◆ 糖尿病-1 織田信長

 火に包まれる本能寺。萬屋錦之介演じる明智光秀が、燃え盛る炎の中で、織田信長と対面する。かっと目を見開いた信長は、まさしく阿修羅の形相だ。すべてを悟ったかのように、信長はきびすを返し、炎の中に身を
投げた。真っ赤な火が寺とともに夜空さえも燃えつくす・・。
 これは、演劇「鬼と人と ー信長と光秀ー」のクライマックスの一こま。原作は堺屋太一、主演および演出は萬屋錦之介で、大阪の新歌舞伎座には、多くのファンが足を運んでいました。
 約3年前、京都、大阪、神戸の各国際会議場で、世界糖尿病学会が1週間にわたり開催されました。国内から2000人、海外から3000人の専門家が集まり、私も参加していました。

 ちょうどその時に、「本能寺の変」を題材にした演劇が行われていたので、私も覗いてみたというわけです。鬼とは信長のことを指します。信長は「大魔王」として恐れられるほど、残虐行為を繰り返していました。たとえば、無言で足軽の首をはねたり、比叡山の焼きうち、数珠つなぎのめった斬り、ドクロの肴、狙撃者を埋めて鋸で処刑、などが知られています。

 一方、人とは光秀のこと。光秀は義理人情に堅く律儀な人で、信長に誠心誠意仕えました。しかし、信長は、時につけ、自分よりすこし年輩の光秀に対して、皮肉を浴びせたり、罵倒するなど、「いじめ」がしばしばありました。光秀は「むかつく」ことがあっても、ずっと耐えに耐えていました。しかし、面目を潰された光秀はついに「切れて」しまい、「本能寺の変」が起こったのです。
 さて、いったい何が、信長をこのような残虐行為に、駆り立てたのでしょうか。いろいろと思いめぐらせていると、ふと、彼は糖尿病だったことを思い出しました。戦国時代という究極の状況で、極度な緊張感やストレスにより、血糖が上がることが多かったでしょう。また、足軽に比べたら、ぜいたくな物を食べていたかもしれません。当時の記録をみると、信長は、昔の名前で「飲水病」、すなわち糖尿病にかかっていました。安土城に移ってからは、手足のしびれや痛みがひどくなったとのこと。これは、糖尿病による神経障害が悪くなったと考えられます。おそらく、ジンジンする神経痛により、「いらいら」が高じて、周りの者にあたりちらすこともあったと私は思います。

 
 もし、糖尿病がなければ、いらいらせずに、もうすこし光秀を大切にしていたでしょうか。その場合、「本能寺の変」が起こらず、歴史が変わっていたかもしれませんね。

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