◆ 336・キューバのメンタルヘルスと代替療法

                                             板東 浩・前田キヨ子

はじめに
 近年、身体だけでなく心の健康の重要性が叫ばれ、本邦では心療内科や代替療法に関する議論が続いている。このたびキューバの首都ハバナで、UNESCOが後援し代替療法を包含したメンタルヘルスの国際学会が開催された。
 筆者らは本学会に参加するとともに、同国の医学や文化、音楽関係者からも多くを学ぶことができた。本稿では、メンタルヘルスや代替療法、音楽療法などについて、報告したい。

1。キューバの概要
 面積は日本本土の半分、人口は1200万人と日本の10分の1。約40年前の革命により実質的に独立した社会主義国家である。近年は経済的な困難が主要な問題である。
 国家予算の20%が教育に、20%が医療福祉に配分。教師は人口の42人に1人、医師は160人に1人と本邦と比較しても多い。

2.人々の生活
 生活で必要なものは配給制である。食料では米、豆、砂糖、料理用油などが代表的。ミルクは0-7歳の子供に1日1リッターが配給され、成人で疾病を有する場合にも配給が考慮される。しかし、衣食住の現状を見聞きすると、特に食には苦労が絶えず、水・石鹸・シャンプーなど必需品も充分ではない。
 人々の平均的な月収は200ペソ(25ペソ=1USドル)、大学の先生15ドル、医師20ドル(全てペソ支給)ほど。資本主義国家と異なり、従来貧富の差はなかった。しかし近年、生活の格差が近年広がりつつあるのが大きな問題である。その理由として、
・ソ連崩壊とアメリカの経済封鎖で物資が充分行き渡らない。
・通貨はペソとキューバドル。観光客の誘致でUSドルや、最近はユーロも流通しているが、一般国民が労働で入手するのはペソ。
・物が流通しているお店は、大半ドルショップ。
・USドル所持解禁に伴い、ドル所有者との生活に格差。
 以上から、貧困にあえぐ人々が増え、これがメンタルケアを必要とする患者の増加にも反映してきていると推測できる。
 なお、経済の問題はエリート層にも影響する。医療職や科学バイオテクノロジー等の分野では、世界に誇るべき優秀な人材が数多い。その能力の高さは近隣諸国にも周知の事実で、特に精神医学の分野も優れている。高い技術を持ちながら、適した仕事につけない若者も少なくない状況だ。

3。医療の概要
 医療システムは、一人の家庭医が120-160家族を担当するホームドクター制度である。1次医療としてポリクリニコとコンサルトリオ、精神保健のコミュニテイ-センターがあり、二次医療は病院、三次医療は19の州にある19の大学病院が担う。
 キューバ国内には6万6000人の医師がいる。国民の平均寿命は76歳と先進国並で、医療レベルは欧米とほぼ同等。2001年、WHO事務局長は、キューバの医療政策が大きな成果をあげ、児童の基本的権利も保障され、乳幼児の死亡率も大幅に減少し、平均寿命も上昇していると述べた。
 WHOの統計(1998年)によると、乳幼児死亡率(/1000人)は、ラオス 104、カンボジア89.4、インド 74、ネパール 78.5、フィリピンは45、ベトナム37、中国33.1、ロシア16.4, イギリス11、キューバは6.4、日本は3.64。同国で乳幼児死亡率が激減したのは「キューバのミルク政策」によると世界的に知られ
ている。
 キューバにおける保健政策には、1)感染性の疾患、2)母子保健、
3)高齢者、4)精神保健という4つの大きな柱がある。エイズへの取り組みも進み感染率も低い。

4。メンタルヘルスと代替療法
 精神保健の主な項目には、高齢者、家庭内暴力、自殺、ホームレス、未婚で妊娠した女性の問題などがあり、bio-medico-psycho-social model (生物・医学・心理・社会モデル)の視点からプロジェクトが行われている。
 精神科医の数は4000人と、人口あたり本邦より4倍多い。95年より精神保健の地域化政策が開始。全国にcommunity mental health centerを設置し、各領域でteamを組織した。精神科医、心理療法士、ソーシャルワーカー、作業療法士から構成されるチーム治療が行われるのが特徴だ。高齢者には、ナーサリーチームが担当する。
 平均寿命が高く高齢者対策が重要になってきた。デイホスピタルは日本のデイサービスに相当し、grandparent home(祖父母の家)とも呼ばれる。送迎付きで朝8時から夜8時まで病院で面倒をみてくれるからだ。高齢者が在宅で生活する場合、女性が介護の担い手となるのは、いずれの国でも共通している。
 プログラムの内容は、集団療法が中心。アートセラピー、音楽療法,精神療法,心理劇、クラフト(手工芸)セラピー、運動療法、太極拳などが挙げられる。
 ほかにも、ヨガ、鍼、自律訓練、アルコール患者の会の集まりなど、伝統的・代替療法や人間ダイナミクスを駆使した様々なトライアルも実践されている。
 現在、薬物依存者が増加し問題だ。薬物が横行しやすい夜のライブハウスの閉鎖など、国がコントロールしている。次世代への予防のため、その対処は早い。

5。音楽療法セッション
 国際学会では、音楽療法+瞑想+舞踏療法のワークショップなどが行われた。技術を学んだ参加者は各地のセンターに帰り、患者に適用していく。
 本学会で音楽療法のシンポジウムを担当したのが、筆者の前田である。前田は長年、言語療法や音楽療法に携わっており、2002年秋に文化庁から国費留学でキューバに派遣。3カ月間国立劇場でキューバン「ムーブメント」と音楽を学ぶ機会を得た。
 何度か同地を訪れ出会ったのが60歳のAna Rosa。彼女はピアニスト・歌手だったが、不運にも喉頭ガンのため声を失い生きる意欲も失っていた。ちょうどそのとき筆者がアドバイスできた。音楽や手話によるコミュニケーションの成立を体験した彼女は、人生の目標と生き甲斐を見いだし、高齢者施設で活躍している。
 「メンタルヘルスケアにおけるクライエントへの音楽コミュニケ-ション」を講演した際に、オープニングのピアノ演奏はAnaに、通訳は学会の世話役Dr. Rigobeltoに担当して頂いた。
 同国ではいろいろなTPOで、キューバ音楽のサルサが頻用される。年代を越えてリズム感が抜群に良いのには驚かされた。それはなぜだろうか?日本では、各世代によって馴染みの曲や好きな曲が異なる。しかし同国では、巷に流れるキューバソン、チャ・チャ・チャ、マンボ・メレンゲ・サルサなど、常に耳にする音楽は、世代を超えて老若男女共通。道行くときも、家庭でも、そのリズムに合わせて腰を揺らす。
 たとえば、家庭で母が料理しているとき、テレビから音楽が流れてくると、料理の手を止めて母と子供が一緒に踊りだす。1歳児はおむつの中でお尻がサルサ、3歳になるともうステップを踏むと。同国ではmusic is the part of our lifeであり、If you can not dance, you are not Cubanという表現もあるほどだ。
 すなわち、音楽と舞踏が人々の生活や家族団欒の中に溶け込み、リズム感が身体に染み込んでいる。これこそが、キューバ人のアイデンティティであるとも言われる。

おわりに
 本稿では、キューバの医療や生活について、特にメンタルヘルス領域のケアや代替療法、音楽療法に触れた。単なる観光ではなく、同国に滞在し人々との深い交流を通じて、社会主義国家の現実の厳しさを目の当たりにした。一方で、その状況であるからこそ、医療福祉の領域で心療内科的・音楽療法的なケアの実践が特に重要ではないかと、筆者らは感じた次第である。

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