12月は「合唱」
12月は「合唱」
空のかなたから、ひらりとドイツ人が舞い降りてきた。着地した
のは,徳島城博物館の庭園。先日、ここでエンゲル記念市民
コンサートが開かれた。笛や三味線の「阿波踊り」から,次第に
ベートーベンの第九交響曲「合唱」へと続く。演奏は富岡西と
阿南高専ブラスバンドだ。音楽に加えて演劇のストーリーも興味
深い。特に印象的だったのが,指揮棒が若い音楽家に託される
場面。脚本や演出,監督,演奏,合唱など、みんなの力を合わせた
秀作だった。
パウル・エンゲル氏は,かつて板東俘虜収容所で活躍した
バイオリニスト。楽団を誕生させ,音楽の素晴らしさを人々に
広めたのだ。その功績が徳島に,そして全国へと受け継がれている。
さて,12月にはあちらこちらで「合唱」が演奏されている。
本邦で初演されたのは1918年で、場所は板東俘虜収容所。その後,
日本では暮れの「第九」現象が見られるようになった。その理由
として「第九忠臣蔵説」がある。本来は、越年資金を願う楽員たちの
ための演奏会だった。これに最後の交響曲という特別な意義を感じる
日本人の心情が重なり、いつも満員となる。「合唱」の終楽章には、
来世への道のりが示唆されているという。読者の皆さんはどのような
想いで聴いているだろうか?
今、徳島の芸術文化はダイナミックに展開しつつあるようだ。
エンゲル氏が徳島公園から天国に帰る際に言った。「心の音楽を
次の世代に伝えていきましょう」と。