◆ 315・プライマリ・ケア医療と音楽療法

 近年、本邦の音楽療法は発展しつつあり、今後の展開が期待されている。今後、音楽療法に関わる人々は、音楽を専攻してきた人が多くなるだろう。音楽療法とは医学・医療の領域に含まれるものであり、医療における様々な考え方やケア、心理学、人間学などについて充分な研修が望まれる。
 筆者は、ピアニスト・認定音楽療法士として、音楽療法の啓発活動を行ってきている。また、内科医として、肥満や糖尿病など生活習慣病を専門としながら、プライマリ・ケア医学についても研鑽を積んできた。本稿では、医学と音楽の領域で、現代の日本に必要とされるプライマリ・ケア医学について概説し、それを活かす音楽療法についても併せて記したい。

 1)医学と音楽 
 はるか昔、医療というものがまだなかった頃、人々を動かしていたのは宗教や呪術だった。その後、呪術師が与える指示や薬草が、医師や薬剤へと発展した。同時に、呪術の儀式で木を叩くリズムなどが、音楽へと発展した。
 医学はサイエンスであるが、アートの側面もある。両者のバランスが大切だが、医学の発展とともに、次第に、病める人間ではなく、臓器しか診ない医学となってきた。そこで米国では、専門分化し過ぎた医学を反省する報告書が1960年代に出された。その後、全人的な医療を目指し実践するプライマリ・ケア医学の重要性が唱えられてきている。
 音楽に携わってきた人は感性豊かなことが多く、アートの部分はほぼ理解できると思われる。音楽療法には、この上にサイエンス的な視点が求められる。冷静で客観的な考え方や判断が必要とされるので、音楽療法士を目指す人は、目的・目標を持ちながら、適切な研修を薦めたい。

 2)時代は変わる
 19世紀は環境の時代だった。衣食住は不十分で、清潔な水の入手も容易ではない。医学といっても薬剤を考えるレベルではなく、食べるものに不自由していたのである。
 20世紀に入って環境は改善し、疾病率や死亡率は減少してきたが、結核など感染症による死亡が問題であった。その後、抗結核薬や抗生物質が開発され、長年人類が闘ってきた感染症に対応できるようになった。
 1970年代頃から、本邦では「ライフスタイルの時代」に入ったと言える。環境や衣食住、感染症よりも、各自の生活習慣が原因となって病気が引き起こされる。当時から、聖ロカ病院の日野原重明先生(現日本音楽療法学会会長)は生活習慣の重要性を説き、「成人病」から「生活習慣病」への変更を提唱していた。1990年台
半ばになり、ようやく厚生省が「生活習慣病」を採用したのである。
 21世紀は、患者の体質や状況により治療法を選択できるオーダーメイド治療、またはテイラーメイド治療の時代が到来し、必要に応じて臓器移植の頻度も高まるだろう。

 3)「第九」と牛乳
 医療と音楽に関して、特筆すべき事例を紹介したい。第一次世界大戦のとき、戦場で捕虜となったドイツ人が日本国内に移り、俘虜として生活したことがある。徳島県の板東俘虜収容所では、ドイツ人俘虜約1000人が1918年から2年数カ月を過ごした。彼らは地元の人々と親密に交流し、優れた文化、芸術、工学、技術を伝え、中でも音楽のレベルは高かった。いくつかの楽団があり、ベートーベンの第九交響曲「合唱」が本邦で初演されたのである。「運命」の初演もここで行われたとも言われる。
 彼らは、日本で始めて「健康保険組合」を組織した。健康を害した同僚のために、お金を集めて東奔西走した。医薬品の調達よりも、重要だったものは何か。それは、牛乳を手配して病弱な同志に飲ませることだった。当時、治療とは、必要な栄養、タンパク質を摂取させることだったのである。
 このように、心と身体の健康を目指す医療では、時代や状況、TPOによって、求められる内容は異なる。筆者は今までに多くの国々の医療を視察し報告してきたが、各国により事情は様々である。音楽療法士を目指す方々には、広い視野と冷静な観察力、柔軟な感性により、「何が求められているか」を把握し、的確な判断を望みたい。

 4)プライマリ・ケアとは
 プライマリ・ケアとは何だろう。読者が体調を崩した場合を想定し、話を進めたい。数日前から咳、痰、発熱が現れ、近所の開業医に足を運ぶ。「ちょっとした風邪ですね」と、薬をもらって飲む。元気になって、このたびの健康問題はとりあえず一件落着。これがprimary careであり、日本語に訳せば一次医療、初期医療と
なる。
 もし、風邪がこじれて肺炎の場合、近くの市民病院に紹介されて入院し、検査や治療を受ける。これがsecondary care(二次医療)である。詳しく調べて、どうも基礎に難病がありそうだと診断されて大学病院に転院した場合、tertiary care(三次医療)を受けることとなる。
 このように、風邪、腹痛、不眠、倦怠感、擦り傷、関節痛など、日常よくみられる健康問題を解決してくれるのが、プライマリ・ケア医である。たとえば、1000人の患者がプライマリ・ケア医を受診した場合、20-30人が二次に、数人が三次に送られるが、残りの患者の健康問題は、最初の段階で解決されるという。

 5)プライマリ・ケアから学ぶもの
 プライマリ・ケアを詳細に論じるのは容易ではない。そこで、プライマリ・ケア医の代表として、読者が日頃から面倒をみてくれている「かかりつけ医」について考えてみよう。「かかりつけ医」は読者の病気、病歴、性格、生活習慣、家族の状況などを知ったうえで、適切な治療やアドバイスをしてくれる。大学病院に飛び込んで診てもらった「一見さん」の医師とは全く異なる対応をするはずだ。それはなぜだろうか?
 その答えの一部は、表1にある。患者は「かかりつけ医」から5因子を自然に受け取っているのである。医療従事者は、この視点が必要だ。この医師ー患者関係と同様に、音楽療法士ークライアントの関係でも、表1は参考となるだろう。
 プライマリ・ケア医学は総合医療、家庭医学、家庭医療学などと、プライマリ・ケア医は総合医、一般医、家庭医などとも呼ばれている。日米の医学校では、近年、プライマリ・ケアの専門医を養成する講座が新しく生まれつつある。将来、プライマリ・ケア医は複合型プロジェクト「チーム医療」でコーディネータの役割を担い、この中で音楽療法士も一緒に働く時代が来るだろう。

 6)音楽療法士の客観性
 辛口なコメントだが、音楽療法を勉強している人に、主観的な思いこみが強すぎる場合がある。たとえば、「私が音楽療法セッションをした後、患者Aさんはこんなに元気になった。私のセッションが良かったからだ」と信じてしまう。これは誤りだ。どのような項目がどれほど改善したのか、科学的な物差しが必要。良くなった理由を検討すると、多くのファクターがからんでいる。「その音楽セッションが、少なくとも一部は(at least in part)関与したことによって、Aさんの○○という評価項目が改善したのであろう」、というような考察が正しい。
 これらの客観性を高めるため、有用なチェックリストを紹介したい。我々は、従来、「音楽介護評価表」を作成し研究を続けてきている(表2)。本表は簡便に数値化ができ、音楽療法前後に評価できる。

 7)料理と感性
 日本人に備わっている素晴らしい感性。四季があって自然を感じられる民族である。お互いのコミュニケーションは複雑だ。言葉によらないコミュニケーション(non-verbal communication)として、身ぶりや手振り、ちょっとした顔色の変化により、微妙な感情を伝える。「結構です」という返事は、イエスかノーかは、その場にいないとわからない。欧米文化にありがちな黒か白か、1か0かというデジタルではなく、灰色で分数のように割り切れないアナログの文化だ。このように、日本の気候・風土・文化で、感性がとぎすまされてきた。
 日本人は旬に敏感だ。「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」という有名な句もある。俳諧歳時記でも、一年中、食の話題で盛り上がる。テレビでは、料理や食べ歩きの番組が多い。その種類とバリエーションにいつも感心させられる。
 味覚の研究によると、西洋料理では甘、辛、酸、苦の4つだが、日本料理では、甘、辛(ピリッ)、辛(塩)、酸、苦、渋、美(うまみ)の7つがあるという。

 読者はこのように意識していないだろう。でも、実際には、いろいろな食材からおいしい料理を作ったり、創作したり、微妙な味付けをしたり、味わっているのである。

 8)セッションと感性
 音楽療法のセッションは、料理と同様である。敏感な感性によって、クライエントのニードや雰囲気がすぐにわかる。基本の流れとアドリブを併せて、クライアントがハッピーになるように対応できるはずだ。
 その際には、イントロとして聴覚、視覚、嗅覚、味覚、触覚など五感に訴える話から導入するとよい。歳時記に関わるもので、五感を刺激する例を表3に示す。なお、セッションの行う場合、アウトラインや原則を表4に示す。「頭がよい人は料理もうまい」という。感性がある人は、料理も、セッションも、その人自身も、魅力に溢れたものとなっていくだろう。

 おわりに
 本稿では、医師・認定音楽療法士の立場から、プライマリ・ケアおよび音楽療法に関わる事項に触れた。これからの音楽療法士は、サイエンスとアートの2つの物差しを持ちたい。客観的な判断ができるとともに、感性豊かなアンテナでクライアントの気持ちを瞬時に受け入れ、魅力に富むコミュニケーションや音楽セッションを行う音楽療法士を目指してほしい。

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