陸上へのチャレンジ

 「マッハ末續」と言われる末續慎吾選手。世界選手権の銅メダリストとして有名だ。実は、末續慎吾選手に憧れる無名のアスリートがいる。「速く走れる本」や「なんば走り」など話題の書籍を読破し、研究・実践している陸上選手について、少し語ってみよう。

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 「位置について」。スタートラインの白線、ぎりぎりに手をつく。一列に並ぶ選手の動きが止まる。「用意」・・2.1秒で「パーン」と号砲。低い姿勢で飛び出す。自分のお臍を見ながら、顎を挙げない。足を運ぶリズムは良さそうだ。このままで我慢し、前傾姿勢を保つ。次第に視野が広がってきた。目標とする選手が、近くのコースを力走中。おお、近い、離れていないぞ、わずか3m。力まずに、そのままゴール!

 実は、アスリートとは筆者のこと。2004年6月、徳島県マスターズ陸上大会が行われ、私は60mと100mを走った。私は47歳なので、45-49歳のグループ(M45のクラス)で、出場させていただいたというわけ。

 今回のタイムは、60mで8.22秒。私が2年前に出した60mのタイムが、徳島県記録(M45)として継続中。今回、自己記録を0.26秒縮められて、よかった。工夫した練習が実を結んだと思う。ピアノの練習と同様に、ゆっくりのリズムから始め次第に速くしたり、力を入れる走法と脱力する走法を交互に繰りかえしたり、試みたのだ。本番では、緊張感を楽しむワクワクする気分で臨み、精神面にも問題はなかった。結局、ほぼ計算通りのタイムを出せたと思う。
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 その理由について説明しよう。数日前に測定した50mが6.89秒、6.93秒と約6.9秒だった。10mが1.3秒かかると計算し、6.9秒に1.3秒を足すと8.2秒となる。ぴったりだ。中学3年~高校1年の時に50mが6.9秒だったので、自分の能力を考えれば、この程度だろうか。

 100mはとても長く、後半は足が空回りして13.41秒だった。これを分析すると、60から100mの40mが、1.3秒x 4=5.2秒。8.2 + 5.2 = 13.4秒となり、ぴったりとなる。

 徳島県で一番速い30歳台の選手は、100mが12.5秒。60m地点で私より0.4秒速く、私と3.2mの差だった。60m以降に彼は加速するが、私はどんどん失速していく。

 私は今回、60mを目標として練習してきた。30mなら何回でもダッシュできる。しかし、60m以上の距離の全力疾走は、何度もできない。筋肉に負担がかかってしまう。100mは本番で一回だけ走ったが、長い距離に足の筋肉はびっくり。高校1年のときの12.9秒を目指したい。しかし、16歳と47歳ではあまりに筋肉が違うので、どんな対策を練るかが今後の課題だ。
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 さて、陸上競技と医学の関係について、考えてみよう。1マイル競走では4分が人間の生理的限界だとされていた。医科学などなかった頃のこと。1954年、英国のバニスターは人間の生理機能を研究し、インターバル・トレーニングで、最初に4分の壁を切ったのだ。彼は現在、神経科の医師として活躍している。

 ここで、100mを速く走る因子を説明する。走る運動を力学的に考えると、物体を動かす必要なエネルギーは、下記の方程式で表わされる。

 K =1/2MV2 ・・・(1)
 運動エネルギー(K)は、その物体の大きさ(M)と速度(V)で決まる。

 また、生理学的なエネルギー代謝の側面から考える。筋収縮で放出されるエネルギーが、走者が発揮するパワーに等しいと判断する。

 K=∫power・・・(2)
(1) と(2)から、生理的パワーが大きくなれば、走者の速度(V)も増大するのがわかる。

 一方、風の有無で記録が全く異なるように、空気抵抗は重要だ。数式を示す。

 空気抵抗=1/2CpAV2・・・(3)
Cは空気抵抗係数、pは空気密度、Aは走者の体表面積だ。以上から、短距離走で成功するには、

1)瞬時に大きなエネルギーを放出できる筋肉、
2)体表面積があまり大きくない、
3)筋肉以外の身体は大きくない方が良い、となる。なお、最速アスリートのグリーン選手の身長は175cm、体重は75kg、末續選手も178cmで78kgと、同じぐらいの体格である。
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 100m走のトップスピードは40mから60mで、どんな一流選手でも、後半のスピードは落ちる。それはなぜだろうか。筋収縮のエネルギー源はATPで、運動のタイプは3つある。

1) 即座:最大パワーを発揮(無酸素で非乳酸性)
2) 短時間:高パワーを持続(無酸素で乳酸性)
3) 長時間:弱パワーを長く持続(有酸素運動)

 最大パワーのダッシュは一気にATPを利用する1)で、五輪選手でも4~5秒で1)から2)に移行する。短距離では、3)のエアロビクスは使わない。100m走の後半でスピードが落ちるのは、2)の乳酸蓄積とも関係がある。

 効率よく動くために、筋群の協調性や運動制御の神経コントロールが重要だ。不要な力で、屈筋群と伸筋群が同時収縮するのではどうにもならない。関連疾病に小児麻痺(cerebral palsy, CP)がある。CPで特徴ある腕の動きは、屈筋と伸筋の両方が収縮してしまうことによる。

 拮抗筋が弛緩したスムーズな動きについて、アジア人で100mを10.0秒で走った伊東浩司選手を指導した小山裕史氏の「動きづくり」の理論が参考となる。いくつかポイントを示そう。

1) 速く走るには重心移動を意識する。
2) 着地した足の上方に、骨盤を前傾させて乗せ、 重心を前へ押し出すように走る。
3) 大殿筋とハムストリングスを強化させる。両者は骨盤を前傾させ前へ押し出すからだ。
4)肩甲骨周辺 を強化する。肩をテープで固定する と、腰が前に出ず、ストライドが伸びず、ピッ チも上がらない。4本足の動物が肩甲骨と骨盤 を連動させて速く走れるのは、無意識の脊髄レ ベルの反射を利用している。
5) 柔軟でバネのある筋肉をつくる。理想の筋肉は 柔軟性に富む。

 従来の終動負荷では、ずっと同 じ負荷のため反射が起き難く、乳酸が溜まりや すく硬い筋肉になる。一方、初動負荷トレーニ ングでは、負荷は最初に強く後は弱く、「反射」 がスムーズに起こり、関節の動きが加速し、速 度が増大する。筋肉に疲労感がなく、柔らかい 筋肉となる。
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 現在、スポーツ界で注目を浴びているのが「なんば走り」である。なんば歩行とは、右手と右足、左手と左足を同時に振る歩き方のこと。

 日本人は、江戸時代末期まで、この歩き方や走り方だったという説がある。江戸時代の飛脚や町人の走歩行の姿は、なんばになっているようだ。明治となり西欧化のため、学校体育や軍隊の場で、左右の手足を対角線上に振る歩き方に変えさせたという。

 右足が前に出ると、右手も前に出るという動作は、阿波踊りなど多くの盆踊り、田植え、剣道、相撲のてっぽう、忍者の走法、などに認められる。バスケットボールでドリブル、ラグビーのタックルなどにも応用できるのだ。

  なんば歩きや走りが陸上の短距離走法にプラスとなり、腸腰筋を用いる走法や、高野、伊東、末續らの活躍につながってきた。 私も実際に体験してみると、肩と腰がねじれず、うまく脱力でき、パフォーマンスの向上に役立つ気がする。
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 先日、医学部の準硬式野球部で共に汗を流した後輩と偶然会って驚いた。中村巧先生もマスター陸上に出場しているという。彼はかつて100mを11秒台で駆け抜ける野球選手で、プロ野球からも注目されたほどだった。現在は兵庫県で整形外科を開業し、栄養士を雇い食事と運動の指導を精力的に行っている。早速、意気投合し、医学研究のプロジェクトまで一緒に始めることとなった。同僚でライバルでもある同志を得て、明日(アス)に向かって、歌(リート)でも口ずさみながら、楽しくチャレンジを続けていきたい。

資料
1) 矢野龍彦/金田伸夫/織田淳太郎 著「ナンバ走り」光文社新書、2003.(古武術、ひねらず、うねらず、ふんばらない動き。末續選手となんば走り、各種スポーツへの適応、などが解説)

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