心に染みる

 標高3000m、米国ロッキー山脈の裾野には、仙人が住んでいる。細身の身体に30年以上伸ばしている髪。目は優しくて雰囲気は穏やか。薪を割り、囲炉裏(いろり)の生活がよく似合う。

 これまでも富士山麓や長野県八坂村などに居を構えたことがある。時の流れとともに雲に乗ってさらに高く、天により近くなってきた。あたかも心も身体も大自然にとけ込んでいるかのようだ。

 仙人とは、著名な作曲家、喜多郎さんのこと。1953年に生まれて19歳でシンセサイザーに取り組み、78年にアルバム「天界」をリリース。80年にはNHK特集「シルクロード」の音楽を担当し、一躍知られるようになった。この映像と音楽が私たちを古代ロマンの旅へと誘ってくれた。

 このたび2001年3月に、アルバム「シンキング・オブ・ユー」が、世界で最も権威あるグラミー賞を受賞したのである。今までもたびたびノミネートされてはいたが、7回目でようやくつかんだ栄冠。私は以前から大の喜多郎ファンの一人であり、それだけに私事のように嬉しかった。

 今回のニューエージアルバムの最優秀賞は、癒し的な要素の強い音楽を対象とした部門。彼の音楽は、長年、民族を越えて聴く人の郷愁を誘い、世界的な人気を呼んでいた。たとえば、1990年にリリースされたアルバム「古事記」は、同ジャンル部門で8週連続トップを走ったこともある。

 なぜ、喜多郎の音楽はこんなに人の心を捉えるのだろうか。その特徴について考えてみた。まず、シンセサイザーを用いて作曲していること。ハイテクを巧みに駆使することによりあらゆる可能性を追求できる。通常、電気的に作られた音を長時間聴くと疲れることが多い。しかし、喜多郎の音楽では、自然音のように私達の心を共鳴させ、気持ちよく感じる。音楽の6要素であるリズム、メロディ、ハーモニー、遅速、強弱、音色をトータルに調和させ、バランスは左脳で計算せず、右脳で快適と感じたものであろう。

 次に、喜多郎が東洋人であること。日本で育ったベースに、西洋からの斬新なファクターが積み重なったことが、今日の成功につながったと思われる。西洋では太古の昔から、動物や自然を相手に立ち向かい闘ってきた狩猟の歴史がある。競争や勝負により、勝つか負けるか、白か黒かというようにデジタル的な思考である。一方、東洋では、人間とは大自然の中では小さな存在。自然に畏敬の念を払い、恵みを頂くように工夫してきた農耕の歴史がある。自然を征服するのではなく、調和し融合するという発想である。曖昧模糊とした不思議なバランス感覚が存在するアナログの世界だ。虫の音や波の音を聴いた場合、西洋では雑音として、東洋(日本)では、言葉として認知されるという。日本人は、自然音や楽音、言葉を区別せずに聞き、聴こうとする傾向がみられる。以上から、喜多郎の音楽は、割り切れず、測り切れず、という深遠な美しさを有しているのかもしれない。

 3番目には、喜多郎の宇宙的な感性。これが人に備わるには、基盤に広い教養や高い知性が必要だ。これに加えて、研ぎ澄まされた五感と感性があるから、大自然から様々なメッセージを感じとることができる。これらを統合させることにより、宇宙とか文明などを含む大胆で壮大なテーマを、音楽で表現できる。言葉の壁を越えて、言葉以上のメッセージを全世界に発信してきた。彼は、異空間への旅に多くの人を誘うドリーム・ウィーバー(夢織り人)であると言える。

 喜多郎は、「音を楽しむには、心の健康がまずは大切である。人はだれもが自分自身を治癒させる力を有している。癒す力とは、その人の心が思うことにより生まれてくるもの。一番いいのは、感動することだ。音楽は、それを引き出させるように、脳のある一部分をノックするだけ。目を閉じれば見える、写真を見れば自然の息吹が聞える」などとコメントしている1,2)。

 ところで、もう一人、私達に夢を与え続けた歌手を紹介したい。日本では、和服姿の男性歌手第1号。浪曲で鍛えたノリのいい歌声とサービス精神にあふれたキャラクター。口上は「お客さまは神様です」。その人とは、三波春夫さん3)。2001年4月に惜しまれながら遠くに旅だってしまった。しかし、数十年間にわたり、私たちに日本の歌と心を与え続けてくれた功績は大きい。

 13歳で上京し、16才で日本浪曲学校に入学。浪曲師としてプロになったが出征した。戦後、シベリアで4年間の抑留生活を送ったが、歌が人の心を癒し励ます力を実感した。帰国後、地方巡業で全国を廻ることになる。

 私が生まれた昭和32年(1957年)には、デビュー曲「チャンチキおけさ」がヒットした。溌剌としたパワーが感じられる曲である。

   ♪月がわびしい 露地裏の 屋台の酒の ほろにがさ
     知らぬ同士が 小皿叩いて チャンチキおけさ
        おけさ せつなや やるせなや
   
   ひとり残した あの娘 達者で居てか おふくろは
     すまぬすまぬと 詫びて今夜も チャンチキおけさ
        おけさ おけさで 身を責める

   故郷を出る時 もって来た 大きな夢を 盃に
     そっと浮かべて もらす溜息 チャンチキおけさ
        おけさ 涙で 曇る月 ♪

 私が初めて聴いた時、リズミカルで楽しい音頭のような気がした。しかし、歌詞の内容を熟読するとちょっと違う。当時、農村から都会へ移動した多くの人々。これが経済成長と連動し、社会構造を根底から大きく変えた。厳しい仕事が普通の時代。ストレスで体調を崩した人もあったであろう。苦しい心情を吐露できる場所や相手もそう簡単には見つからない。

 このような中、サラリーマンは、飲み屋で皿や茶碗をたたいてこの曲を歌った。顔で笑って心で泣いていたかもしれない。辛すぎて笑うしかなかったかもしれない。でも、自分の心を代弁してくれる歌詞に触れてホッとし、賑やかに酔える歌で励まされ、「明日からはがんばろう」と高度成長を支え邁進できたものと思われる。「チャンチキおけさ」は心身を癒し、医者や薬の役割を果たしていたのではあるまいか。テレビが普及し始めたころで、最も身近な娯楽は歌謡曲。三波春夫は画面を通じて、笑顔とともに、人情を、浪曲を、日本語の美しさを、あらゆる年代の人に伝えた。また、派手な着物や絢爛たる舞台の演出も加え、みせる歌としても、新しい境地を開拓したのである。

 その後、64年には東京オリンピックの「東京五輪音頭」を唄い、国民的歌手へ。大阪の万国博覧会のテーマ曲「世界の国からこんにちは」が、作詞:島田陽子、作曲:中村八大、唄:三波春夫の協力で作られた。歌詞を抜粋すると、

♪1番: 西の国から 東の国から 世界の人が 桜の国で
  2番: 月へ宇宙へ 地球を飛び出す 世界の夢が 緑の丘で
   3番: 笑顔溢れる 心の底から 世界を結ぶ 日本の国で
    
    さび: 1970年のこんにちは 握手をしよう ♪

 私は当時、中学生。経済も生活も豊かになり、夢や希望に胸膨らませていたときだ。時代の象徴は岡本太郎の「太陽の塔」。このテーマソングで、海を渡って人々がどっと押しかけてくると思っていた。西洋生まれのイベントと日本の芸能文化を融合させた国家事業。三波春夫は着物を纏い、斬新なスタイルにアレンジされた盆踊りと歌を、世界に発信したのである。

 彼は、しばしば日本について語った。「富士山と桜は、いつどんな時代にあっても、私たちに安らぎを与えてくれる。もうひとつは歌。心に深く刻まれた歌は私たちの生涯の宝物である」と。ちなみに、三波春夫は学者でもあった。浪曲と歌謡曲とを合体させ、日本の話芸についても研究を続けた。ライフワークは歴史研究であり、「聖徳太子憲法は生きている」、「真髄 三波忠臣蔵」、「熱血!日本偉人伝」などの著作がある4)。
生活は次第に学究的でストイックな姿勢となり、自宅では、歌の練習か、読書か、歴史に関係した原稿の執筆を行っていたという。

 今回は、二人の音楽家、喜多郎さんと三波春夫さんについて述べた。いずれの巨匠も、ジャンルは違っても私たちに感動を与える。共通するのは、高い精神性や強い探求心、品格が備わっていることだ。その音楽は私たちの心の琴線を震わせ、ヒューマニティ溢れるハートまで、心に染みいってくるような気がする。

資料
 1)喜多郎。音楽&写真集 「喜多郎 with the earth」。小学館、2000
 2)喜多郎による四国八十八ヵ所HP  http://kitaro.to/sche/88/
 3)'86年紫綬褒章、'94年勲四等旭日小綬章 受章。'94年発表の「平家物語」が日本レコード大賞企画賞受賞。
 4)三波春夫。言わねばならぬッ!。(永六輔さんとの対談集)、NHK出版、1999

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