阿波の弾丸

 柔ちゃん、やったー。金メダルだ。

9月16日夜、声援と喜びで日本中がわき返った。やはり実力が違う。オリンピック2大会で連続銀メダル。今度こそ一番いい色を目指し、押しつぶされそうなプレッシャーの中での偉業、まさに素晴らしい。

 この瞬間、私は秋田県大潟村で食い入るようにテレビをみていた。翌日に開催される全日本ローラースケート大会の歓迎パーティー会場。ここでも万歳コールが続く。私は田村亮子選手のガッツポーズから発散する力を、翌日のスケーティングのイメージに導入していたのである。

 いよいよレース当日。私がエントリーした100mのスラローム競技。スラロームとは、スキーで言えば大回転や回転のように、ポールすれすれにジグザグで滑ってタイムを競うもの。上位選手の差はごくわずかで数m以内しかない。タイムで言えば0.1-0.3秒を縮めるため、数年間にわたり練習を積んできたのである。

 パーンと号砲。スタート後6歩で最初のポールを越える。5m間隔で17個の関門を、できるだけ腰を落としてストライドを伸ばした。結果は予選第1位。上位8人でのトーナメントでもいずれも2m以内で競り勝ち優勝することができた1)。歳とともに感じる体力の衰え。自分との戦いの日々が続いていただけに、内心ほっとした。

 この優勝は、実はテレビ番組のお陰であった。レースの1週間前、シドニーオリンピックに向けたNHKの特集番組をみた。米国陸上100m男子代表3人は、同じ陸上クラブ会員が独占した。指導コーチは説得力に富む理論を展開する。100mを3つのフェーズ(相)にわける。0-20mは太ももの前にある大腿四頭筋を主に使い、できるだけ低くスタートする。20-40mには大腿四頭筋と太ももの後ろにあるハムストリングの両者を使って、身体を起こしてくる。40-100mは、主にハムストリングの力で疾風のごとく駆け抜けるのだ。

 ももを上げるという従来の走り方は、今ではもはや古い。現代走法では、地面を後ろの方向にプッシュすることで身体を前進させる。この走法は、カールルイスや伊東浩司も取り入れている。大リーグに行くイチローも走法を最近楽にスピードが出る本法に変えた。

 本コーチは、陸上クラブへの入会選手に必ず見せるビデオがある。長野オリンピックの清水宏保のスタート直後の映像だ。このイメージでスタートするように指導。従って、清水選手の滑りが、陸上100mのメダリストの走法や短距離界の歴史にも少なからず影響を与えていたのである。

 これらのことにヒントをえて、1週間で滑走法を工夫して試合に臨んだ。もし、番組を見ていなければ僅差で負けていたかもしれない。鍛錬を続けていると、自己体力の把握、セルフコントロールやイメージトレーニングの重要性がわかる。

 その後、高橋尚子選手がマラソンで金メダル。爽やかな風が世界中を駆け抜けた。平常の脈拍が30数回/分というスポーツ心臓、練習好き、名伯楽の小出監督の存在など、多くのファクターがうまく揃った。練習は厳しいけれど走るのが好き、苦しいことは嫌いということではない、レース中には監督、恩師、家族の顔が脳裏をよぎる、など高橋選手のコメントが印象的だ。

 医学的に推理してみた。好きなことやボランティアの気持ちで嬉しいと感ずるときは、体内麻薬であるエンドルフィンが際限なく分泌されるとされる。高橋選手は、苦しい状況でも、走るのを楽しみ、感謝する気持ちがあるからこそ、快楽ホルモンが大量に分泌され、苦しみや痛みの認知レベルが下がっているのではなかろうか?

 若干 その気持ちがよくわかる。スケートの練習は孤独であり確かに苦しい。でも、嫌いではなく練習が好きなのだ。結果を追い求めているのではなく、毎日こつこつと練習を続けるプロセスをずっと楽しんできた。1か月前のレースでたまたま良い結果が出た。地元紙に掲載された「阿波の弾丸」という記事をご笑覧いただけたら幸いである。

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