長き道を進む

 「コシノものがたり」千秋楽の舞台を、2005年1月に観劇できた。最近、話題の「コシノ家」の物語。原作は、母アヤコさんが出版した「やんちゃくれ」だ。世界的なファッションデザイナー3姉妹が輩出された経緯がよくわかる。

 主役を務めるのは、コシノジュンコ役の萬田久子さん。元ミス・ミスユニバースでいろいろな番組を担当し、新春からはNHK大河ドラマ「義経」に出演するなど大活躍中だ。エッセイ「萬田流」で知られる久子さんの雰囲気を私は大好き。話すイントネーション、エレガントな身のこなしなど、何とも言えず心地よい。

 母役のコシノアヤコは赤木春恵さん。言わずと知れた「渡る世間は鬼ばかり」の重鎮だ。さらにヒロコに池畑慎之介さん、ミチコに牧瀬里穂さんという豪華な顔ぶれだった。

 時は戦後、大阪の岸和田。小篠綾子さんはミシンに魅せられ、わずか21歳でコシノ洋装店の看板を上げた。当時は和装が普通で、洋装がそれほど知られていない時代。パイオニアとして、新しい装いを啓発していくという役割も担っていたのである。ただ、女性ゆえに、客の信用を得るため働きずくめで、子育てもままならない毎日だ。

 長女のヒロコと次女のジュンコは、子供の頃から服装に興味を持ち、母とファッションの話題で盛り上がることも。一方、三女のミチコは多忙過ぎる母に面倒をみてもらえない。その代わり、テニスに熱中して研鑽を積み、日本一まで駆け上がった。家族をあげての祝勝会が開催されたが、母のアヤコはもともとテニスに興味がなく、三女を心から賞賛する様子ではない。

 そんなとき、ミチコが驚くべき宣言をする。姉二人と同じ仕事をしたいので、ロンドンに勉強に行きたいと。家族はやめるように説得するが決意はかたい。案の定、生活に行き詰まり、姉が駆けつける。そのとき、ミチコが涙ながらに告白するのだ。「私が一人でロンドンに行ったのは、お母ちゃんに認めてほしかったから」と。ミチコは多忙な母親から、手を引いて歩いてくれたことがなく、「赤とんぼ」を一度も歌ってくれたこともなく、淋しい想いをしたという。音楽の想い出がある姉二人は、岸和田の海辺で夕焼けを見ると、子供のころの歌を思い出したり、郷愁にひたることができたりするというのに。

 なお、第3幕で心にじーんと伝わってきたのは、由紀さおりさんが歌う「私の生きる道」だ。

   ♪カタカタコットン
     いついつまでもあなたを信じて歩く
   カタカタコットン
     この道より他に私が生きる道はない‥‥♪
     ◇     ◇     ◇    
 従来日本では、童謡や唱歌が特別に意識することなく伝えられてきた。近年その欠如が指摘され様々な事件が起こる状況をみると、これらの音楽は子供の穏やかな心の発達に必要と思われる。母親の愛情や情景とともに記憶された音楽や、歌の旋律と歌詞が心に優しく語りかける。すると、意識するしないにかかわらず、進むべき方向性がおのずと定まってくるのかもしれない。

 一方、欧米はどうだろうか? 私は米国の家庭医療学レジデンシーで臨床研修した際、毎日曜日友人が行くいろいろな教会を訪れてみた。クリスマス・イブには、一晩に5か所の教会をはしごしたこともある。そのとき、教会で歌う賛美歌(聖歌)が生活に溶け込んでいるのを感じた。小さい頃から親と教会に通い、毎週牧師について聖書を音読する。つまり「声に出して読む英語」を実践し、賛美歌を歌う。両者を続けると、物の考え方の道すじや芸術を解する心が自然と育てられていくのではないだろうか。
     ◇     ◇     ◇ 
 その聖歌を、多くの人々と一緒に歌う機会があった。2004年12月、私は滋賀県安土町の文化ホール「文芸セミナリヨ」で、クリスマスコンサートを担当した1)。クリスマスの起源や絵画をパワーポイントで解説しながら、ピアノを演奏。東方の3人の博士は、占星術や導きによって、キリスト生誕のベツレヘムにたどり着く。当時、ベツレヘムの星の輝きや惑星の会合説(土星と木星、金星の会合)など諸説があるが、博士たちはイエスに会い、黄金(王としての敬意)、乳香(神としての敬意)、没薬(人として死す者)という3つの贈り物をしたと伝えられている。

 これらの情景をイメージした曲集が、音楽家フランス・リストによる「クリスマスツリー」だ。この中に「アデステ・フィデレス(東方の3博士の行進)」がある。Adeste Fidelesとは「おお来たれ信仰篤き者」という意味で、4分音符の反復が歩行を表わしているかのようだ。

 本曲は、私のピアノとホール専属オルガニスト・城 奈緒美先生のパイプオルガンとで共演した。ピアノはオーストリアのベーゼンドルファーという名器。通常ピアノで一番低い音はラで、振動数は27.5Hzである。本器はさらに低音の鍵盤4つが追加され、最低音ファの振動数は21.8Hz。人が聞こえる音は20~20000Hzなので、認識できる最も低い音なのだ。私たちは、叩いた鍵盤の音だけを聴いているのではなく、他の鍵盤の弦の共鳴もあわせトータルな音の幅を聴く。つまり、一番最低音の鍵盤を弾かなくても、共鳴でその弦が震えて音色が変わるのだ。今までに経験がない深みのある素晴らしい音質。振動数が低いため足から骨を伝わり、お腹も揺れ動く気がした。

 同会場のパイプオルガンは、高さ8m、幅6.2mと大規模なもの。その低音の波動で、まるで会場全体が共鳴するかのようだ。ピアノとパイプオルガンで共演しながら、旋律と伴奏のパートは相互に代わりながら楽しく競演できた。

 なお、本曲の旋律は有名な「神のみこは」である。みんなで共に歌うことで時と空間を共有し、素晴らしい体験となった。

♪かみのみこは こよいしも 
  ベツレヘムに 生まれたもう‥‥♪
     ◇     ◇     ◇    
 実は、私は聖歌を歌いながら、日本に西洋文化が渡来した時代に思いを馳せていた。というのは、安土は織田信長の安土城で知られる町だから。

 コロンブスの「アメリカ大陸発見から五百年目」を記念し、1992年スペインのセビリアで万国博覧会が開催された。日本から出品されたのは、安土城の天守閣。原寸大で5、6階部分の巨大で絢爛豪華な木造建築が、欧米の人々やマスコミを驚嘆させたのだ。石造建築が多い欧米人にとって、日本の「木の文化」が「王冠の中の宝石」と映ったからという。日本館への入場者数がトップで、絶えず日本文化が発信され、高い評価を受けた。万博終了後、天守閣が安土町に帰り、「信長の館」に古の天守閣が蘇ったというわけだ。

 その安土城跡向かい側に様々な文化施設の集合体「文芸の郷」が位置する。セミナリオという語は、ポルトガル語で学校という意味。その由来を簡潔に説明しよう。1579年(天正7)、イエズス会の東インド巡察師が来日し、日本人宣教師による布教が最適と考え、宣教師の養成学校の建設を計画。コレジオはキリシタンの大学に相当する最高教育機関、セミナリオは前段階の神学校だ。1580年島原半島に最初のセミナリオが、続いて安土城の麓に建築された。朝5時半に起床し、神学やラテン語、音楽など厳しい学習内容だったとされる。天正遣欧使節の4人は、前者の第1回入学生の中から選ばれたのであった。

 信長時代のセミナリオは教育だけでなく西洋文化を伝える役割があった。情操教育の一環として音楽もあり、日本最初のオルガン演奏に信長も耳を傾けたと伝えられている。なお、安土城から大手門まで続く長い石垣には、織田信忠、羽柴秀吉、前田利家、柴田勝家などの大名たちの屋敷が城を囲んでいたという。
     ◇     ◇     ◇    
 このたび、コシノものがたりとクリスマスコンサートを通じて、音楽が人に及ぼす影響を考えた。歌や歌詞には、人間の形成や、世の中の啓発に寄与するパワーを持っているような気がする。安土城で新しい文化に触れた武家は、当時どう感じただろうか? 現代の日本をみると、どう思うだろうか? 私達にはそれぞれの道がある。固有のリズムをベースに、いろいろなメロディーに相当する各自の仕事を、周囲とハーモニーが保たれた状態で、毎日進めていきたいものである。

資料
1) 日本音楽療法学会評議員の呉竹英一氏が毎月一度の音楽療法コンサートを長年開催してきている。脳波測定などの研究も継続中。
2003年11月の100回記念コンサートで共演し、一緒にCD付き楽譜集「音の宝石箱~宮沢賢治『星めぐりの歌』」星めぐりの歌~宮沢賢治の世界」(ドレミ出版, 2002)の出版なども行っている。

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