◆ 糖尿病-5 藤原道長

 平安時代のこと。「去る3月頃より、しきりに水が欲しくなり、最近では昼夜の別なく、口が渇き水を飲むが、食事は減っていない。とにかく体がだるい。」これは日本で最初の糖尿病患者としてよく知られる藤原道長が訴えた症状です。

 その後、さらに症状が悪くなり、宮中で雑談している時。「近寄らなければ、汝(なんじ)の顔が見えない」「それは夜のことですか、昼のことですか?」「暗いときも白昼でも見えないのだ」と。
 糖尿病は、最初に口乾、多飲、多尿、倦怠感などの症状が現れます。次に、手足がしびれ(神経障害)、目に影響が出て(網膜症)、腎臓の働きも弱って(腎症)きます。網膜は眼球の奥にあり、カメラにたとえるとフィルムに相当するもの。網膜症は、網膜にある細い血管が詰まったり裂けたりして、フィルムが「まだら模様」になります。ですから物がきれいに見えなくなってしまいます。本人が気づかないうちに網膜症は進行するので、注意してください。道長が網膜症を患っている様子が、この会話から手に取るようにわかりますね。実は、道長を襲った症状はそれだけではありませんでした。
 万寿4年(1027年)には、彼の体の調子は一層、悪化しています。「道長は体全体が震えている。医師の見立てによると、背中にできた「おでき」がその勢いを増し、毒気が腹の中に入ったためである」。また、「背中の腫れ物に針をさせば、膿汁、血などが少々出て、うなりたもう声は、苦しみの極みなり」。いや、実に痛そうですね。これを書いていながら、私の額に油汗がにじみます。糖尿病では、「ばい菌」が付きやすくなるのです。
 糖尿病は遺伝と環境の両者によって現れますが、道長の場合、伯父の伊尹(これただ)、兄の道隆(みちたか)、甥の伊周(これちか)のいずれも糖尿病であったことが、最近の研究で明らかになってきました。つまり、彼は逃げられない病魔にとりつかれる運命にあったのです。
 3人の娘が3人の天皇のお后になり、「一家三后を立つ、未だかつて有らず」と称賛され、「この世をば わが世とぞ思う 望月の かけたることも 無しと思えば」という有名な和歌を、ろうろうと詠みました。彼自身も政治では権力を欲しいままにし、色恋も思い通り。紫式部の源氏物語の中にはヒーローとしても登場します。こんなスーパーマンも病魔には勝てなかったのです。

 ところで、以前、日本で世界糖尿病学会が行われた際に発行された記念切手を見てください。左上に藤原道長が、右下に糖尿病患者を救うホルモンであるインスリンの結晶が表されています。六角形の何の変哲もない結晶が分母になっているように見え、その上で病魔に侵され無念の死を遂げた道長が、すました顔で苦しさを必死に隠しているように見えるのは私だけでしょうか?

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