ホルモン天使の声

 男性のみならず女性にも人気のニューハーフの店を、夜の歓楽街に訪ねた。怪しげな照明の中で、これまた怪しげなルックスの美女?たちが 歩し、歌や踊りを繰り広げる。艶っぽいものからコミカルなものまで、声こそ低音で男性の名残を感じさせるが、彼らの熱演ぶりに強烈なプロ意識を感じた。彼らは、みな美しく、身体が丸みを帯びて太めの人もいるが、中にはわざわざ外国まで行って整形した人もいる。

 そういった彼らを、専門のホルモン学的立場から3つのカテゴリーに分類すると、1)特別な手術など何もしない場合、2)睾丸(玉)を抜く手術を行う場合、3)玉だけでなく、サオまで取る手術をする場合・・。玉抜きは男性ホルモンが出なくなるため、体つきが丸く女性らしく変わってくるが、サオ取りの場合は感染しやすく、医療技術が未発達な昔では生命にかかわるような危険な手術だったことを考えると、いかに近代医学が発達していようとも、日本以外で手術を受けるその勇気には、並々ならぬものを感じた。

 去勢は、ニューハーフになるためだけのものではないことは、音楽家たちの間では有名である。ソプラノの美声を保つために去勢することは近世のヨーロッパでは当たり前のように行われていたようだ。18世紀に活躍したソプラノ歌手カルロ・ファリネッリを主人公に描いた映画「カストラート」は、兄に去勢されたために、人並みはずれた3オクターブ半の音域を与えられ、兄が作曲した歌で名声を勝ち得た兄弟の罪悪感と栄光を縦糸に、天才作曲家ヘンデルとの確執を横糸に、波乱に満ちたカルロの生涯を描いた秀作である。映画での彼の声は、カウンターテナーと女性ソプラノの二人の声をコンピューターを駆使し3,000箇所も細かく合成したもので、私は、その最新鋭の現代技術が作り上げた歌声に体が震えるような感動を覚えた。それほど、「去勢された男性・カストラート」の声は魅力的であり、素晴らしかったのだ。

 去勢の起源は、古代メソポタミアで牛馬をおとなしくさせるために行われており、紀元前には、アッシリアの女王が男性奴隷を去勢したとの記録が残されている。これが中国に伝わり、宮廷の宦官となり、アラブ世界では、ハーレムの女性たちの番人となったのである。男性としての機能を奪われた彼らは、不幸の中から、次第に女性の声が出せることが注目され、教会の合唱団という舞台に向かう。当時は、女性が教会で歌うことは禁じられており、高音域のパートとしてボーイ・ソプラノがまず誕生した。しかし、子どもは声量が小さく、次に大人の男が裏声で歌う「ファルセット歌手」が登場。この後、16世紀末にはカストラートが一世を風 し、「天使の声」と賞賛された彼らの歌声が貴婦人を熱狂・失神させたのである。

 しかし、カストラート登場の背景は、決して陽の当たるものではなかった。当時のイタリアは、人口の急増が大きな問題であった。そこで、貧しい父親はわが子を修道院に送り込まなければならなかったが、文学やオペラの題材になっているように、修道士や修道女の大量生産は多くの悲劇を生んだ。男としての一生を台なしにしてまで、去勢などという物騒なことをわが子に施したのは、教会の合唱団員として一生安定した生活を送れ、もしオペラ歌手として成功すれば王様のお抱えにもなれるからである。「カストラート」は、こんないちるの望みを去勢という非道の行為に託した父親のわが子に対する愛情の現れだった。ジャンジャック・ルソーは、「イタリアには野蛮な父親がおり、財産のために情けを犠牲にして、子供たちにこの手術を受けさせている」と厳しく指弾している。が、実際は、その子が音楽好きか、音楽的才能はどうか、などを吟味してから去勢を施したので、多くの場合、子供自らも同意して手術を受けていたようだ。もっとも、小さな子供が同意したからといって、インフォームドコンセントがきっちりと取れていたとは判断できないし、行為の是非については当時の社会情勢などを十分に考えなければ結論を出すことはできない。

 さて、手術はうまくできたのだろうか?イタリアは外科の先進国で、ボローニャ大学には、何と、1250年に世界最古の医学部が創設されたほどである。当時、英仏独では、外科医は床屋が兼務していた。床屋の赤、青、白のマークは、動脈、静脈、神経を表していることはよく知られているとおりだ。一方、14世紀のイタリアでは、ルネッサンス思想のもとで、人体解剖や外科手術が多く行われ、すでに外科医はプロの医者として専門分化し、ボローニャ大学のある外科医の去勢の技術が注目されていたという。その方法としては、1)まず、生殖器を柔らかくするために、子供をミルクの風呂に入れる、2)麻薬のアヘンを使って麻酔をする、3)麻酔がない場合、頚動脈を圧迫し、子供が昏睡に陥ったところで手術をする、4)鼡径部を切開し、そこから精索と睾丸を引き出すー、などの手術が行われていたようだ。

 彼らは、8-12歳頃に手術を受けてから、音楽学校に入った。カストラート教育は、特にナポリの4大音楽院で行われ、パトロンがついたり学費免除など多くの特典があり、一般教育も十分だったようだ。例えば、ロッシーニのオペラ「セビリアの理髪師」にも登場する名カストラート・カッファレッリの当時の日課を見てみよう。午前中は、難しい歌唱パッセージの練習、国語、鏡の前で歌唱・演技の練習を各1時間。午後は、音楽理論、対位法の五線紙上での練習と実習、即興の練習、国語、ほかにはハープシコードの練習や賛美歌の作曲などもあった。15-20歳頃までこういった一貫した英才教育を受けて卒業し、その後各地で活躍したとされる。

 こういったエリートたちの果ては・・。去勢された男性ならだれもが突き当たる壁だ。ラブシーンを考えるとよく分かる。生殖の不能はあっても、性交の不能はない。子種もないから女性には人気がある。金持ちのツバメとなって稼いだカストラートもいたという。しかし、ある年齢になり、結婚して子供を作って平和な家庭を持ちたいという平凡な願いが叶えられないことを知る。通常の人生が送れない。自分の存在意義を求めた彼らは、自己を舞台で表現し、歌唱の技術について究極の技を研究するようになった。その結果、カストラートが完成させたベル・カント唱法は、現在に至るまで発声法の基本となっている。また、よく知られているソルフェージュは、そもそもカストラート用の教科書として編集され、その後世界中に広まったものだ。モーツァルトが幼少の頃、父に連れられて著名なカストラートから歌唱法を学んだという記録もあり、モーツァルトをはじめ多くの音楽家が、カストラートの声をイメージしながら、オペラを作曲したのだ。すなわち、カストラートがいたからこそ、現在の歌唱技術が完成され、音楽の歴史が作られたと言っても過言ではない。

 この世で最後のカストラートとして知られるのがサンドロ・モレスキー教授(1858-1922)である。彼はカストラートとして唯一、録音をした人で、私はYale大学図書館に残されているその声を聴いたが、男性、女性、子供の三位一体からなる声で、崇高で官能的な強烈な印象を感じたことを記憶している。最近、カストラートに関する書籍やCD、LDがリリースされたので、ぜひ、皆様にお薦めしたい。

 ニューハーフにカストラート、究極の美は女性と子供にありということだろうか?確かに3種類のニューハーフや歌舞伎のおやまは魅力的だ。これに最近は見ただけでは男か女か判断できない若者がいる。どこからどう見ても男にしか見えない私は、中性の美に複雑な思いを感じる。はたして、彼らが患者として訪れた場合、オトコの私はオトコとして彼らに向かうことができるだろうか?

 
 参考資料
 1)映画「カストラート」(ユーロスペース配給)1995.
 2)去勢はcastration, カストラートはcastrato(単), castrati(複)
 3)Alessandro Moreschi: The Last Castrato. OPAL CD 9823, Pavilion Records,1987.
 4)パトリック・バルビエ著、野村正人訳.カストラートの歴史.筑摩書房,1995.
 5)アンドレ・コルビオ著、斎藤敦子訳 カストラート 新潮社,1995.
 6)アンガス・ヘリオット著、美山良夫監訳 カストラートの世界 国書刊行会 1995.
 7)今野裕一編、ウルNo.10、カストラート/カウンターテナー、ペヨトル工房 1995.
 8)CD盤.「カストラートの時代」 EMI, TOCE-8693,1995.
 9)LD盤.コヴァルスキーが語る<カストラートの世界>BVLC-36,BMG Victor,Tokyo,1995.

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