◆ 306・音楽療法の現状と展望

The music therapy: New strategy for health careand education.
松本晴子1),板東浩2),村井靖児3),筒石賢昭1)
1)東京学芸大学大学院教育学研究科,
2)徳島大学医学部第一内科,
3)国立音楽大学音楽研究所
要旨:
 近年,わが国では音楽療法が大きく注目されつつある。音楽を医療に応用しようという試みは旧約聖書や古代エジプト時代の文献から垣間見ることができるが,わが国は20世紀初頭に導入され,緩やかに医療の現場を中心に普及してきたものである。わが国において音楽療法の手法は,医療の現場だけではなく,教育分野などにも応用されつつある.これは国際的に見ても特筆すべき特色である.本稿では,音楽療法の臨床・研究ともに最先端を行くアメリカの歴史と現状をふまえ,わが国の音楽療法の現状と展望について論じる.

Abstract:
The music therapy has been getting well-known in Japan. It hasbeen thought to be useful for the treatment of various diseasessince ancient Egyptian era. In our country, music therapy hasintroduced at the beginning of 20th century, and graduallydistributed for medical and health care use. Now, it should be particularlyadverted that the technique of musictherapy has been using for not only medical or health care use,but also education in Japan.We mentioned regarding the current topics and hereafter possibility of music therapy referred to the history of that in the United States.

①・音楽療法とは何か
音楽療法とは、一般的には、文字通り疾患を有する患者の治療に音楽を用いることと認識されている。しかし、全日本音楽療法連盟によれば、音楽療法とは「身体的ばかりでなく、心理的にも、社会的にもよりよい状態(Well-being)の回復、維持、改善などの目的のために、治療者が音楽を意図的に使用すること」と定義されている(*脚注1)。この定義はWHOによる健康の定義に通じるものであり、音楽療法が単に疾患の治療だけではなく、社会心理状態をも含む広義の健康を改善するために応用されるべきものであるということを示すものである。

②・大きな注目を集めつつある音楽療法
音楽療法の適応には、表1のようなものがある[1]。めまぐるしい変化をみせる最近の社会情勢において、音楽療法の心理社会面での有用性が注目され、医療関係者や音楽家、教育関係者を中心に、音楽療法の幅広い有用性に関心を持つ人が増えている。流れ作業のような3分間治療が問題になり、十分なインフォームドコンセントを求める声が叫ばれて久しい。病気になり弱気になっている患者にとっては、スキンシップのある主治医の温かい診察が最も重要である。また、現在病院を訪れる人の中には、精神医学的あるいは心身医学的問題を有する患者も含まれる。音楽が患者の身体や脳、心に働きかけ、治療効果を高めている例が日本バイオミュージック学会や臨床音楽療法協会などの学術集会で多数報告されている。現代社会が抱える社会病理的、社会心理的問題も音楽療法のニーズを高める要因になっている。21世紀を目前に、日本の経済は不安定且つ先行き不透明であり、失業者や管理職の自殺等が大きな社会問題になっている。また、人間関係の歪みなどによる社会的なストレスに苦しんでいるのは社会人だけではない。学歴化社会に翻弄される子供たちと、子育てに悩みを抱える母親が増え、時に殺人や暴力にまで及んでいることはマスコミを賑わしている大きな社会問題である。子どもの遊びはパソコンや室内ゲームなどに変容し、人間関係の希薄さが問題になっている。「いじめ」「セクハラ」「ストーカー行為」など、従来の日本にはなかった陰湿な問題が表面化しているのが今日の病める社会である。このように働き盛りの世代はもとより、母親や子供に至るまでストレスを抱える現状で、音楽によって癒しを求める人々が増えている。

③・米国における音楽療法の歴史
現在日本で行われている音楽療法活動の基礎は米国に依るところが大きい。そこで、米国の音楽療法がどのように発達してきたか音楽療法の流れを振り返る。村井によるとスタートから現在までを3つの時期に区分することができる[2]。

 1.第一期:音楽慰問活動期
20世紀初めに起こった米国最初の音楽療法活動は、精神病院で行われた慰問演奏活動である。1903年音楽家Eva Vescelius がアメリカで最初の音楽療法学会National Therapeutic Society in New York Cityを設立した。音楽を治療の手段として考え、薬と同じ原理で病気に音楽を処方し、その対象は、精神疾患のみならず現在の心身症のような症状にまで及んだのであった。1919年コロンビア大学に音楽療法課程が新設され、1939年、Musician Emergency Fundが退役軍人のための音楽サービスを実施した。1944年にはミシガン州立大学も音楽療法課程を新設し、以後カンサス大学、シカゴ大学、パシフィック大学、アルベルノ大学、ボストン作業療法大学など多くの大学が音楽療法課程を導入した。

 2.第二期:病院音楽活動推進期
音楽療法は、第二次世界大戦をきっかけに急速に発展した。戦争から帰還した心身ともに負傷した兵士たちに対して音楽療法によって癒しと活力を与えたのである。さらに、手を失ってしまった兵士のリハビリテーションとして足による楽器演奏を指導するなど、心身ともに希望を与えるメディアとして鑑賞と演奏の両面にわたる音楽活動が軍病院でさかんに行われた。当時この活動は作業やレクリエーションとして音楽家とともに行われた。この頃から音楽活動の専門職として「音楽療法士」の養成が急務となり、1950年には「全米音楽療法協会」National Association for Music Therapy(NAMT)が設立され、そこから公認音楽療法士 Registered Music Therapist(RMT)の資格が授与される制度が生まれた。

 3.第三期:治療音楽期
治療への応用・研究が進み、音楽の持つ機能性を活用し病気の治療に用いる方法として音楽療法の位置づけが定着した。領域は広がり、自閉症、躁鬱病、精神分裂病、 精神薄弱児、身体障害者、心身病、ホスピス、高齢者、ストレス病など社会のニーズに応えて様々な場面で試みられている。1971年にアメリカ音楽療法協会American Association for Music Therapy(AAMT)が発足し、Certified Music Therapist(CMT)の資格が授与された。1985年音楽療法の資格審査を行なう音楽療法士認定委員会(CertificationBoard Music Therapy,(CBMT))が設立、両協会の資格の妥当性が強化され、合格者には、RMT-BC、CMT-BCが授与された。1998年NAMTとAAMTが合併し、American Music Therapy Association (AMTA)が成立された[3]。
以上のように、アメリカの音楽療法は、精神的に病んでいる人へのボランテイアから出発し、戦争を通しての心身ケアへ、そして社会のニーズに応じた多方面での応用が推し進められてきた。そして、それに併せて専門に行なう音楽療法士の養成教育機関や制度が整備され、音楽療法がより高いレベルで治療や福祉、教育に貢献すべく研究と実践が行なわれて来たのである。

④・米国における音楽療法の現状
現在のアメリカでは、音楽療法を専門に行なう音楽療法士の地位が高く社会に認められており、職業の紹介も各州のAMTAが行なっている。AMTAが認定した養成教育機関は、全米に約80校ある。1997年末までは、NAMTとAAMTがそれぞれカリキュラムを指定していたが、合併後まもないため、両団体の現行制度を仮にではあるが認めている。各団体のカリキュラムを表2に示す。この他にも、Board Certified制度(大学の音楽療法コースを履修せずに、一定期間以上現場で実践してきた人が試験を受けて協会から認定資格を得る)や、大学で音楽療法を専攻しなくても、足りない単位だけを集中して取得し資格だけを得る方法もある[4]。
音楽療法士の資格を取得すると、多数の音楽療法士が常勤で働いている大きな病院や施設、一人で地方の小さな施設などに勤務する。また、音楽療法士のプライベート・クリニックもある。概して常勤の形態が多く、パートの仕事がほとんどの日本とこの点で大きく異なるものである[5]。しかし、先進国のアメリカでも音楽療法士は国家的認定資格ではなく、競争が厳しく、実践を始めて数年で他の職業や学業に転向する人も多いのが現状である。

⑤・日本の音楽療法の歴史と現状
欧米に比べ我が国の音楽療法の発展は著しく遅れてきた。日本の音楽界では、音楽の技能を磨き、その成果を競い合うことが重要であると歴史的に考えられてきた [6]。 このため、一般市民や児童生徒に対する音楽指導にもその姿勢が反映され、歌が上手か下手かを判定する競争ばかりがクローズアップされるようになってしまった。また、環境音楽BGMが終戦直後に日本へ導入された時には、「仕事をしながら音楽を聴く態度は良くない」「音楽は誠心誠意、心を傾けて注意を集中して聴くべきもの」と言う声が音楽家に多く、浸透には時間がかかってしまった。産業界でも、音楽を聴きながら仕事をするのは不真面目であるという見解が経営者側から示され、労働者側からまでも、音楽で能率を上げることは、労働の搾取につながるという宣言が出されるという状態さえあった。このような文化的背景から、わが国の音楽療法の発展が阻害されてきたと考えられる。日本の音楽療法が本格的に浸透するようになったのは、戦後アメリカで出版されたランディンとボドルスキーの著書による影響力が大きいといわれ[7、8]、さらに、1960年代に音楽療法の世界的権威であったジュリエット・アルバン女史の来日により実践的な音楽療法の臨床効果が注目されるようになったのである。 1969年には芸術療法研究会(現芸術療法学会)が、1986年には日本バイオミュージック研究会(現日本バイオミュージック学会)、1995 年には全国組織として臨床音楽療法協会が設立され、後に二者が合併して全日本音楽療法連盟という形で発展を遂げるようになった。

 近年、音楽療法への関心の高まりと期待から、年を追う毎に音楽療法士を志す人が増えており、全日本音楽療法連盟が認定した音楽療法士は現在338名にのぼっている。また、地方自治体が独自に認定した音楽療法士が岐阜県と奈良市におり、それぞれ119名、13名である。さらに、日本各地に音楽療法関係の団体が誕生しており、30団体が活発な活動を展開している。また、アメリカの音楽療法士の日本人有資格者41名のうち20名が日本で後進の指導や臨床に従事している。音楽療法は、わが国でも着実に専門医療資格として認知され、大きな注目を集めつつあるのである。

⑥・日本の音楽療法の展望
わが国ではまだ音楽療法士資格は国家資格になってはいない。音楽療法を医療や福祉の現場で活用している機関も決して多いとは言えない。しかし、これまでわが国で行われてきている障害児、精神科、高齢者のケアに加え、さらに広範囲な領域での音楽療法の手法研究が推し進められ始めており、今後の発展が期待されている。さらに、疾患や病的な状態を改善するために音楽を用いようといういわゆる狭義の音楽療法だけでなく、例えば強度のストレスに継続的に暴露されているために心身疲労の状態にあるというような、病的とはいえないが健康ともいいがたい状態や、病的な状態に至ることを予防するために音楽療法の手法を利用しようという予防医学的研究や実践が展開されている。また、健康な状態を維持することによって、あるいは促進することによって心身の健康な促進を促すことを目的とした教育面での応用が注目されつつある。

⑦・音楽療法を応用した音楽教育の方向性
学校教育の荒廃、青少年犯罪の多発・凶悪化が大きく問題になっている今日、健全な精神と身体、学力をバランスよく養成する全人的教育の必要性が叫ばれている。上記のごとく、社会の歪みが家庭や学校を通して生徒、学生に及んでいる現状において、音楽や美術などの情操教育の重要性は益々重要になっている。それにもかかわらず、2002年からの学校週5日制に向けて、学習指導要領が改訂になり音楽の時間数は減っている。このため、教育現場では短縮された時間数の中でより能率的・効果的に健全な心身を育成する学科としての音楽教育を工夫しなければならなくなっている。

 このような背景から、これからの音楽教育は音楽療法の手法に学ぶべきものが大きいと考えられる。音楽療法が単なるヒーリングミュージックや音楽レクリエーションと異なる点は、明確な治療目的と対象を持つことであり、音楽学、心理学、医学の総合的な学問体系の上に成立する治療法だという点である。精神神経科や心療内科のように、明確に病的な状態を劇的に改善するだけの治療能力は、音楽療法にはそれほど期待できるものではない。しかし、前述のごとく、精神神経疾患や心身症の治癒促進効果や、病的な状態までに至っていない心身の歪みに対して大きな効果を発揮することが報告されている。音楽療法の手法を用いることによって、健全な心身を育成するための音楽教育にも大きな効果を発揮する可能性が示唆される。音楽療法において行われている、個々に応じたアプローチの工夫、評価など、きめ細やかな方法と理念を分析研究し音楽教育に生かしていくことが大切である。音楽療法の手法を教育に取り入れる試みはまだ始まったばかりであるが、今後の発展が期待される。

 文献・引用URL
1 Cammbel,D.:最終楽章.日野原重明監修,モーツアルトで癒す,日本文芸社,東京, p.270-321,1999.
2 村井靖児:心の病をやわらげる音楽療法.櫻林仁監修,音楽療法入門,芸術現代社, 東京, p.61-66,1978
3 生野里花,海外の音楽療法.東京音楽療法協会第10回講習会テキスト,東京、1999.6,11.
4 http:// www.musictherapy.org/
5 加藤美知子:音楽療法とは.音楽療法の実践, 星和書店,東京,p.3-7,1995.
6  櫻林仁:音楽療法研究.音楽之友社,東京, p.12-14,1996.
7  Lundin,R.W.An Objective Psychology of Music (2nd). New York:Roland Press,1967.
8 Podolsky, E. Music Therapy. New York:Philosophical Library.1954.
  
脚注1
本定義は、全日本音楽療法連盟による音楽療法の定義が定まるまでの暫定的定義である。

表1
医療分野:
〔発達障害領域〕てんかん、自閉症児、情緒障害児、精神遅滞、学習障害児
〔精神科領域〕分裂病、躁鬱病、てんかん、痴呆症、心身症、注意欠陥障害
〔高齢者〕痴呆症、アルツハイマー病など
〔ホスピスケア〕 
〔その他〕術後患者、透析患者、脳卒中、喘息患者、内視鏡の苦痛軽減、失語症、虐待、疼痛、エイズ、アレルギー、癌、脳性麻痺、心臓病、高血圧症、不眠症、パーキンソン病、耳鳴り、薬物中毒、アルコール依存症、歯の治療、トイレの訓練など1)

健康分野:
〔リラクゼーション〕
教育分野:
 〔特殊教育領域〕
養護学校、養護・長期入院施設、特殊学級
 〔学校教育〕
音楽科教育、カウンセリング、発達促進、QOLの向上など
 〔その他〕
更生施設、福祉施設

その他:
 〔環境音楽〕ホテル、イベント、ビジネス、会社、医院など
表2 各団体による音楽療法士養成カリキュラム NAMT:授業の単位と時間数を全認定校で統一、四年間の学部教育と半年間の臨床、インターンシップとして病院で研修を受ける AAMT:音楽療法士専門能力基準という柱を基本にそれぞれの学校がカリキュラ ムを作成する。大学院2年間の学業が資格取得の基本で、学外のインターンシップ制度はない。AMTA:四年間のカリキュラムの中に、音楽、一般教育と共に音楽療法のコースワークや臨床現場でのフールドワークが含まれている。AMTAが認可した単位を習得した後にインターンシップを行い、CBMTによる国家試験を受験する資格を得る。

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