ユーミンと脳細胞

 認定内科専門医会の四国支部世話人代表である板東 浩先生が、なんと平成5年12月に全四国音楽コンクールピアノ部門一般・大学の部で最優秀賞を受賞されました。音楽学校の大学院生を相手にこの快挙はとても医者とは思えません。彼にこのような才能があるとは誰も信じないでしょうが本当の話です。その後、彼は音楽活動を行いながら、内科専門医会雑誌に「医学と音楽」のエッセイを書き続け、今回から3年目に入ります。内分泌・代謝学を専門とする医師で、もしかしたら天才ピアニストかもしれない(?)板東先生の今後の連載を引き続き楽しみにしてください(小林祥泰)。

 ドアをあけると、そこは別世界だった。エキゾチックな香りと薄い霧に包まれた会場。プロローグから異次元空間への期待が高まる。短い間隔のストロボ、内臓を揺り動かすベースの音、きらめく原色のレーザー光線。心臓の鼓動が高鳴り,身体の中から魂が、大きなパワーで引き抜かれてしまいそうになる・・・。

 私たちの心を操る人、それはユーミンこと松任谷由美である。荒井由美の時代から、Yumingの音楽はずっと私たちの心を捉えて離さない。それは一体なぜだろうか?

 第一に、彼女のレトリック(詩)には、他の歌手にはない魅力がある。窓から見える何気ない光景。ある一コマをモチーフに、恋心や恋への不安などを絵画的な眼で表現した輝きがある。だから彼女の歌を聴くうちに、その光景がお仕着せでなく、自然に鮮やかに脳裏に浮かび上がってくるのだ。

 ユーミンは、美大で日本画を専攻したという。この経験が、日の光や水の影というどこにでもある情景に命を吹き込むのだろう。

 雨音に気づいて 遅く起きた朝は 
    まだベッドの中で 半分眠りたい 
       ストーブをつけたら 曇ったガラス窓 
          手の平をこすると ぼんやり冬景色

 これは「十二月の雨」という彼女の初期の作品である。この詩から湧き出るイメージは十人十色であるが、聴く人みんなの心に染み込むのは、それが単なる一風景ではなく、心象風景に歌いあげられているからではないだろうか?

 第二には、彼女が人に対する鋭い洞察力や優しい愛を持っているからだ。ユーミンはラジオのパーソナリティーとして、多くの人々の相談に応じ、慰めたり勇気づけたりもしている。この豊かな感性が、彼女の歌を心の中に印象づけ、いつまでも心地よい記憶として残してしまうのだ。

 第三には、きらびやかなライティングと身体の芯まで揺り動かす音響にある。最新のコンピュータ技術を駆使した華やかなステージには、曲にマッチした映像が映しだされる。

 今回のテーマは「カトマンズ」。心の中の街への旅。ユーミンの歌を聴いていると、こんなフレーズが浮かぶ。彼女にとって、旅はそこへ行くことが目的ではなく,地図では表せない街への旅。言い換えれば「時空間のゆがみへの旅」である。クラシックバレーやヘビメタなど、あらゆる時代やジャンルを越えて取り入れることが、その旅への不可欠なアイテムとなってくる。その結果、彼女のステージは、五感すべてを刺激し、独特のユーミンワールドに私たちをいざなってくれる。

 さて、音楽と映像は互いに影響しあって、我々の心を支配する。美しい風景を映画でみる場合、BGMの存在こそが、より強く印象づけるのだ。

 ユーミンのコンサートでは、musicだけでなく、back ground illuminationが次々と映しだされて、我々を一層ユーミンの虜にしてしまう。このことは、最近注目されている乳幼児の能力開発教育法に結びついてるように思う。様々な図や文字を描いたカードをたくさん用意して、1秒間に数枚という高速度で見せ、頭脳を訓練させるものだ。

 我々の脳に入力される情報の9割は視覚からだといわれている。さらに、近年の研究で、様々な形や色の映像の信号が視野領域に送られると、刺激される脳の場所がそれぞれ異なると報告されている。また、人の顔や姿の違いによっても特定の脳細胞の電気活動がみられるという。これは、免疫学で、先差万別な抗原に対して抗体をかつて作ったことがあれば記憶しているように、一度でも見たものは、すべてそれぞれ異なる脳細胞にインプットされているのかもしれない。

 ところで、芸術と脳発達の関係がScience誌に発表された。MRIを用いて脳を調べると、絶対音感を持つ人は、脳の左側の側頭葉後部が右側より大きいことが明らかになったのである。著者のSchlaugは、医学部入学前はオルガン奏者であったが、残念ながら絶対音感はなく、「絶対音感はgiftで本当のtalentである」と述べていた。彼の悔しくもまた憧れであった絶対音感への想いが、この研究を成就させたのであろうか。絶対音感とは、調律笛の助けを借りずに楽音の高さを正確に言い当てたり、様々な音の音程がわかることである。私事で恐縮だが,私は物心がついた時から不思議と絶対音感が身についていて,汽笛やパトカーのサイレンの微妙な音程が分かった。ある音楽家がコップが落ちて割れる音を聴いて、「これは○○の和音だ」と指摘したという話を聞いたことがある。そこまでになると、天才と何とかは紙一重という気がするのだが・・。

 一方 、別の報告では、ある音楽の旋律を初めて聴いた時は、左でなく右脳が刺激されるという。この2つの説は相反するようだが、そうではない。従来、言葉の中枢は左側頭葉にあり、音楽や作曲に関する中枢は右側頭葉にあることが知られている。現時点での研究成果をまとめると、
 1)音楽的活動の内容は千差万別で、あるものは右脳で、あるものは左脳で情報処理されている
 2)絶対音感の責任領域は左にあるようだが、この機能には言語と音楽の両者の能力が必要である
 3)言語活動よりはるかに高次の機能と考えられる音楽活動が行えるためには、右脳と左脳の複雑なネットワークがうまく働く必要がある、
 などと推測されている。

 ユーミンはピアノで弾き語りをする。弾き語りとは、大脳で詩や旋律、伴奏を考えながら同時に、舌と唇を使って声を出して歌い、指でピアノの鍵盤を弾くという動作である。ご承知の通り、人間は動物から進化してきたものだが、人間の特質は言葉を話し、手を使うということである。大脳の面積の多くは、顔や舌、唇の知覚と運動に関与しており、手と指の運動には大脳の30-60%が使われているという。すなわち、弾き語りができるためには、脳細胞のほとんどを賦活して協調した情報処理機構が必要であるのだ。

 ところで、ユーミンの曲がEnglish versionやFrench versionでリリースされているのを、ご存知だろうか。私が大好きな「卒業写真」では、悲しいことがあると・・ が、
 When I down, feeling sad,・・・
 と訳されている。英語の歌詞が別の脳細胞を刺激するのか、異なるイメージが心に広がる。

 ユーミンの人と音楽は、中学生から中年の男女に至るまで多くの人々に受け入れられ、ファンを数十年魅了し続けている。近年、NHKの朝の連続テレビ小説「春よ、来い」の主題歌も手がけ、今や、ユーミンは国民的シンガーソングライターでもある。彼女のニューミュージックは、演歌でも浪速節でもないが、不思議と我々日本人の心の琴線に触れ、心が和む。これほど幅広い年齢層から受け入れられ、長年にわたり継続的に信頼されている姿は、私たち医師が目指すべき姿なのかもしれない。

 ユーミンの最新アルバムに「織姫」がある。
    コムラサキなら七月の 
       暮れたばかりの空の色
 と始まるその歌は、私に懐かしさと安らぎを想い出させてくれる。
    あれは浴衣の行列が 山の小径を見え隠れ
       蛍のような提灯を 星へと運んでいく
 コンサートのエンディングで、着物姿のユーミンが、妖艶に舞いながら歌い綴る姿が瞼に甦り、私の気持ちはゆっくりと揺らぐ・・・。

 参考資料
 1) Schlaug G et al.Science 267:699,1995.
 2) Zatorre RJ et al.J Neurosci.14:1908,1994.
 3) 林 博史.頭のリズム・体のリズム.ごま書房,1995.
 4) CD盤. Graduation/A.S.A.P.(As Soon As Possible), COCA-12161,1994.
 5) CD盤. Yumi Matsutoya. KATHMANDU, TOCT 9300, 1995.

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