◆ 322・代替療法としての音楽療法
松本晴子1) 東京学芸大学大学院
板東 浩2) 徳島大学医学部第一内科

SUMMARY
・音楽療法は、音楽を身体と心の病気の治療に用い役立てるものである.
・音楽の捉え方は、行動主義・精神分析・人間性心理学など,学派によって異なる.
・音楽療法は疾患に対する補助的治療,予防医学,リハビリテーションに適用できる。
・音楽療法の適応には心身症、ストレス関連疾患,様々な心と身体のケアなどがある。
・音楽療法では、人間らしさ、すなわち,個人の価値観や自由性を十分に尊重する。

はじめに
 同じ病気でも個人の体質や希望に合った治療方法を加えることによって,より迅速に改善が期待できる.代替医療は個人の価値観を尊重し総合的な治療を行うものとして盛んになってきている. 
 音楽療法もそのひとつである.音楽は人間が生きていく上で必要不可欠なものではない.それなのになぜ尊重されてきたか.なぜ医療現場でとりあげられるようになってきたのか.音楽療法の適応と限界について,本稿では音楽療法における音楽,医療方法としての音楽の視点で述べる.

1.たかが音楽、されど音楽
 明治・大正時代の音楽に対する一般の風潮は,「音楽など女のすさびであり男子たるもの手がけるものではない」1)というものであった.「荒城の月」「花」などを作曲した天才作曲家滝廉太郎でさえ、音楽の勉強
を父親に認めてもらえなかったという逸話がある.
 歴史をひもとくと、1872(明治5)年、「学制」が公布され小学校の教科目のひとつとして「唱歌」が設置された。しかし、「当分之ヲ欠ク」という但し書きが付けられて、実施は先送りされたのである.当時、伊沢修二と目賀田種太郎は,アメリカ滞在の折りに小学校で音楽の授業を視察できた。彼らは感銘を受け、日本においても唱歌教育の必要性があると感じ、1879(明治12)年に文部当局に建議書を提出した.その内容は、役人が納得してもらうために、工夫したものであった。「音楽は徳性の涵養に役立ち国の統治にも好都合である」と.「日本に是非とも唱歌教育を」,という彼らの熱意がなかったら「当分之ヲ欠ク」の状態がその後もずっと続いたかもしれない。戦時体制に入ると子供も大人も軍歌一色となる.日本でも音楽は人間の心を鼓舞し,愛国心を高めるものとして重んじられ、そして利用されたのである.
 そして,先日のこと。「世界は変わった」とされる2001年9月11日のアメリカのテロ事件.世界中の人々を驚かせたこの事件で大打撃をうけた自由の国アメリカでは,現在,ジョン・レノンの「イマジン」や平和主義の歌は音楽規制が行われているという.多様な音楽が認められ,科学・経済などすべてのものが発達してきた今日のアメリカでさえも,音楽の秘めた力・影響力が恐れられているのである.
 一方,タリバン政権は音楽を禁止していると報道されている.アフガニスタンに住むある民族は、自分たちの伝統的な音楽を捨てられず,国境に逃れて険しい山々の中で、歌を歌ったり音楽を奏でたりしているという。この様子が,筑紫哲也NEWS23で放映され、ひとの魂を揺さぶる音楽のパワーが感じられた.まさに音楽は人間の心を強く動かし民衆・国民を動かすものとして,恐れられ敬遠されているといっても過言ではない.
  
2.音楽療法における音楽とは
 音楽は人類学からみても哲学からみても、多くの機能を持っている.音楽療法における音楽は「音楽を身体と心の病気の治療に用い役立てること」である.
 音楽の機能については、様々な分類があるが、そのひとつを表1に示した2)。現在は,行動主義・精神分析・人間性心理学など,種々の学派によって音楽の捉え方が異なってくる.
 
3.音楽療法の位置づけと適応
 音楽療法は疾患に対する補助的治療,予防医学,疾患のケア・リハビリテーションとして,また広い視点では健康科学の一つとして,位置付ける
ことができる.
 音楽療法の適応を表2に示す3).
 疾患の補助的治療と予防医学の場合は,心を癒す,和ませる,リラックスさせる,苦痛や恐怖心から気を紛らわせる,不安を和らげるなどの目標から能動的音楽療法としてBGM的に用いられることが多い. 
 それに対し,疾患のケアやリハビリテーションの場合は,受動的音楽療法として楽器を演奏したり,歌を歌ったり,手や腕・足,あるいは身体全体を動かしたり,何らかの形で音楽とともに身体を使うことことが目的となる.
 健康科学の立場からはWHOの健康の定義で示されているsocial well-beingとの関わりが大きいといえる.個人の身体的・精神的に良好な状態に加えて、集団で共に音楽活動を行う体験を通じて、人間は社会的存在であることを、感じさせそして身につけさせていくことが可能である.
 上手に演奏できなくても,曲を完成させることができなくても,みんなで楽しく活動できるという満足感が得られる良さが、音楽にはある.集団の雰囲気や技能に応じて、個々に目標を立てるとよい。

4.音楽人類学の立場から
 4000年前、エジプト人は、音楽を「魂の医者」と呼んでいた。旧約聖書には、ダビデの竪琴の演奏により、サウル王が癒されたエピソードがある。1830年には、Dogielが音楽は人間の血行に影響すると詳細を述べている4)。
 アメリカ東部の工場で行った実験で、「音楽のない日」に対して「音楽のある日」には事故件数はほとんど変わらないが、生産の増加がみられた。そして、勤務時間内の音楽は一般的に、反復作業の多い所では生産を高め、適切な音楽の使用により、音楽は生産を増すのみでなく多くの従業員に満足感も与える、と考察している5)。
 音楽療法の方法論は、歴史的に、また音楽の作用によって4つに分類されるという6)。それらは、魔術的、数学的、医学的、心理学的パラダイムである。
 「魔術的」パラダイムとは、音楽の力により、神々が鎮まったり、病気が沈静化するなど、音楽が魔術的な力を有しているところから由来している。「医学的」パラダイムのポイントを表3に示す。

5.音楽の生理的影響
 音楽の生理的影響について、永田らの考察がある。「従来の多くの研究は,音楽と人間のさまざまな生理的機能である呼吸・循環・体温などの基本的なバイタルサインや比較的簡単に測定できる自立神経機能と単純に結びついたものになってしまっていたのは方法論上ある意味ではやむを得ないことだったかもしれない.研究が混沌としている理由には1)音楽の芸術性に関する点、
2) 被験者の個別性に関する点の2つがあるためである」7)という.
 確かに、一般的傾向をつかんだり、学術的な普遍性を検討するためには、同一の条件下で、同じ曲を用いた研究も必要となってくる.しかし,この
2点に目をむけると、客観的な考察や推論は難しくなってくる。
 その理由は、音楽を楽しんだり創造できるという機能は、人間だけが有するもので、「人間とは」「人間らしさとは」という論点を抑えこまねばならないからである.人間らしさとは,個人の価値観の尊重であり個人の自由性の尊重である.つまり個人の生きる意味の捉え方・価値観である.芸術とはまさに、この人間らしさそのものであると考えられる.
 従って効果的な音楽療法の実践には,個を尊重し聴く人の嗜好性,選択,音楽的価値観について十分配慮する必要がある.芸術や嗜好という人間独自の領域では特にそれが強調されるからである.   
 これらを踏まえ、音楽を聴取させ、血行動態(収縮・拡張期血圧,心拍数、1回拍出量,心係数,総末梢循環抵抗)や呼吸数、心電図R―R間隔、体温などへの影響をみた研究がある7).その結果、1)ホメオスタシスによってリラクセーションが導かれ、2)音楽のリズム・テンポが被験者の呼吸に同期し、音楽が呼吸をコントロールしていた可能性があり、3)音楽は,生体をホメオスタシスに向かわせたり、リラクセーションに導く効果、などが示唆された。
 ただし、これらの結果は音楽を聴くという受動的音楽療法についての研究である.音楽には楽器を演奏する,歌う能動的活動もある.カラオケを歌ってスカッとする,という言葉を耳にすることがあるが,歌唱についての研究により、息のコントロール・呼吸の問題とホメオスタシス・リラクセーションの関係が今後明らかになることが期待される。楽器演奏も含めて能動的活動についての生理学的影響の研究がまだまだ必要である.

おわりに
 個人の自由意志に応じて、音楽を聴いたり演奏したりすることは本来楽しいことである.しかし,十人十色といわれるようにその価値観は各々異なる.音楽の心理的影響の強さは誰しも認めるところであるが,治療に用いる場合は十分な配慮が必要である.押しつけや安易な判断で音楽療法を行っても効果は期待できないであろう.個人の尊重,個人の価値観を考慮したうえでより人間らしい手立てとしての音楽療法を目指す必要がある.
  (松本晴子 fwiz5845@mb.infoweb.ne.jp、板東 浩 http://piano-skate.musicpage.com

 表1 音楽の機能

1)薬としての音楽
2)魔術的神秘的な力としての音楽
3)情緒面と生理面に影響する要素としての音楽
4)コミュニケーションの方法・手段としての音楽
5)心をつなげる特殊な形式としての音楽
6)シンボルのシステムを表し組織する音楽

  表2 音楽療法の適応

1.疾患の補助的治療
  心身症および関連疾患
  本態性高血圧,気管支喘息,慢性胃炎,消化性潰瘍,過敏性腸症候群
  狭心症,陳旧性心筋梗塞,偏頭痛,緊張性頭痛,慢性関節リウマチ
  神経性食欲不振症,神経性過食症など
  神経症,うつ状態,不眠症
  更年期障害
  精神分裂病
  ストレス関連性障害,疼痛,不定愁訴
  不安・緊張により悪化する身体疾患
2.疾患のケアおよびリハビリテーション
  児童期:不登校,自閉症,精神遅滞,視覚障害
  聴覚障害,多動性障害など
  老年期:老年期痴呆など
  リハビリテーション:麻痺の改善,肺手術後の呼吸練習
  ターミナル・ケア
3.予防医学
  心身のリラックス
  感情のコントロール
  緊張・憂うつ・怒りなど
  特殊な状況での不安の軽減
  手術室,歯科治療,透析など

 表3 「医学的」パラダイム

・器質的疾患に対して音楽で治療
・精神疾患に対して身体への音楽で治療
・音楽は錠剤のようには処方できない
・音楽に対する反応は、個人の嗜好や生活歴、人格、心的状況、感情、認知などによって異なる
・音楽に影響されても、それが疾患の治療可能性に結びつくわけではない
・精神疾患には心理療法的援助が必須
・音楽の聴取だけでは不充分で、音楽を通して心理療法的関係が生まれる
・音楽が、血行動態など生体に向けられているのか、心に向けられているか
・治療媒体として身体に働く音楽療法か、医学的治療を補助するための音楽療法か

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