笑いと癒し

 かつての精神科の患者が名門医大に入り,その後「赤ひげ医者」として,米国医療に影響を与えている医師が実在する。その人は「パッチ・アダムス」。同名の映画が日本でも先日上映され,ご覧になった方も多いだろう。主役は,「ミセス・ダウト」や「ジュマンジ」,「フラバー」などでお馴染みのロビン・ウィリアムスである。「レナードの朝」では神経科医,「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」では精神科医など,医者役5回目の「はまり役」だ。

 精神科に入院中,パッチは同室の患者を笑いで癒し,自分自身の病気も治っていく体験をした。そこで,医者を目指し,医大に入学した。医学生時代,小児科病棟にもぐり込み,辛い入院生活を送っている子供たちを,楽しいパフォーマンスで笑わせて力づけた。映画に登場しているのは,実際に白血病で治療している子供達であり,眼が輝き,顔色がパッと明るくなるのは演技ではない。また,パッチは医学生ながら,郊外に無料診療所を設置し,多くの患者の相談にのったりした。しかし,数々の突飛な行動が,権威主義的な校風からはみ出し,彼は退校処分になりかけた。州の医師会の公聴会が開かれたが,医療にかける真摯な熱意,抜群な学業成績,患者や家族,医療従事者の支援などにより放校は免れた。医師会幹部は,将来,パッチにより米国医療が改革される可能性に期待したのである。

 実は,私はパッチ・アダムス本人と面談をしたことがある。運良くECFMG資格(現在のFEGEMS資格)を取得でき,1985~86年にミシガン州で,family practice residency programで臨床研修していた時のこと。パッチ・アダムスが招かれ,医学生と卒後レジデント対象の講演会があった。彼は,ネクラだった青年時代や、精神病院での体験,医学生の時の出来事,現在行っている新しい医療の方向性と実践活動について,ユーモアたっぷりに紹介した。笑みを浮かべて言葉を選びながら語る彼の暖かい人間性が,ひしひしと心に伝わってきた。理想郷(ユートピア)を目指したGesuntheit*という診療所は,彼が企画運営をしているのだが,次第に,多くの人々が集まり,手を差し伸べてくれるという。

 パッチと一緒にいると,ホッとするような気分になるのはなぜだろう,と考えてみた。私の目をじっとみて,微笑みながら話しかけてくれる。初対面ながら,私という一個人に興味を持ち,私を知りたいという意識が感じられる。私が言ったことを,ぐっと受けとめてくれる。私がうまく英語で表現できないことも,彼が言葉に顕わしてくれる。ウィット豊かな会話の根底には,彼の優しさが見え隠れする。それも,「笑い」というオブラートに包まれた言葉のキャッチボールなので,とても楽しかったのを,昨日のことのように覚えている。

 さて,近頃,私達の身の回りで,「笑い」が少なくなってきていないだろうか。昨今の日本は,リストラの嵐が吹き荒れ,失業率も最悪の数字である。仕事に駆け回る父親は,家庭でも権威はなく居場所もない。母親も,不平不満が自然と口をついて出てくる。このような家庭では,家族のコミュニケーションは損なわれ,子供たちもいつもイライラ状態だ.学校に行っても,すぐにむかついて,切れてしまう。心がすさんで,学級崩壊などの問題も出てきている。青少年が,以前には考えられなかったような事件を起こす時代になりつつある。

 かつて,日本の家庭像はちゃぶ台に象徴され,贅沢ではないが,暖かく潤いがある家庭。お父さん,お母さんの微笑みの中で,子供が癒されて育ってきた。しかし,個人主義と自由がはき違えられ,社会は大きく変容をとげた。安易で楽しいことがいつでも身の回りにある。例えば,飛躍的な発展を遂げたファミコンのソフトや画面は,誠に素晴らしい。反面,ゲームで育った子供たちは,自分の都合が悪くなればスイッチを切り,セーブしておけば,またそこからスタート。キャラクターが死んでもすぐに生き返る。読むものはゲームの攻略本で,努力や工夫をするのではなく,抜け道のテクニックを調べることこそが,上達の道なのだ。友達と競いあって,うまくなると,自分自身が強く偉くなったという錯覚に捕らわれる場合もある。仮想現実の世界で住
み,次第に人とうまく関わることができなくなってきたのではなかろうか。

 この異常とも言える,ギスギスした社会を治し,癒すには,思いやりの気持ちや空気が必要だ。それには,笑いが一助となるだろう。高座に足を運び,落語の生の声を聞きながら笑っていると,おおらかな気持ちになる。

 笑いの効用については,近年,医学的にも研究がすすんでいる。天然の鎮痛効果をもつエンドルフィン分泌や,リンパ球の4/8比にみられる免疫能の上昇などがみられる。医学生を対象とした実験で,30分間叱ると免疫能が低下するが,30分褒めると免疫能が上昇するというデータもある。時には,ガン細胞が縮小する場合もあるようだ。笑いは,心を暖かくし,人間関係を円滑にする。相互のコミュニケーションもよくなるだろう。笑顔で人を癒すというのは,だれでも簡単にできることなのである。さて,話は戻るが,パッチの講演会に合わせて,「コミュニケーション技法」のワークショップもあった。サブタイトルは,「いかに教え,いかに教えてもらうか」である。米国の医学教育では,スタッフ→シニアレジデント→ジュニアレジデント→医学生という構図で,お互いに教え,教えられ,研鑽を積んでいく。いくら,知識や技術がある医者であっても,うまく指導できない人はだめである。後になって「教え方が適切であったか」というアンケートで,厳しい評価が下される。そうなれば,良いプログラムに入れないし,良い病院にも勤務できない。教師が教え方の質を学生にチェックされるのは,決して稀ではなく,ごく自然な評価方法なのである。

 例えば,上級生が下級生に注射方法を教える場合を考えてみよう。まず,ほめて,次にアドバイス,最後にほめる,のが良い。「なかなか注射が上手だな」「しかし,この針の角度がだめだ。もうすこし,斜めにしなさい」「全体的にうまくいってる,その調子でKeep going」という具合だ。もし,逆に,やる気をなくすようにしたいときは,次のようにする。まず叱り,次に誉めて,最後にけなす。「なんだ,その手つきは」「この前に上手に注射ができたのは,偶然にうまくいっただけか」「やっぱり,君は医者の素質がないんじゃないの」。驚くことに,教える側と教えられる側の両者が同席している所で,このような講義が行われる。日本なら,教師と学生を一緒にして,教育方法の上手下手を論じるなど,難しいだろう。

 以前に私は,シドニーにあるWHO医学教育センターで,医学教育に関する3週間のワークショップを受講したことがある。その中で感銘に残ったことは,教育手法の3ステップだ。まず,1回目は先輩の手技を見る,2回目は自分でする,3回目は示して後輩に教える,というもの。すなわち,See,Do,Showである。

 今回の映画をみて,パッチに対する理解がより深まったような気がする。いつのまにか私を虜にした彼の魅力は,精神科や行動科学でのコミュニケーション技法といった,マニュアルに沿ったものではない。彼は,人間自体が好きなのだ。彼は新しい友人と出会うと,お互いを理解するために,数時間にわたっておしゃべりをするという。こんなに超多忙な人が,どうして,そんな優しさで,時間を割くことができるのだろう,と不思議に思った。優秀なひとは,心に余裕があり,人に優しくできるであろうか。彼は,単なる医師だけでなく,逆境をのりこえてきた自信と懐の深さを兼ね備えた,人生の達人でもあるようだ。

 私が日本に帰国してからも,Newsletter「Gesuntheit」を定期的に送ってくれていた。だから,なおさら,今回の映画をみて,彼の活動がこんなに認められ,とても嬉しかった。パッチは,12年間,町医者として15万人を越える患者を無料で診療にあたってきたという。現在,Gesuntheit Institute(お元気で病院)を建築中で,1000人以上の医者が参加を申し出ているとのことだ。確かに,米国の医学・医療のレベルは高いが,患者が求め理想とするような医師は容易に見つからないと言われている。今後,さらに,パッチの活躍がブレークスルーし,米国医療の変革を期待するとともに,我々内科医の日常診療についても,いちど考えてみたいと思う。

● 参考 * Gesuntheit:ゲズントハイト,ドイツ語で,健康,滋養の意味。
ドイツだけでなくアメリカでも,健康を祝して乾杯する時などにも,この言葉を使う。

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