月の光とアンコール

 嵐のような拍手とカーテンコールに、出演した俳優がステージに並ぶ。最前列では、背中に天使の羽がついた白いタキシード姿で、7人の男性が微笑みながら、深々と敬礼。彼らの手では、トランペット、トロンボーン、サックス、クラリネットなどの楽器が、嬉しそうにキラキラと輝いている。

 これは、先日見た、演劇「ムーンライト ー夏の夜の不思議な夢の物語ー」のアンコールの場面。演じる劇団は「遊◎機械/全自動シアター」で、以前にはシェイクスピアの「真夏の夜の夢」を上演したこともある。「人生は一夜の夢のようなもの。一幕ものの芝居の如し」というシェイクスピアの精神を受け継ぎながら、3世代の恋愛狂騒曲に仕立てなおして、リメイクしたのが今回の作品だ。

 この舞台は普通と違う。通常、演劇のBGMを担当する演奏家は、ステージの手前の光があたらないボックスで演奏している。いわゆる黒子だ。今回の芝居では、ミュージシャンは、舞台の上で生演奏をしながら、俳優としても重要な役を演じているのである。

 役者の心の微妙な揺れを、トランペットの単旋律のみで表現。トロンボーンではおどけた雰囲気、サックスでは情熱的な気持ちを増幅し、役者の演技を引き立てる。一貫して流れるミュージックは、1920-40年代の古くも良き時代のジャズ。名曲の Blue Moonでは、
 And when I looked,
 the moon had turned to gold!
 Blue moon! Now I'm no longer alone,
 Without a dream in my heart
と、耳に心地よい。

 Blue moon以外に、月に関連ある曲には、ベートーベンの「月光」、ドビッシーの「月の光」、グレン・ミラーの「ムーンライトセレナーデ」などがある。彼らは、月からいろんなインスピレーションを受けて、湧きあがってくる情感を曲に託したのであろう。

 人間は、昔から、満月の光をあびると、変身(心)するようだ。満月の夜には、狼男に変身したり、人が狂ったりする。月はラテン語でlunaといい、英語でlunaticは「月の」と「狂気の」を意味する。古代ローマの医者は、周期的に精神に異常をきたす病気のことをlunacyと呼んでいた。旧ソ連のルナ3号は1959年に月の裏側の写真撮影に成功し、米国の月面探査機ルナ・オービターは1966-68年に送った数千枚の月面写真のおかげで、1969年アポロ11号による人類初の月面着陸がなされたのである。はたして、満月の夜には、器機類はうまく作動したのだろうか?

 今回の演劇では、月の光を浴びて、冷めきった老夫婦が突然熱く燃え上がったり、何だかわけもなく人のことを好きになったり、嫌いになったりし、月の魔力が存分に発揮されている。1987度アカデミー賞主要3部門を受賞した映画「月の輝く夜に」では、あろうはずもない恋が芽生えてしまう。また、大森一樹監督の「満月」では、満月の夜に、津軽藩の武士が江戸時代から現代にタイムスリップし、医学生と恋のライバルになったりするなど、月には何かのパワーがあるのだろうか、と思わせるほど、月の魔力を題材にした作品は多い。

 この宇宙は150億年前にビッグバンで誕生した。スーパーコンピューターを駆使したgiant impact(巨大衝突)説(1984年)によると、火星サイズの天体が約時速10万キロメートルで地球と衝突し、溶けたマグマとなった岩石が宇宙空間へ飛び散り、数万ー数千万年かかって再び集まって合体した。その結果、45億年前に月が誕生したという。月は1年に3cm地球から遠くなっており、月が誕生した時は、今よりも15万kmも近かった。

 地球からみた月は、手を一杯に伸ばした時に5円玉の穴に入る大きさで、太陽も同じである。なぜなら、月より400倍遠い太陽は、月の400倍の大きさをもっているからである。新人類という奇妙な生き物が20万年前に出現してきた時期に、たまたま、太陽と月の見かけの大きさが一緒になるとは、不思議なタイミングだ。これは、宇宙や天体、引力などの法則により、必然か偶然かはわからない。しかし、逆に、様々な環境や条件がそろったからこそ、ホモ・サピエンスが出現できたのだろう。地球の歴史を24時間の長さに縮めると、この惑星をわがもの顔で徘徊している我々は、実は、わずか2秒という誕生したばかりの新参者なのである。

 月の引力は強く、硬い地球の表面も引っ張っており、1日2回20cmも上下させているという。また、月の引力は、潮の満ち引きも起こしており、満月や新月の時には、太陽の引力の相乗効果で、大潮となる。アマゾンや中国でみられる「ポロロッカ」という、川の水の逆流のショーをテレビで見た人も多いだろう。

 満月や新月のときには、植物や動物にも行動に変化が来ることがわかっている。ヒマワリやマメは満月や新月の時に元気になり、水を吸い上げる量が増える。「ウニの卵巣は満月のころに大きくなる」(アリストテレス)とあるように、7-9月の満月の夜に、紅海沿岸のウニは産卵して受精する。また、ミミズに似た生き物の釣りのえさ、ゴカイは、12月の新月から二晩の間の満潮時の、その二時間にかぎって繁殖をするという。

 地球上の生命は海に誕生し、単細胞生物から多細胞生物に進化するときに、細胞内に海水を閉じこめたのである。そして、月の引力を感知できる能力も、約4億年のあいだ遺伝し、人間にも受け継がれてきているのである。

 月が女性の月経に関わっていることは、よく知られている。1万例の月経の周期を分析すると、満月と新月の日には、月経中のヒトが10%以上も増えていた。また、1957年のメナカーの研究で、人間の生殖は月齢と関係があり、月経周期の平均は、月齢サイクルとまったく同じ長さの29.5日であったことがわかった。全国の助産婦が取り上げた分娩のデータを分析すると、確かに、満月と新月に多く、さらに、引力の変化率と蓄積効果を重ね合わせたグラフは、出産データと一致したという。さらに25万例の出産記録では、平均妊娠期間が月齢の9カ月、つまり265.8日であることもつきとめた。

 精神医学で有名なユングの弟子であるハーディングは、「月の神秘と女性原理」を著した。古代信仰から現代芸術に至るまで、女性と月との間には、密接なつながりがみられ、狼男伝説にみられる異常な攻撃性や凶暴性は満月の影響によるものだという。残虐な犯罪も、満月と新月の日に関係しているともいわれている。

 このように見てみると、月の引力は、我々の潜在意識下にある欲望を引っ張り出すのであろうか、とも思えてくる。月の光をみると、かつて磁力や月の引力を感じる事ができた時代のヒトの本能を呼び覚ますために、心が翻弄されるのかもしれない。だから、昔から、「月の光には魔力が潜んでいる」、「月が地上を愛に染めた時ーー男と女は恋におちる」、「月は女に恋の魔法をかける」、などと伝えられているのであろう。

 話は変わって、最近、テレビ番組の名探偵「コナン」に人気がある。小説家コナン・ドイルの生みだしたシャーロック・ホームズに、勝るとも劣らない有名な名探偵の高校生が、ある事件に巻き込まれた。死体から毒が検出されず、完全犯罪が可能とされる新しく開発された薬を飲まされてしまい、身体が小さくなってしまう。そこから、名探偵「コナン」の闘いが始まるのだ。

 先日、ピアノソナタ「月光」殺人事件が放映された。満月の夜に、古いピアノから「月光」が奏でられ、殺人事件が起こる。ベートーベンの「月光」の楽譜にメッセージが隠されており、この暗号を解読する。手に汗握るサスペンスで、コナンが犯人の医師を追いつめる手法は、誠に見事であった。

 さて、夏の夜には、「月光浴」がよい。心身の健康にヨーガは有名であるが、元来、ヨーガはハタ・ヨーガとも呼ばれ、ハは「月」、タは「太陽」を表す。ハタ・ヨーガの修行のひとつに「月の礼拝」があり、満月の4日前から、月に向かって礼拝をする。これに加えて、月の光を全身で浴びて深く息をする「月光浴」を一緒に行えば、身も心もやすらぎ、何ともいえない心地よさに包まれるという。

 Blue Moonの光の下で、粋なブルースを奏でるトランペットの音色を聴くと、深い記憶の底から、超能力が呼びもどされて、スポットライトを浴びるかもしれない。もしかしたら、舞台だけでなく、現生の世界もすべて夢なのであろうか?

参考資料
1)池田寛と日本楽友会オールドボーイズ、
2)高泉淳子. Story and Cast
3)Words by Lorenz Hart, Music by Richard Rodgers, Copyright 1934.
4)「月の輝く夜に」Moonstruck. ノーマン・ジュイソン監督.Herald.1987.
5)大森一樹監督.「満月」.松竹(株)配給.1991.
6)エスター・ハーディング著/樋口和彦・武田憲道訳. 女性の神秘(月の神秘と女性原理),創元社,1985.
7)青山剛昌. 名探偵「コナン」, Detective CONAN vol.7, 小学館,1995.

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