◆ 312・癒しの音楽を考える-1

 癒しの音楽について考える場合に、これに関わる社会、医療、経済など様々な状況を考慮して議論する必要がある。本邦では平成12年から介護医療制度が始まり、医療現場において大きな変革期を迎えている。
 他方、筆者は、生活習慣病やプライマリ・ケア医学を専攻する内科医に加えて、ピアノ演奏や音楽療法の啓発活動を行う音楽家、アイススケート国体選手を務めるスポーツ競技者でもある1)。様々な活動を通じて、気づいたことがある。音楽療法の理論と実践は、私たちの生活や人生、医療の現場に密接に関わっているということだ。知識と経験を積み重ねていくことにより、自分を慰め、周りの人を癒し、人々を幸せに導くことができるのである。

 以上より、本稿ではまず癒しについて総論的に記述する述べる。次に、本邦の病院や高齢者施設などの現場で役立つような情報について触れる。

 1・「癒し」は広い
 近年、癒しがブームである。わが国は、戦後、高度成長を遂げ経済大国へと成長し、人々の暮らしは豊かになった。衣食住には余裕があり、生活していく上で、常に「命」にせまるような危機感はない。しかし、社会・経済構造が変化し、教育も揺らぎ、ストレスフルな毎日が続く。夢や希望がなく、目標を設定できず、「心」がうまくコントロールされていない状況と言える。
 癒しについて探求する場合、まず、「命」や「心」から考えていくとよい。関連する領域は、社会学、文化学、心理学、精神分析、精神医学、看護学、児童心理学、認知心理学、行動分析学、教育学、童話学、死生学、考古学、歴史学、仏教、旧(新)約聖書など多岐にわたる。
 これらの各分野について、知識と経験を積め重ねていけば、次第に山は高くなり麓も広くなる。高くそびえる山々が繋がれば、連峰や尾根が形成され、ようやく「癒し」について概略がわかるようになるだろう。
 最近、WHOが発表した「健康」の定義には、心的、身体的に加えて、霊的(spiritual)なファクターが追加された。今後、Bodyとmindをつなぐ架け橋としてspiritあるいはspiritualityが重要となるであろう。
 一方、「癒し」がわかるためには、その逆の体験が必要だ。大きなストレスを回避せず、真摯に受けとめ立ち向かうというdiscipline(修行、訓練生)の経験があるとよい。そうすれば、心身をうまく癒す(heal)ことが健康(health)につながると実感できる。そして、心身を休めることは神聖(holy)なもので、その日は楽しい休日(holiday)、となるわけだ。
 近代の医学では、物事を細かく分析し、人を心と身体を分けて判断する。この傾向への反省から、プライマリ・ケア医学や家庭医療学など、全人的(holistic)医療が注目されている。音楽療法に関わる人には、クライアントの一部ではなくすべてを受容し理解した上で実践を重ねていって欲しい。

 2・「癒し」という漢字
 元来、病気は悪霊や悪い風が運んでくると信じられていた。「風邪」とは、「邪悪な風が吹いて病気がもたらした」という意である。また、脳の血管が裂けたり詰まったりすると、急に動けなくなり「脳卒中」と呼ばれている。これは、弓と矢と的(まと)にその理由がある。弓を射って矢を小さな的に当てるのはなかなか難しい。脳卒中とは、「脳の中にある、重要で小さなポイントに、卒然として悪い風が中(あた)ってしまったもの」なのである。
 一方、病気が治ったり回復するとはどういうことか。古来、身体の中にある悪い原因を除いたらよいという考え方があった。中世のころには、悪い原因を考えられる血液を除く治療として、瀉血という治療法が広く行われていた。多数のヒルを皮膚に置き、血を吸わせた。実際に、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
自身もこの治療法を受けたのである。
 それでは、「癒し」という漢字の成り立ちについて、考えてみよう。「やまいだれ」は病気に関係ある意を表す。その中にあるのは「愈」。この字は、「丸太をクルっとくり抜いて作った小さな舟」を意味している。ここから転じて、「身体の中にある病気のかたまりを、クルっとくり抜いてしまうこと」を、「癒」という字で表現したのである。心や身体が癒されば、安心できる。心が安(やす)らぎ、和(なご)やかな気持ちで生活できるのだ。
 
 3・代替療法と癒し
 音楽療法は、世界的な基準でみれば、代替療法のひとつとして知られている。本邦でも、近年、代替療法の大きなうねりがみられるので、概説する。
 従来、医療の現場では、西洋医学の理論に基づいて様々な治療が行われてきている。これら通常の療法に対して、代わりに替える療法と考えることで、本邦では代替療法(Alternative Medicine)と呼ばれている領域がある。米国では補助的・代替療法(Complementary and Alternative Medicine,CAM)と呼ばれ、統合医学(Integrative Medicine)ともいう呼称もある2)。
 代替療法には、整体、鍼(しん)、灸(きゅう)、音楽療法、芳香療法、バイオフィ-ドバック、気功、色彩療法、園芸療法、運動療法、全人的健康法、想像療法、瞑想、正常生体分子療法、植物抽出物、漢方薬、薬草療法、健康食品、リラクセ-ション、自己鍛練法、治療的マッサ-ジなどが含まれる。
 上記について、アメリカ国立衛生研究所(NIH) では16万件の情報を収集し管理している。CAM を受ける患者数は年々増加し、一般内科医への受診数(3.9 億人)より、CAM への受診数(6.3 億人)が多い。医療費で比較すると、全米すべての入院費用よりも、CAM に支払われた費用の方が多かった。全米の調査では、64% の医学校にCAM の講義があり、ハ-バ-ド大学では7年前から代替医療講座が設置されている。これほど代替医療が大きなウェイトを占めている現在、医師は患者に適切なアドバイスを与えねばならない。
 このように、米国や日本など医学・医療の先進国では、さらなる「癒し」を求めて代替療法を求める患者が増加しつつある。

 4・音楽による癒し
 音楽は「音が楽しい」と書く。礼記巻19楽記には「凡そ音の起こるは人心に由りて生ずる也」とあり、宇宙論的、道徳的な音楽観がある。楽の旧字の「樂」を分析すると、木;<台>の上に、幺;<騎鼓>が左右に2つ置かれ、白;<鼓を打つ>という意味である。すなわち<器楽>のことで、古く中国では<音楽>と呼ばれ
ていた。以上より、「楽」という漢字の中には、音も詩も舞踏もすべて含まれていることがわかる。
 近年、芸術療法が注目されている。絵画、音楽、俳句、陶芸、ダンスなどが代表的なものである。いずれも感情を表現する右脳を活性化し、心を癒す働きがある3)。この中に音楽療法があり、心理療法、精神療法などとも関わりがあり、オーバーラップしている。
 医学は科学(サイエンス)の一つで、音楽は芸術(アート)のひとつである。サイエンスとアートの両者を含む音楽療法では、格調高いものだけでは不完全である。芸能や芸というファクターも必要で、楽しめるものでなければならない。芸術では、供給者の価値観・満足度が最も大切である。一方、芸能や芸では、受給者の
心の状況を読みとって対応しなければならない。
 これらがうまくマッチすれば、音楽は精神・身体に対して大きな効果を及ぼす4)。そのファクターを表1に示した。
 音楽が心を癒す理由について、ひとつの考え方を図1に示す。音楽の機能は、ブラックボックスという箱の中に隠されている5)。ここにヒトの心が入る。この箱は、洗濯機、あるいは洗浄機みたいなものであり、空気や水が循環することで、心は洗い清められる。最初は、悲しい、暗いという入口から入った心が、楽しい、明るいなどの出口から出てくると考えられる。
 音楽によりクライエントに癒しを与えるには、円滑なコミュニケーションとマネジメントが必要である。この3要素は、順に
1) Music performance まず、音楽を奏でて、
2) Music education   次に音楽を理解させ、
3) Music recreation  創造性を持って一緒に楽しむ、のである。

 5・日本人の癒し
 「癒し」とは、そもそも曖昧で非言語的なコミュニケーション(non-verbal communication)である。その中には「甘え」が内在しており、間を大切にすることという6)。察すること、くみとる事、言わなくてもわかってくれる事、気づいてくれる事、という非言語的な関わりが、我が国における美しいコミュニケーションの姿として、私たちの生活や文化を支えてきた。
 癒しを感じる状況は、国・宗教・文化や、日常の衣食住、真善美の感じ方によって大きく異なる。西洋と東洋(仏教)の違いについて表2に示した。
 日本の芸術は伝統的に日常と密接な関係にあり、衣食住の美化にも影響していた。茶道、華道をはじめ、趣味と芸術を区別しない傾向がある7)。日本人には、生き方の美学、生活の中にある美学、実用を主体とした美学、美をことさら求めないところに成立する美学、などがみられる。
 一例として「いき」を挙げる。「いき」とは日本独特のもので、外国語への翻訳は難しい。これが把握できれば、日本文化を理解に近づくことができる。「いき」自体を考えるよりも、この周りにある野暮、下品、派手、地味、渋み、甘みとの言葉と対比するとわかりやすい。
 「いき」とは、媚態、意気地(いくじ)、諦めの3つの因子から形成されるという。これらは抽象観念ではなく,言葉遣い、ものの言いぶり、表情、姿勢、しぐさ、服装といった具体的な表現で、絶えず発散されている。
 次に、日本人は音に対して特徴的な点がある。楽器(笛)の音と自然音(波の音、松風)とが融合した趣を賞でて、「風流」と感じる事例が多い。たとえば、源氏物語の若菜下には、「波風の声(馨)に響き合いて、さるこだかき松風に吹き立てたる笛の音も、ほかに聞く調べには変わりて身にしみ」と。波の音と千鳥の音とをイメージした箏曲「千鳥の極」などもある。日本人は、自然音に対して、楽音と同じように聞こうとし、聴く傾向がみられる。
 以上の「いき」や「風流」に対して、日本人は「癒し」の気持ちをじやすいと言えるだろう。

 6・日本人の歌と舞
 音楽という漢語は古くから使われていた。平安時代、藤原道長は「東遊(あずまあそび)を停止して、音楽を演奏する」と日記に記した。東遊とは関東の舞踏に由来し、歌・舞・器楽のコンビネーションからなる。歌人6-8人、舞人6-8人、笛、ひちりき、和琴が各一人という構成だが、日記の記載によると、これを音楽と解釈していないようだ。
 「音楽」や「楽」とは、しょう、ひちりき、竜笛、箏などの管弦合奏によって寺社での儀式で奏でられたものを指し、現在の「雅楽」に相当する。
 明治時代となり、音楽取調掛(現・東京芸術大学音楽学部)が発足した。その後、ミュージックやムジークが公的に「音楽」と訳され、世の中に広まった。一方、かつての「音楽」は「雅楽」と呼称されるようになった。
 日本には古くから、神楽、雅楽、声明、琵琶楽、能楽、尺八楽、箏曲、地歌、浄瑠璃、長唄、端歌、小唄など音を用いる芸能が多い。これらは舞踏と笑いが併せられており、「あそび」「うたまい」と呼ばれていた。日本と西洋とで異なる重要な点がある。西洋では音楽だけを鑑賞し楽しむが、日本の音楽や舞では、様々な物語も一緒に併せて語られているのである。

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM