密室の熱い恋

 ハンガリーの首都,ブダペスト.この街は,西のブダと東のペストが併さったもので,中央にドナウ川がゆったりと流れている.歴史的には,オーストリアと密接な関係があり,ヨーロッパを統治した女帝マリア・テレジアはハンガリー王女でもあった.ハプスブルグ家のシェーンブルン宮殿が参考とされ,同国最大の地主であった名家のエステルハージ宮殿が建てられた.ここで,音楽家ハイドンが指揮者として,大作曲家リストの実父が宮廷音楽家として務めていたのである.

 私は憧れのリスト記念館を訪れた.リストの肖像画を目の当たりにすると,気品あふれた品格と情熱的な瞳が,私の心を打つ.女性との愛を貫き,彼の人生は自由奔放にみえる.しかし,音楽家を育てて多くの人々を援助し,社会に大きく貢献した.信頼が厚く,晩年には音楽学校の校長も兼ねたほどだ.書斎にはお洒落な調度品が置かれている.3オクターブの鍵盤がついた机で,無音の鍵盤に触れながらリストは五線紙にペンを走らせたのであろう.一流好みであった彼のこだわりが,私たちを優美な世界に招いてくれる.

 ロマン派のリストは,常に心にロマンを持ち,ロマンに満ちた人生を送った.マリー・ダグー夫人をはじめ,4人の女性との情熱的な恋によって彩られた彼の人生.彼の愛は誰に対しても真剣であった.だからこそ,あれほど人を感動させるラブミュージックの名曲「愛の夢(The Dream of Love,Liebestraum)」を作曲できたのだ.この曲は,私にとって思い出深い.私は中学生時代,ピアニスト・作曲家の道を示したことがある.しかし,中央のレベルははるかに高く,その壁はなかなか破られなかった.そのような悩みの中,ふと耳にしたこの曲が私の心を捕らえたのだ.これが,甘美な「愛の夢」との出会いであった.

 以来,大好きな曲の一つだが,歳を経るたびに新しく発見するその深さとメッセージ.この曲が,プロにならずとも音楽を愛する私の心を開いてくれたのである.ところで,「愛の夢」は,高貴な愛,至福の死,愛しうる限り愛せ,の3つの歌曲をピアノ曲用に編曲したもの.夜想曲I,II,IIIとも命名されているため,ショバンのパロディーだとも言われている.

「愛の夢第3番」は,5分ほどの小曲で緩急緩の三部形式から構成されている.ムードのある官能的な調べのプレリュード.中間部は次第に盛り上がってエネルギッシュでエキサイティングな情景でクライマックスを迎える.そして,幸せを感じつつ「愛の夢」をみながら一緒に眠りにつく,という夢物語が感じられる.私は,最近,国際学会でピアノを弾くことがある.本曲を演奏するときは,上に述べた少しエッチな内容を,英語で上品に(?)説明しながら聴いてもらう.愛に国境はなく,内容が理解できるようで,拍手喝采を頂いている.

 さて,ブタペストで滞在中,ホテルのフィットネスクラブに足を踏み入れた.私は旅に出ると,健康の維持増進のためにスクワットを行って足腰を鍛え,そのあとサウナに入るのが楽しみである.受付で,「よろしければ,サウナだけでなく,スキンケア,ネイルケア,マッサージなどもご利用・ご用命下さい」とのこと.男性でも,女性と同じく,コスメティクスをするようだ.

 数人で満員となる小さなサウナで汗をかき,水風呂に浸かっていた.すると,スタッフが一人の女性客をつれてきて,私の真ん前で,クラブの利用法を説明し始めた.バスタオルは濡れないように,すこし離れた台の上.私は素っ裸のままで水の中.裸の男性が前にいるのに,まったく気にしない様子だ.でも,私は気になるので,水から上がりたくても上がれない.水の音をたてても,一向に気にもとめない.ひたすらじっと耐えて待った.おかげで,私の身体は芯まで冷え,顔は恥ずかしくて赤くなり,散々な1日目であった.

 翌日もトレーニング後,サウナ室へ.なお,サウナ(Sauna)はソーナと発音すれば,世界中どこでも通じる.小さなサウナで上の段に座り,一人で汗をかいていた.そこへ,「ハロー」と,二十歳くらいの見目麗しい女性がバスタオルで胸まで包み込んで入ってきた.抜群のプロポーションで,ナイスボディ.肥満や糖尿病が専門の私としては,職業柄,条件反射のように観察し分析してしまう.瞬時に標準体重より15%ほどスレンダーだな,と診断していた.彼女は上の段に登り,私と対面するように腰かけた.自然と世間話が始まることに.市内に住み,週に1~2度来るという.「ヨーロッパのサウナは摂氏70度ほどでゆっくり楽しむが,日本のサウナでは約90度だ.日本人はせっかちだから,より熱く短時間タイプなのだ」,などと話をしているうちに,次第に打ち解けてきた.

 すると急に「このほうが気持ちいいわ」と,乳房を包んでいたバスタオルをひらりとゆるめ,タオルは腰部の一部分だけになった.予想しない展開に私はびっくり.目はちかちか,頭がのぼせ,喉が渇いてきた.しかし,全く気にしないという素振りをして,そのまましばらく会話を楽しみながら,二人は熱い関係を続けていた.すると,彼女は「そろそろ出る時間だわ」と,上の段から降りてこようとした.その時,少女のように無邪気に,タオルがひらりとひるがえり,全身があらわになった.芸術的な美しさ.かわいい仕草で床の上に降りてから,ゆっくりとバスタオルをまきつけて,「それじゃね」とシャワーを浴びに出ていった.私の身体も心も熱くなり,まさしく「愛の夢」の2日目であった.

 部屋に帰って考えた.この健康的な爽やかさは不思議だ.男女一緒にサウナに入るのは,ごく普通の慣習.誰も気にしていない.目的はあくまで健康のため.サウナやスキンケア,ネイルケアなど,性差はないのだろうか.

 また,欧州では,人間の肉体の美しさを絵画や彫刻などで表現してきた.裸体像は至る所にみられ,宗教的な文化もあり,子供の頃から違和感を感じないのであろう.一方,日本では,儒教的,道徳的な観点から,ややタブー視してきたことも否めない.小学生の頃,そのような画像に出会い,恥ずかしいと感じた読者も多いだろう.さらに,恥ずかしいこと(shy)と,恥と感じること(ashamed)について考えた.これは本来,根本的に違うものだ.東洋人が褒められると,「嬉しいけれど,はにかんで恥ずかしそうにする」ことがある.この態度や仕草は,欧米にはみられないという.しかし,日本では両者で,同じ「恥」という漢字が使われている.名誉なことで褒められるのに,なぜ恥(はじ)という漢字が使われるのだろう.漢字文化の日本においては,いつの時代からかは不明だが,両者が混同されてしまった可能性がある.ブタペストは,健康とレクリエーションの場として有名である.街の地下からは温泉が吹き出し,遠い昔からケルト人,ローマ人,マジャール人が風呂を作り,医学的効果を発見した.風呂といっても,日本の「銭湯」とはずいぶんと違う.お湯に浸かるのではなく,蒸気風呂なのである.身体を暖めたあとには,専門の職人がアカスリをしてくれるのだ.これが温泉療法や海洋療法へと発展していくのである.

 さて,2日目にはとても楽しい思いをしたので,3日目には,朝6時から意気揚々とサウナに出かけた.「今日はどんなアバンチュールがあるかな」と,サウナに入ろうとしたとたん,突然私の目の前に全裸の女性が,サウナ室から飛び出してきた.瞬時に,40歳台の標準体重+35%ほどのオバタリアンと診断.すると不思議なことに,私の瞼は反射的に閉じられた.「服を身につけるから外へ出ていって」と言う.わざわざサウナ室から出てきて,服を着るから人を追い出すとは,矛盾した話だ.それにしても,視診で全身像を観察したはずだが,髪や瞳の色など思いだそうとしても記憶に残っていない.昨日は麗しい女性のデータが,一瞬のうちに大脳にインプットされたのに,本日は大脳への入力がブロックされた様子.いつも沈着冷静であるべき科学者として,この対応はダメである.医者たる者,いつ何時においても,ウィリアム・オスラー先生の「平静の心」を持たねばならない,と反省した次第であった.

 精神分析学的には,「昨日と同様の楽しい出会いを無意識に期待していたが,まったく逆の現象に遭遇したので,このような反応を起こしたのだろう」と,解析できる.まだまだ心の修行が足らない私を再認識した.何はともあれ,ハンガリーの歴史や文化に触れ,音楽で気持ちよくなり,サウナでも気持ちよくなった良き旅であった.

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