◆ 31・1カ月で身体は進化する
 平成13年夏から秋にかけて、私は刺激的な4カ月を過ごした。というのは、いくつかの目標に対するトレーニングにより、私の肉体は明らかに変化し、進化したと感じたからである。このたび、科学者の目で、客観的に観察し、分析することができたと思う。

1)まず、私の心と身体について概説する。44年の半生を反省すると、心には持久力がある程度あると思う。一方、身体については、子供の頃から、短距離は速いが、中~長距離は、ほとんど最後尾と、持久力はなかった。おそらく、筋肉は白筋が多く、赤筋は少ないのだろう。最近、私の肉体を科学的に調べたデータを紹介する。自転車のペダルを踏みながら、コンピュータで負荷量を変えて、持久力を測定するもの。最大酸素摂取量は2.31 l/分、体重当たりでは36.9 ml/kg・分と、6段階では下から3番目の評価のレベルであった。

2)平成13年7月には、3分間の肉体を作りあげた。石川県根上町でのローラースケートの大会のため。昨年はシニア部門で2分35秒のタイムで優勝できたものの、後半には、太ももはパンパンで動かず、息は絶え絶えで心臓は喘ぎ、どうなることかと思った。
 そこで、今年はスタミナ保持のため、前傾姿勢に耐える訓練を行った。最初は1分40秒で太股の筋肉が痛みだし、低い姿勢がとれずギブアップ。しかし、トレーニングを続けていると、痛み出すのが2分10秒後となり、3分まで耐えられる身体へと改造されたのである。すなわち、乳酸の生成が遅くなり、乳酸が蓄積しても筋肉運動を続けられる身体へと進化したのだ。本番のレースでは、強風にもかかわらず昨年とほぼ同タイムで滑走し、二連覇を果たせた。

3)平成13年8月は、ピアニストの身体へと改造した。私が今までピアノコンクールに出場したのは、12歳までと36歳の時で、今回は久しぶりである。

 改造のポイントは「脱力」。ピアノは打楽器の一つであり、鍵盤を叩くとされるが、それは大きな誤り。鍵盤は、指先で微妙に撫でるものだ。それも肩、上腕、前腕、手首、指の力を抜いて、100分の1mmほどの違いの感覚で深さを調節しなければ、きれいな音色はでないのである。

 脱力とは、本当に難しい技だ。知らない間に、力んでしまう。そのトレーニンには、筋肉の緊張と弛緩、心の緊張と弛緩、これらを自分で工夫しながらそれぞれ行うのである。

 以前に自分の前腕や指の筋電図を取ったことがある。鍵盤を叩いて、ふつうに力を抜くと約80msecだった。瞬時に脱力するようにすると約30-40msecとなった。音色はこれだけでは決まらない。

 世界最大のピアノコンクールとして知られるPTNAピアノコンペティション。今年は全国から28000人がエントリーし、東京決勝大会に進んだのは400人。私はその中の一人で、シニア部門で上位の数名以内に入賞し奨励賞を頂いた。大切なのは、結果ではなくてプロセスだ。久しぶりに、心と身体のいずれもで緊張と弛緩というストレスと癒しを感じることができた。青春ふたたび、夏の1ヶ月は、私の心も熱く燃えていたのである。

4)平成13年9月は、大変の1カ月だった。私は音楽療法の学会の世話をさせて頂いているが、様々なマネージメントが重なった。通常と異なり、膨大なマネージメントの処理が必要で、ほとんど眠れない日々が続いた。体は弱り、気力だけでがんばっているという状態だった。これも、神様か仏様が与えてくれた試練であると思っていた。確かに、筋肉が痩せたが、ここからどのようにするかが工夫である。

5)平成13年10月は、再びスケート訓練の月。岐阜県の長良川の河川敷1300mのコースで、毎年国際インラインスケート大会が開催され、この4年間の私の成績は、10-20位、9位、5位、4位と昇ってきていた1年間の練習で、毎年わずか数秒ずつ早くなってきていた。有森祐子の言葉のように、「次第にタイムがよくなっている自分を誉めてあげたい」、と自画自賛してきた。人と比較しての競争ではない、自分自身との戦いなのである。

 そんな時、驚くべきニュースが飛び込んできた。
 
 高橋尚子がシドニーオリンピックで優勝し、地元の岐阜県が、「高橋尚子ロード」という名づけて、コースを延長し2000mになったのだ。そもそも持久力がない私は、「2000m!」という文字をみると、気が遠くなってしまった。
 いつもながら結果は気にせず、大切なプロセスの計画をたてた。レースは2000mで、最後の300mはやや登り坂。ここは心臓破りの坂で、多くの選手がばててしまうだろう。予想タイムは3分40-50秒。

 以上から、5分の耐久レースと判断し、体を改造し始めた。スクワット、手振り、スライドボードで横滑り、自転車踏み、レッグプレス、すべて5分ずつ行った。3分と5分は全然違う。少し力を使いすぎれば、到底5分は体が持たない。その感覚を体で感じ覚えることができた。
 レースの間際に、高橋尚子の走りを分析したテレビ番組があった。マラソン時における上肢と下肢への血流の比率の研究が紹介された。有森祐子は両手を大きく前後に振って腕で引っ張って走るタイプで、血流の比率は上肢が4、下肢が6という。一方、高橋尚子は、小さくやや横に振るために上肢への血流は少なくてすみ、3対7という。
 そこで、私は、ハタと気がついた。スケート滑走では、両手を振るとすぐに疲れてしまう。片手の場合、前腕の重みを使って、肩と肘の関節を脱力しながら振ると楽だ。中~長距離では、両手を背中に組んで滑っている。両手を背中に組む時にも、私の筋肉が緊張状態にあり、エネルギーを消費している。脱力できないだろうか。

 すばらしいアイデアがヒットした。幅の広いゴムベルトを巻いておき、背中とベルトの間に、両手首を挟んでおけば、上肢がまったく脱力できるはずだ。実験してみると、まさに、肩から上肢はまったく脱力できながら、滑れることがわかった。この感覚は、ピアノで培われているために、容易く脱力ができたのである

 レースの当日、スタートダッシュの後8回だけ両手を振り、以降は背中のベルトに両手首を挟んだ。無理のないペースで滑り、残り500mのところでは4位。ここで、高橋尚子のように、自分の体に「調子はどうだ」と尋ねた。すると、「力は残っている、スパートできる」との返事。ペースを若干上げて、2人を抜いて2位だ。

 残り300mから上り坂だ。残り200mのところで、心肺機能と太股のエネルギーの余力を確認した。「これなら、いける。」トップを走る選手は、私の前方5m。残りは200m、ここでダッシュをかけて、奪取を目指す。一歩一歩差が縮まっていくのがわかる。太ももは悲鳴をあげつつあるが、この痛みの程度なら、筋肉は耐えられるハズ。片手振りで、バランスを崩さないようにスパート。
トップと並んだ。同じペースで力を振り絞る。ここで、両手を振ると、もっと速くなるが、この太股の踏ん張りでは、バランスを崩して転倒する可能性がある。ここは、片手でいこう。ヤッター。ゴールした。
上位3人のタイムは1秒以内という激戦であった。もし、体幹に巻いたゴムベルトがなければ、間違いなく負けていたことは確実であった。
 このように、この4カ月はいろいろなトライアルで、学ぶことが多かった。不思議なことに、サイボーグではないが、1カ月ほどで、ある程度、身体を進化させることができると感じた次第であった。

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