を感じにくくさせていると同時に、聴き手の呼吸を落ち着かせる効果をもたらすことにつながると思われる。また、伸ばした時間と間の合計時間(上記1)+2)+3)+4)の合計)を全体の時間(39.9999秒)と比較してみると、Aは8.537秒、Bは8.6406秒で全体の約5分の1であり、Cは12.3262秒で全体の約3分の1という大きな割合を占めていた。
 これらは、歌い手が気分に乗って自由に声を伸ばしたり、間を取ったりするという拍の伸縮時間が、リラックス効果や癒しの効果を導いて心を落ち着かせる要因となるものと考える。特にCの歌い方は、興味深い。それは、
1) 川の流れを想像させるように、
2) 船を漕ぎながら歌っているかのように、
3) ゆったりと呼吸をして、潮の流れに逆らって舟を進める気構えが伝わるように
4) かけ声や間に十分な時間をかけて、川の流れを 見定めているか
のように、
などのイメージが伝わってきたからである。これらは聞き手の呼吸をもゆったりさせる効果と、聞き手が様々な情景を想像できるゆとりにもなっているものと思われる。なお、前回の聴取実験でも同様の結果がみられていた。
 
3.ソナグラム分析・考察
 
 ソナグラムとは横軸に時間、縦軸に周波数をとり、測定対象の音声について、ある時間ある周波数のパワーを、その位置に濃度あるいは特定の色で表示したものである。本ソフトはカラーで音声パワーが表示される。黒→青→緑→黄→橙の順に音声パワーが大きくなる3)。本稿では、モノクロの画像で示す。
 図2のように、AとBの音声パワーが強く倍音が多いのは、歌に重ねるように尺八が演奏されているためと推察される。本来、「音戸の舟唄」の演奏スタイルは、尺八が用いられない素うたであった。その後、いわゆる「民謡歌手」という民謡を歌うことを職業とするプロが台頭するようになり、民謡がステージの上などで歌われるようになってから、聞き映えする効果をねらって尺八が加えられるようになった4)ことが示されたと言える。
 Aの特徴は、声の立ち上がりにクレシエンドの傾向がみられる。「音戸の瀬戸でよ」の「よ」の後にパワーが強い。絞り出すように張り上げている声である。
 Bは、全体的に周波数が高く声が高い。3800~4200Hz付近に響きを集中させ、音が動く時に揺れる傾向がある。これは音が動く時にこぶしを入れているためと考えられる。
 Cの特徴は、間が際だっていることである。600~1600Hz付近に響きが集中している。
このソナグラム分析により、歌い手の違いが明確に示された。つまり、AとBは民謡歌手であるために、こぶしを派手に効かせたり響きを高めに集中させたりしている。
 一方、C(高山氏)は本来の「音戸の舟唄」を踏まえた歌い方であると言えよう。
これに関連して、竹内勉氏の報告5)がある。「この歌が世に出るきっかけは、音戸町引地の高山訓昌が、子供の頃、近所の八城政人が歌うものを覚え、昭和三十年代から普及を計ったもので、書に、詩に才能をもつその美意識と、筋を通す頑固さで、小ブシを押さえた、今日の名曲を仕立てあげている」と記されている。
 癒しの視点から考察すると、本来のCの歌い方にほっとしたり心が落ち着く人もいれば、AやBのコロコロころがるこぶしや張り上げた声に快感を覚える人など、各人によって癒しを感じるポイントは同じではない。これは、前回の実験結果でも示されていた。
 民謡本来の姿を伝承していくことや、本来の姿を知ることは重要である。また同様に、聞き応えのある歌として、時代時代の聴衆の好みや要求に応えようと変化させることも、大切なことと言えるのではないだろうか。
 
4.パワー包絡の分析・考察
 
 パワー包絡とは、横軸に時間、縦軸にデシベル単位でパワーの値を示したものである(図3)。その特徴として、波形表示では気が付きにくい無音区間でのパワー値が大きいことが一見してわかることが挙げられる。図3では、3人の歌い手が共にー40dBに向かって5箇所、パワー値が大きくなっている。この5箇所の無音は、
・ 歌いだす前の無音、
・ 「船頭可愛いや」の後の間、
・「音戸の瀬戸でよ」の後の間、
・「一丈五尺のヤーレノ」の後の間、
・歌い終わりの無音、である。  
 Aの特徴は、前半が活発な動きで後半はこじんまりした動きであること、語尾が膨らみクレシェンドになっていることである。
 Bは、全体的に-4dBから-2dBで維持している。この特徴的所見は、意識的に響きを集めて歌っているためであろう。音の強さが安定している状況では、被験者が「落ち着いた」「伸びのある声で聞きやすい」という心地よさを感じたとの報告がある6)。これは、音の強さの安定、いわゆる音圧の安定が、聞き手に安心感や心の落ち着きをもたらす働きを有することを推察させる。
 Cは、図3の36秒から37秒にかけての山が示す-17dB前後という艪を漕ぐ音とほとんど同じレベルの声で歌っていた。艪の音と歌う声が同じパワーで維持されていることは、高山氏の声の自然さや楽に歌っている感じ、あるいは艪と一体となって漕いでいる様子を聞き手に印象づける。被験者の感想にも、なつかしく身近な声、気軽に口ずさんでいる感じという記述があったことは、前回にも触れた。
 以上のような考察から、それぞれの歌い手の声や歌い方に心を落ち着かせる効果、癒しの効果があることが示唆された。しかし、3人の歌い手の中では、C(高山氏)の歌い方が「歌うことによって自分の気持ちを何の気取りも何の気兼ねもなく表し自分自身を慰めてきた」7)という、本来の民謡の姿に近いものであろうと思われる。
 
おわりに
 
 人間は自然の中に生存する生き物の1つである。文学や絵画はもちろん、音楽においても、動物や鳥、魚、昆虫などの生き物や、川のせせらぎや山、森林などからインスピレーションを受けたものが多い。諸民族の儀礼には、アイヌ民族の「熊送り」ように生活必需品として存在する熊と共に行う儀式などもみられる。
 日本の民謡も当然ながら、各地の自然環境や生活と密着している。人間が豊かに楽しく、あるいは自然の厳しさと向き合って生きるために、生まれてきたものと言えよう。しかし、今は、時代の流れから、民謡が生まれた当時の自然環境や生活スタイルとは異なってきている。けれども、音や歌を聞くことによって古の時代にタイムスリップし、その情景や気持を味わうことができる。落ち着いたり、心が安らいだりする。日本人のDNAには、そのような心が取り込まれ受け継がれているのではなかろうか。
 本シリーズは日本の音楽とその機能の一端を検討したにすぎない。今後も日本の音楽の幅を広げながら「日本の音楽の特徴」「日本の音楽の持つ療法的効果」について考察を続けていきたい。
 
文献・注
 1)小泉文夫: 日本の音. 平凡社, 東京, p21,2000.
 2)ソナグラムは固有名詞である。あるメーカーのソナグラフと呼ばれる音声分析装置により分析された結果の図を指している。一般名詞では、サウンドスペクトログラムと呼ばれている。本ソフトではよく使用されているソナグラムという名称を用いた。
 3)石井直樹: 音声工房を用いた音声処理入門. コロナ社,東京,p108, 2002.
 4)西角井正大:声の古典生活音楽としての民謡..日本の音・声の音楽3 日本伝統音楽芸能研究会,音楽之友社, 東京,p39,1988.
 5)竹内勉: 音戸の舟唄. 日本の音・声の音楽3 日本伝統音楽芸能研究会, 音楽之友社, 東京, p95,1988.
 6)松本晴子、板東浩:日本音楽とその機能No.2. 内科専門医会誌15(2),268-272, 2003.
7)小島美子: 日本音楽の古層. 春秋社, 東京, p115, 1982.

図表はカット。

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM