感性で心の対話

 ダニーボーイが、異色の音色でホール内に響く。しかし、ジャズでおなじみのサックスもなければトランペットもない。平成10年4月、博多市で開かれた日本内科学会総会でのランチコンサートは、奇妙なセッションで”観客”を魅了していた。私は、スライドを使って、ショパンの生涯やバイオミュージックについて紹介しながら、ピアノを演奏。川崎医科大学地域医療学の岸本寿男先生は、情緒豊かに尺八を演奏したのだった。先生は、幼少のころから音楽に親しみ、アメリカのジャズメンと共演したり、CDを出したり。すなわち、和、洋、古典、近代音楽を自由自在にこなすミュージシャンだ。米国留学中には、優れた作曲者に送られる「エミー賞」を受賞するほどの本格派である。

 今回のセッションのために、以前から連絡を取り合っていたのだが、実は今回が初共演。初めてとなると、たとえ玄人どおしであっても難しい。音楽は、奏者の心情を曲にのせて表現するのだが、共演する相手のキャラクターが正反対なら、演奏のしかたも変わってくる。アグレッシブな相手がパートナーなら、テンポも早くなるだろうし、逆にマイルドな相手なら、同じ曲でもソフトタッチになるがごとく、である。これがうまくかみ合わないと、実にぎくしゃくした演奏に陥ってしまいがちだ。今回、未経験の私にとって、はたして洋楽器と和楽器のジョイントがうまくいくものかどうか、少し不安を感じていた。

 しかし、このデュオコンサートは、成功だったのではないか、と思っている。尺八が、ピアノと見事にマッチし、バランス良くまとまったからである。演奏中には、単に尺八の音色だけでなく、人間の息づかい、鼓動、さらに生命の躍動感までが、私の体に脈々と伝わってきた。日本古来の楽器であるがゆえに、日本人の心の琴線を共鳴させるのかもしれない。それにしても、二人の演奏がうまくいったのは、互いの感性がある程度のシンクロを見せたからだったのではないだろうか。

 感性にまつわるエピソードと言えば、やはり、かの偉大なショパンを思い出す。ピアノや音楽が優秀で、頭脳明晰なのは当然のこと。文章は上手で、学内新聞を発行。デッサンや絵画に長け、演劇をさせると名優の素質をのぞかせる。おおよそ、芸術と呼ばれる様々な領域で、豊かな感性を見せつけていた。

 しかし、素晴らしい素質を持ったショパンも、こと「恋」に関しては、なかなかシンクロできる相手に出会えなかったのである。彼は、何度か激しい恋をし、そして敗れている。つらく悲しい恋の末に巡り会ったのは、小説家としても名高いジョルジュ・サンドだったのである。音楽を理解し、絵画も玄人。彼女がショパンを描いた美しい肖像画は今に残っている。彼女とショパンは、バルザックなどの芸術家がいつも集まるサロンで時を過ごし、音楽、美術、文学など多方面にわたって、時には議論する機会に恵まれた(図)。彼は、この中で感性に磨きをかけ、誰もが為し得ない素晴らしい仕事を残したのである。そのパートナーとしてのジョルジュは、ショパンの恋人であり、母親であり、看護婦であった。さらにショパンという人間を理解し、心をいやす精神科医でもあり、ショパンが世に出る大きな力となったのだ。

 人間の感情は三つのレベルに分けられる。根底にあるのが情動。これは喜び、悲しみ、恐れ、などの基本的な感情をいう。次が情緒で、情動をうまくコントロールできること。幼少から学童のころに形成されるが、大人になっても、情緒がない人や情緒不安定の人は、すこし問題である。そして、三つ目が感性。たとえば、草花や音楽に触れたとき、「かわいいね。気持ちいいね」と母親が言えば、その心が子供に伝わる。決して、「この花はきれいと憶えなさい」と強制するものではない。感性豊かに育った子供は、芸術に接すれば「素晴らしい」と感じ、ハンディキャップがある友達には「お気の毒に」と感じて、決して、いじめたりはしない。これらが、人間しか感じることができない感性なのである。

 ショパンとジョルジュの感性が、見事にフィットしたからこそ、ショパンの才能が何倍にも増幅されたのかもしれない。ショパンは、やや女性的でデリケートな性格。一方、ジョルジュは、英語で男性の名前であるGeorgeの筆名で執筆活動を行い、「男装の麗人」として知られていた。ショパンとジョルジュは、お互いの研ぎ済まされた感性で、常に心で対話していたとは言えないだろうか?作曲家は、心の揺れやひだなどに隠された心情を曲に託し、演奏家は楽器を使って人に伝える。心が伝わってくるから、人は音楽に感動し、涙するのだ。二人の出会いは、こうした名演奏家や名曲との出会いにたとえられまいか。

 最近、高校1年生の日本人天才バイオリニストが評判となっている。その演奏を聴くと、確かにその天才性が感じられる。先日、彼女のドキュメンタリー番組が放映されていた。通常、天才演奏家の誕生には、祖父母の世代から音楽を嗜む家庭環境が必須とされる。しかし、彼女は、ごく普通の一般家庭の子女で、両親は特に音楽をするわけでもない。幼稚園の時に、初めてバイオリンを見て憧れ、割り箸2本を、バイオリン本体と弓にみたてて、遊んでいたという。多くの批評家や指揮者は、「あれほど若いのに、内在する音楽性は、ベテラン演奏家の誰にも引けを取らない」と絶賛し、高く評価している。

 彼女の卓越した感性はどこから来るのだろうか?彼女は、楽譜に書かれていない作曲家の意図をくみ取り、作曲者と対話ができるという。また、幼少のころから多くの書に親しみ、近頃はロマン・ロランやヘッセなども愛読しているのも一因か。さらに、作曲者から得たインスピレーションを得て、何を伝えたいかを熟考している。だからこそ、バイオリンで自己表現し、聴衆を感動させることができるのであろう。

 心の対話。日常診療で、これほど我々医師に問われるものはない。患者さんの痛みは、どこにあるのか。それは体の調子が悪いのか、もしくは、心の傷からなのか。病んだ患者さんを前にして、ひとつひとつ丁寧に話を聴いていく。すると、白衣の鎧(よろい)に対して、構えていた患者さんも、少しずつ心を開きだし、やがて病の本質が見えてくる。

 この時に必要なのが感性だ。問診の技法についての本がマニュアルとして出ているが、これだけではだめ。医療にはサイエンスとアートが必要というが、医師に感性がなければ、患者のちょっとした変化に気づくことができない。相対するクライエントの生き様を理解し、共鳴し、シンクロできなければ、一歩踏み込んだ問いかけもできない。

 私たち医師も、様々な修練や経験を積みながら、感性を磨いていきたいものだ。ショパンとジョルジュが向かい合って、心の対話を試みたように、診療もまた、心の対話なのである。

 <資料>
1) CDの問い合わせ: 川崎医科大学地域医療学 岸本寿男 Sky & Wind係 FAX 086-462-1199
図はジョルジュ・サンドのサロン 下段左端がショパン、上段左端から順に、リスト、サンド、ドラクロア

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM