舞台とうだつ

 認定内科専門医会の四国支部世話人代表である板東 浩先生が、なんと平成5年12月に全四国音楽コンクールピアノ部門一般・大学の部で最優秀賞を受賞されました。音楽学校の大学院生を相手にこの快挙はとても医者とは思えません。彼にこのような才能があるとは誰も信じないでしょうが本当の話です。その後、彼は音楽活動を行いながら、内科専門医会雑誌に「医学と音楽」のエッセイを書き続け、今回から4年目に入ります。内分泌・代謝学を専門とする医師で、もしかしたら天才ピアニストかもしれない(?)板東先生の今後の連載を引き続き楽しみにしてください(内科学会内科専門医会会長 小林祥泰)。

 「本番行きます」。人情映画の第一人者、山田洋次監督の迫力あるかけ声が、のんびりとした田舎町に響き渡る。ここは「うだつの町並み」で知られる美馬郡脇町。徳島市から西へ40キロの片田舎は、町始まって以来の大騒ぎに揺れていた。町のほぼ中心にある古ぼけた映画館。ここを舞台に松竹の正月映画「虹をつかむ男」のロケが進行していたのだった。主演は西田敏行。古い映画館「オデオン座」館主の銀幕活男を演じる。小太りで素朴な主人公のわきを、田中裕子、田中邦衛、吉岡秀隆らの名優ががっちりと固め、涙あり、笑いありの人間模様が繰り広げられる。撮影現場には、おらが町を舞台にした映画の撮影シーンを一目見ようと、大勢の町民や、映画ファンがつめかけた。

 撮影現場はお祭り騒ぎだ。カットを撮り終えて俳優が休憩すると、観衆のあちこちから「西田さーん」「裕子ちゃーん」と歓声がわき起こる。ボランティアが「自分たちの出番だ」とばかりに、湯茶のサービスや道具の運搬に駆け出す。次の撮影の指示が監督から飛び、スタッフが慌ただしく走り出す。

 主人公の銀幕活男が運転しながら、助手席の若者と世間話をするシーンがある。この場面は、別々に一人芝居をして収録し、後でつなげるという手法で作る。このタイミングが微妙にずれるとNG。なぜなら車の外の景色は連続的なものであるからだ。カメラは片一方から取るので、その時、観衆は道路の片方にあっちへこっちへと寄せられる。その時に使われるのが「虎ロープ」。黄色とクロのツートーンカラーのお馴染みのものだ。

 「お静かに」。スタッフが多くの観衆にふれまわる。ピンと張りつめた緊張感が走る。ザワザワとした雑音が波のようにスーと引いていく。俳優たちは一瞬のうちに別人となり、映画のシーンへと溶け込んでいく。そこには、まさにスクリーンの中を縦横無尽に活躍する主人公たちの姿がある。スタッフたちは、俳優の息づかいまで収録しようと、真剣勝負だ。観客も撮影の成功を祈るような表情で息を飲んで見守る。彼らは静かに佇みながら、積極的にロケに参加しているのだ。

 まさに、オーケストラの演奏会と同じだ。演奏が始まる前、舞台の上は、楽器の音を合わせるために混沌とした状態になる。これが、指揮者がタクトを振り上げた瞬間、空間に漂う様々な音が一瞬にして消失。この時間は、ほんの数秒しかないが、実際以上に長く感じられることが多い。その静寂を打ち破るように怒涛のような演奏が始まる。聴衆は一言も発しない、まるで、自分たちが黙って聴いていることが奏者との役割分担にでもなっているように。

 コンサート会場には、ふたつの世界がある。一つは舞台の上で、それこそ一糸乱れぬ演奏を繰り広げるオーケストラ。もう一つは、こころの窓を開いて演奏を受け入れる観客。観客と奏者の間には、映画撮影時に、現場につめかけた観衆とスクリーンの中の世界を区切る「虎ロープ」のような、目に見えない「結界」が張り巡らされ、演奏中、両者は決して交わることがない。演奏が終わった瞬間、何よりも堅固なはずの結界は、跡形もなく消え去り、素晴らしい演奏という作品を仕上げたオーケストラと、その作品をずっしりと受けとめた観衆の心はひとつに溶け合うのだ。

 ここで、重要な働きをするのが舞台だ。映画では、虎ロープが現実の世界と映画の世界を見事なほどに仕切る。俳優たちは、虎ロープの中で、映画の登場人物になりきり、おそらく、本番前までは視界を埋め尽くしていたスタッフやロープの向こうに見えていた観衆はまったく見えなくなるのだろう。コンサート会場に、突如、演奏の開始と共に現れる結界。コンサートでは、舞台がこの結界の役割を果たすのではないだろうか。

 私は、人前でピアノ演奏をすることがある。芸術というよりも芸能に近いレベルだと思ってはいる。しかし、ひとたび、タキシードに身を包んで舞台にたつと、なぜか心地よい緊張感に包まれ、ベストの演奏を目指すことが至上の命題になる。同じ演奏会でも、舞台がないと、視線も心も聴衆と同じ高さになり、リラックスすることができる。サロンで聴衆の表情を楽しみながら演奏し、夜なら傍らに水割りの一杯でもはべらせておきたい気分だ。わずか数cmの高さであっても、舞台の有無は、これほど演奏者の心理状態に影響を及ぼすのである。

 演奏者が自分の世界に浸り、自由な心で思う存分の活動ができる舞台。山田洋次監督は、徳島の片田舎にその舞台を求め、俳優たちは、豊かな自然のふところで、スクリーンという舞台の上で、存分に物語を作りあげたのだ。映画の最後の場面には、急逝した故・渥美清さん演じる「車虎次郎」がひょっこり現れる。「寅さん」シリーズは48作を数え、「察しと思いやり」という、日本の文化を、スクリーンの上で、時に濃く、時にさわやかに伝え続けた。寅さんが、山田洋次監督の舞台に華を添え、次の世代へとバトンタッチする。

 ドーレミ/ソソラソ/ラレドラ/ソミソファとシがないペンタトニックの旋律だ。この音階で作られた日本の歌はとても多い。このメロディーを聴くと、「寅さん」の笑顔と日本の古き良き時代の思い出が、私たちの脳裏に鮮やかによみがえる。「それをいっちゃあ、おしめいよ」という名セリフとともに。「寅さん」の思い出がそれぞれの舞台風景を演出するのだろう。

 「虹をつかむ男」は1997年の正月映画として、無事スクリーンにデビューした。徳島では、映画の制作にかかわったボランティアや、ちょい役で出演した地元住民たちが、連日映画館に押し寄せ、短かったロケの思い出にひたった。私は映画館のスクリーンに映し出される郷土・徳島の美しい風景や脇町のうだつの町並みに、言いようのない懐かしさと一体感を味わっていた。

 この映画は、徳島県や地元町村、経済界、マスメディアなどの全面的な支援の下で制作された。ロケや協力態勢の模様は全国に報じられ、地元の徳島新聞では、映画ロケの記事が連日、カラー写真とともに第一面に掲載された。また、「虹をつかむ男」徳島ロケ受け入れ実行委員会などの多くのボランティアの活躍も見逃せない。徳島の人をここまで動かしたのは、日本人の血に脈々と受け継がれてきた義理と人情の心意気であり、きっと寅さんが、ほほ笑みながらバックアップをしてくれていたのだろう。

 物語の舞台となった脇町は、江戸時代、阿波藍の栽培と藍染めにより隆盛を極め、商人の町として発展した。今もその町並みは残っており、町屋の妻壁の横に張り出した防火のための袖壁「うだつ」が人目をひく。当時は、裕福な層が、このうだつを上げたりっぱな家を造っていた。相当な建築費を要したために、これを作れないことを、社会的な地位にからめて「うだつが上がらない」と言ったのだ。うだつを上げるのは、自分自身の舞台の上で人生という物語を演じるのに順風満帆の主役になれるかどうかを意味していた。そういう目で見ると、今の時代、うだつがあがらないことは、自己表現という意味で大きなストレスを招くと言ってもいいだろう。

 個々の人にとっての「うだつ」は、収入かもしれないし名誉かもしれない。その実現に向かって努力するから人は尊い。自分の舞台をセルフコントロールで作り上げ、「うだつを上げる」自己実現を目指して、精一杯の努力を続ける。「寅さん」「虹をつかむ男」は、我々の内なる舞台に、改めて目を向けさせてくれるのだ。

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