◆ 324・音楽療法とQOL
東京学芸大学大学院 教育学研究科 松本晴子
弘前大学医学部 神経精神医学教室 天保英明  
       徳島大学医学部 第1内科 板東 浩

はじめに

 2000年,世界保健機構(World Health Organization;WHO)は,従来の年齢ごとの死亡率だけから計算されていた「平均寿命」から,寿命の質に着目した「健康寿命」を国別に発表した(表1)1).健康寿命とは,平均してどの年齢まで健康に暮らしていけるかを示すものである.WHOが寿命の質を考慮するようになったということは,健康をどうとらえるか,また,どのような価値観・人生観などを持って生きるか,ということが世界的に重視されるようになってきつつあることを表している.
 これは,つまり人生において「生活の質」「生命の質」「人生の質」,いわゆるクオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life;QOL)が問われていると同時に,QOLを高める医療が問われていることを示していると考える.
 本稿では,QOLについて概観し,QOLを高めるために音楽をどのように活用するか,という音楽療法とQOLの関係について,述べたい.

1. QOLの捉え方

 WHOが発表したQOLの定義は,「個人が生活する文化や価値観の中で,目標や期待,基準および関心にかかわる自分自身の人生の状況についての認識」である.この定義は,その示す範囲が広いため,各国や各分野によって捉え方が多様である.
 福原は,「QOLは,定義しようと思えばどのようにも定義できる,美しいけれども,曖昧な概念である.すなわち,住宅あるいは車の宣伝に使われているような快適性や居住性から,さらには人生の生きがいや満足度など,いわば何もかもQOLの概念に含めることが可能なのである.QOLに関する医学研究においても,同様な傾向がみられる」2)と指摘している.
 一方,全人的医療という視点から積極的にQOLについて提唱している永田は,「QOLという概念の登場は,従来のキュア(治癒を目指した医療行為)のみを目的とした医学から,キュア&ケア(援助を目指した医療行為)を実践する医療への大展開であり,全人的医療への展開でもある.患者を人間として正しく理解するために,自然科学的人間観に人文科学・社会科学的視点をも加味した新しい医療モデル,健康モデルを創造することが,時代の要請になったのである.ここに量,質ともに充実した医療が展開されなければならなくなった」3)と述べている.そして,「医療職(医師や看護婦など多くの医療関係の専門職)によってなされる行為が,患者という人間の人生にいかに作用するかを評価することがQOLの基本的な概念である」と3)主張している.
 つまり,QOLとは,生命の質の向上を支える医療行為の1つの目標と捉えることができる.医療行為の中には,個人の生き方の可能性を広げる音楽療法も含まれる. 

2.QOL研究の歴史

 世界で一番早くQOLの活動を始めたのは米国である.1964年,大統領ジョンソン(Johnson,L.B.)が演説の中で,QOLという言葉を使用した.それを機会に,QOLはその後の米国の社会政策や,保健医療政策に盛んに使用されるようになった.その後,QOLは医療界においても使われるようになり,リハビリテーション医学や外科治療の評価,ターミナル・ケアでも使われるようになった.すなわち,リハビリテーション医学では,医療の目的がADL(日常生活行動)からQOLの改善へと転換し,外科治療では,例えば慢性炎症性疾患において,手術と内科的治療のどちらが患者の今後の人生にとって有利かを,経済的側面をも含めて議論するようになった.ターミナル・ケアでは,残された時間の中で,いかに人間の尊厳を維持するかが積極的に議論されるようになった.米国では,1960年代後半に起こった生命倫理運動という市民運動の盛り上がりも後押しをして,前述の他に高血圧や糖尿病,心不全などの一般的な疾患の治療にも,QOLの概念が必要とされるようになってきた3).
 英国では,1967年にLondonにSt.Chrisphers Hospice が創設され,Hospice Movement として世界各国へ拡大していった.  
 わが国では,QOLの概念が導入されたのは,両国と比較してかなり遅れている,1986年ドイツで行われた第11回International Society of Hypertension年次総会で,高血圧治療におけるQOLのシンポジウムにおいて,「高血圧治療におけるQOLの問題点」を発表したことが最初である.次いで,1988年に日本QOL研究会が設立された.日本QOL研究会の会員数は,2002年1月現在,国内2020名,海外103名である.設立目的は次の3つである4).
1. 国際共同研究を含む国際的視野でのQOL研究活動
2. 次世代の医療を担う学生へのQOL教育
3. 全医療関係者従事者によるフィールド活動としてのQOL医療

 このような国際的な流れの中で,国際QOL研究学会(ISQOL)は,健康・医療領域に関するQOL研究,特にアウトカム研究においてQOLをどのように活用し,方法論的な研究をどう進めるか,臨床研究や医療,政策研究への応用をどう進めるか,などの目的で1991年に設立された5). 現在のQOL研究は,国際的に通用する評価尺度が中心テーマとなっている.

3.QOLを高める音楽療法

 QOLに求められている内容は,人生そのもの,生きることの意味,価値観,生命観,死生観,世界観など,個人の包括的な生き方そのものと考えることができる.
 音楽は,まさにこのQOLを支える一つとして,人間の生き方と深い関わり合いを持ちながら,人類の歴史や文化と共に発展し歩んできた.
 音楽療法の目的には,次の2つがある6).1つは,治療そのものであり,2つは,QOLを高めるためのものである.そして,その目的が達成されたかについての判断基準は,患者や対象者の「権利」と「満足度」と「快適性」によっている.結果がよければそれでよい,というものではなく,音楽療法の施行過程で,快適性と結果にいかに満足できたかによる. 
 つまり,音楽療法を行った後に,「よかった」とか「こんなに立ち直った」といった言葉や態度が,患者や対象者,あるいは家族から,医療従事者や音楽療法士へ伝えられることに大きな意味がある.
 医療サイドからみれば,QOLの判定は,「合理性,尊厳性の貫徹度」が評価の要因となる6).そのうえで,対象者や患者を取り巻く人間関係や様々な諸問題を,どのようにQOLとして扱い,評価をしていくかが,大きな課題になると思われる.
 QOLを高める音楽療法の意義,価値を立証し,一般化するためには,まだまだ医療現場において,多くの取り組みが行われる必要がある. 

4.音楽をどのように用いるか

 患者や対象者によって,あるいは同じ対象者でも場面によって,音楽の用いられ方は様々であるが,筆者は,QOL向上のために用いられる音楽,あるいは音楽療法のあり方として,次の4つをあげたい.
 第1は「癒し」,「リラックスするために」として,である.セッションが始まる前や終わったあとのBGM音楽は,まさにこれにあたる.音楽療法の行われる場所に足を運ぶと,自然に音楽が流れていることは,患者や対象者の心をほっとさせ,生活に潤いをもたらす.
 第2は,「リクレーション」として,である.音楽療法の活動は,心身をリフレッシュさせる楽しい活動であることが大切であろう.
 第3は「心身の機能を活発化させること」として,である.風船,紙テープ,布,また楽器など道具を使って,あるいは歌を歌うことによって,心身を伸ばしたり,緩めたり身体の機能が自然に活発化される.音楽療法活動の後は,心身共にすっきりする活動でありたい.
 第4は「コミュニケーション」として,である.グル-プや集団で行われるセッションの場合は,相手の音を聞いたり,相手に音を渡したり,言葉に出さなくてもコミュニケーションが成立する.個人セッションの場合も,即興演奏であったり,一緒に楽器を叩くことであったり,静かに同じ音楽を聴くことであったり,患者や対象者と音楽療法士のコミュニケーションが,言葉を超えて成立する.
 以上,4つの活動は,音楽療法がQOLを高めるのに,十分な役割を持つものの一つの方法として値すると考える.

5.これからの音楽療法
 
 アメリカでは一時,アルツハイマー治療に対して,音楽療法が有効であるという研究が発表され,米国国立衛生研究所(National Institute of Health;NIH)は,ただちに研究や設備のために補助金をだした.ところがその後アルツハイマーは,音楽療法やアロマテラピー,色彩療法などではよくならないという発表がされると,NIHはすぐ補助金を打ち切ってしまった7).
 この出来事は,音楽療法の捉え方に大きな問題を投げかけている.音楽療法は,音楽の本質として個人に関わるものであり,個人の性格,嗜好,生育歴,そして病気や障害の状態などを考慮し,尊重しながら行われるものである.しかし,科学として評価されるためには,集団として統計学的に一定の有意差のあるデータを示さなければならない.この一定のデータが出せる研究には研究費がつき,出せないものには研究費をださないということが,QOLの向上が叫ばれる現在の医療界において,果たして正しい在り方であろうか.
  これまで,様々な視点で述べてきたように,音楽療法は,人間の生き方やQOLの向上に効果を示してきており,可能性を持っていることは,否定できない事実である.アメリカの現状は以上のようであるが,翻って日本の音楽療法の現状を顧みるならば,その状況は,きわめて厳しいと言わざるをえない.研究費も充分とは言い難い上に,実践を通して日夜努力を重ねている音楽療法士も,国家資格として認定されていない. 日本の医療界がQOLの向上へ本腰を入れて取り組んでいくために,一日も早い改善を願うものである.

おわりに

 QOLのL=Lifeとは,単に日常生活を意味するだけではなく,人生に対する価値観,個性を持った人生そのものを意味する.その根底には,かけがえのない生命に対する尊厳と神聖さがある.生命はホメオスターシスを保ち,発展し,それぞれの目的に向かって進む.人間は,健康であろうと病気であろうと,人生を豊かに生きがいのあるものにしようと願っている.その個人の目的やそれぞれの願いを認め,実現のために支援や支持をしていくことが医療においてはもちろん,これからの社会においては,一番求められていくことであろう.
 音楽は,人間にとってQOLを高める役目を持っているものである.その音楽を媒介としている音楽療法が,全人的医療の一つの手段として,医療関係者や一般の人々にもより一層認められるようになるために,今後更なる研究が進むことを祈りたい.

表1 WHO新しい寿命指標・健康寿命:2000年版(191カ国の調査)

順位    国 名          歳
 1   日   本       74.5
 2   オーストラリア     73.2
 3   フランス     73.1
 4   スウェーデン      73.0 
 5   スペイン 72.8
 6   イタリア        72.7
 7   ギリシャ        72.5 
 8   スイス         72.5
 9   モナコ         72.4
 10   アンドラ        72.3
 :                 :
 24 アメリカ        :
 :                 :
 91  ロシア           :
 :                 :
 182 エチオピア      33.5
 183 マ  リ        33.1 
 184 ジンバブエ 32.9
 :     :
 188 ザンビア         30.3
 189 マラウイ        29.4 
 190 ニジェール   29.1
 191 シエラレオネ      25.9

文献
1) http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~ejtkawa1/nutrition/eiyou590.htm
2) 福原俊一:いまなぜQOLか.臨床のためのQOL評価ハンドブック.医学書院,東京,2,2001
3) 永田勝太郎:全人的医療の知恵.海竜社,東京,28-30,1997
4) http://www.nona.dti.ne.jp/~qolmanda/hist.html
5) 池上直己・他:アウトカム評価におけるQOL研究.臨床のためのQOL評価ハンドブック.医学書院,東京,144,2001
6) 小松明・佐々木久夫:音楽療法最前線.人間と歴史社,東京,283-284,2000
7) 渥美和彦・廣瀬輝夫:代替医療のすすめ,日本医療企画,東京,133-134,2001

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