◆ スポーツの実践に関する分析

徳島県体育協会医科学委員会 板東 浩

はじめに   
 まずは、自己紹介から。私は48歳の内科医で、専門は生活習慣病やプライマリ・ケア医学など(図1)。自分の人間像について冷静に自己診断してみると、「子供のころから、おとなしくて真面目な性格であり、今もその本質は変わっていない」となる。しかしながら、世間から「どうみても、ちょっと普通の医師ではない」とか「よくそれだけ動き回って、本当に大丈夫?」などと、言われたり、心配されたりしているのだ。
 それはなぜだろうか?従来、いろいろなプロジェクトを同時並行で進めてきたからだろうと思う。「夜はちゃんと寝ているのですか」とよく尋ねられるが、特に無理はしていない。貴重な時間を効率的に使い、できる範囲内のことを積み上げてきただけである。

 私が関与している領域を大別してみると、次の通り。
1)医師:糖尿病1)を主とする生活習慣病、プライマリ・ケア医学を専攻
2)音楽家:ピアニストや認定音楽療法士として、音楽療法の啓発活動を継続
3)エッセイスト:医学や音楽、文化などを論評し、講演は今までに500回以上
4)スポーツマン:スピードスケーター、陸上選手、野球選手、
 本稿では、4番目のスポーツについて、自分の経験や学んだことなどを述べる。なお、筆者のホームページ2)には、様々な情報があるので参照されたい。

● 1)42歳で県代表の国体スケート選手に  
 35歳のとき、テレビでローラーブレードの宣伝を見て、「これだ!」と確信。スポーツ店に行くと、1靴が5万円。「うーん、最初は安くてよい」と、ディスカウントショップで8000円の靴を求め、早速滑り始めた。
 41歳になり、長野オリンピックの金メダリスト・清水宏保選手に感動した。「よし、こんどはアイスだ」、とアイススケートの靴を履くことに。ある程度上達した時点で、標準記録を突破すると国体に出場できると聞いた。「次の目標、見つけたぞ。」
 当時、入手可能な本邦のスケートの本や、アマゾンを通じて英語の書籍や雑誌を入手し、すべて読破した。でも、本を読んだだけでうまくなるわけがない。滑りこむ必要があるが、徳島にアイススケート場はない。隣の香川県にはあるが、時間的な制約も大きい。そこで、いかに練習するかを考え、工夫し続けた。低い姿勢を保つため、腹筋や背筋を鍛え、室内ではスライドボードで汗を流し、柔軟体操は1年を通じて行った。
 運良く標準記録を突破し、42歳で徳島県代表選手として、冬期国体に初出場。予選では6-7名が一緒に滑走し、実力通りいつも予選で敗退してしまう。いちど、オリンピック銀メダリストの黒岩敏幸選手の真横にスタートラインで並んだこともある。ただし、並んでいたのは、スタート前だけだったのは、言うまでもない。

● 2)スケート研究で、上達本まで出版
 42~46歳まで国体に出場し、徳島新聞には毎回「板東500m予選落ち」と大きな見出し。しかし、これらの報道によって夏季や秋季国体も注目され、徳島県体育協会から感謝された。これが唯一、私がお役にたてたことかもしれない。47歳からは、かつての国体選手が参加する「日本マスターズスケート大会」に出場し、まだまだ記録は伸びている。
 私が常に考えているのは、結果を求めることではなく、プロセスを継続させること。つまり、○○さんに勝ちたい、○○大会で優勝したい、などとは求めない。こだわるのは、日々の生活でスクワット100回、腰のスライド練習50回、腹筋50回、柔軟体操をこなしていくことだ。すると、おのずと結果はついてくるだろう。
 2004年には、インラインとアイススケートで技術の差異やスポーツ医学を解説した「スケート中級者への上達アドバイス No.1」3)(図2)を出版した。群馬県スケート連盟理事の小松秀司氏4)と共著で作成したもので、インターネット経由で販売中だ。
 2005年8月には、全日本ローラースケートスプリント選手権大会が開催された。私は目標としていた滑りがほぼでき(図3)、小松氏が指導した川崎穂高君(小6)が300~10000mで完全優勝を果たした。小松氏は、著名なアイススケート選手(清水、加藤、岡崎など)のスケート靴の世話をしており、今後も共にスケートの研究を進めていきたい。

● 3)陸上にも親しみ、30年間走力落ちず  
 スケート競技では、持久力に加えスタート時の瞬発力も大切だ。そこで、5~6年前からマスターズ陸上にも少しずつ参加していた。すると、45-49歳男子60mの徳島県記録を、私が2002年から保持していることがわかった(図4、5)。
 そこで、短距離を研究してみることに。100mで主に使う筋肉は、0~20mは大腿四頭筋、20~40mは大腿四頭筋とハムストリングス、40~100mはハムストリングスであるという。昔はモモを高くと言われていたが、近年は足の裏で地面を後方にプッシュする走法が主流だ。イチロー選手もこの走法に変えて、楽にダッシュしている。
 私のデータを示そう。小さい頃からスポーツは好きで、遊びのレベルだがソフトボールのピッチャーなどをしていた。中学3年と高校1年のとき、50mが6.9秒、100mが12.9秒の走力で、平均よりは少し速いというレベル。大学では準硬式野球部に在籍し、卒業後も野球を続けているので、通常の人よりは体力の衰えは少ないと予想された。
 若年者と同じ練習はできないが、工夫すれば大丈夫。世界選手権銅メダリストの末続慎吾選手からヒントを得た。つまり「走る」とは、多数の筋と神経の活動が積分されたもの。練習の際は微分し、各筋肉と神経系に意識を集中させ、バラエティに富む内容で実施した。その結果、50mが6.89秒、60mが8.22秒と30年以上走力の維持が証明されたのだ。

● 4)マスターズ陸上を研究中 
 さらに調べていると、マスターズ陸上選手の100m走で、タイム、走速度、ピッチ、ストライドの関係を分析した論文が見つかった5)。図6はストライドと走速度をみたもので、強い相関があり、図には示さないがピッチと走速度との相関は弱い。☆印は筆者のデータを示す。図7は年齢とピッチの関係で、ピッチは年齢によって落ちず、各選手によって足の回転数は違うものだ。図8は年齢とストライドについて、加齢により次第にストライドが落ちてスピードも落ちる。特に、60歳からストライドの低下が著明になってくるという。
 つまり、加齢による走速度の低下はストライドの幅のため。筋肉系のパワーが落ちるが、神経系能力は落ちない。従って、予防法は、50歳代から筋力維持に努めること
となる。
 先日、ジャマイカのパウエルが、100mで9.77秒という世界新記録を樹立した。映像を見ると47.5歩で走り、平均ストライドは219cmだった。オリンピックに出場する男性選手は、通常100mを45-48歩で走り、平均ストライドは213cmほどとされている。
 また、世界選手権女子100mで優勝したのが米国のウィリアムズ。身長159cmの弾丸が10.93秒で疾走した。スロー再生して数えると53歩で、ストライドは188cmとなる。
 比較するのもどうかと思うが、私の場合は58歩でストライドが172cm。アンチエイジングの研究をしながら実践を続け、今後も筋力をできるだけ維持したいと思う。
 なお、マスターズ選手は、同年齢の対象者と比べて、心も身体も健康であろうと推測される。このたび、我々はマスターズ陸上選手に対してアンケート調査を行い、心身の健康について研究し、マスターズ選手が健康であるというエビデンスを明らかにした。すでに国際学会6) でも発表しており、近日中に論文への掲載も予定している。

● 5)野球における打撃の神髄
 徳島大学の学生時代、私は準硬式野球部で二塁手。漫画「ドカベン」に登場する「殿馬」を目指して、秘打「白鳥の湖」を研究。「スイッチヒッターになりたい」と言うと、先輩から「右でもちゃんと打てない奴が、なぜ左で打てるんだ、バカ言うな」との返事だった。
 両打ちへの夢は30歳を超えて実現し、現在もなお両打ちだ(図9、10)。左は右に比べ重心がスムーズに移動し、一塁まで1.5歩近いので、とても有利。たとえば、大リーガーの松井選手は重心を後ろに残し、ボールを打ってから4.1秒でファーストベースを踏む。イチローは走りながら打って、何と3.7秒! 私がバントヒットを狙った場合、4.0秒という。ただし、これはストップウォッチを押した友人の運動神経が鈍く、誤差であろう。
 私の15年間にわたる打率を表1に示した。野球リーグのチーム数は4~10で、選手数は50~120ほど。1997-1999年の事情で、2000年から私が野球リーグの世話人代表を務めている。この中で、2001年の打率が低い理由を考察したい。1)ピアノの全国大会出場のため、この年度は素振りをしなかった。練習をしない場合、自分のレベルがよくわかった。2)バッターボックスで集中力が低下した。ヒットを打ちたいと思うほど力んでしまい、悪循環に陥る。3)練習を積み重ねて足腰がどっしりしていれば、上半身をずっと脱力しておいても、うまくミートできて打球も速い。野球とは不思議で奥が深いものと、つくづく思う。
 この悟りは、ゴルフにも通じるものがある。力を入れると飛ばず、逆に、ゆっくりとクラブを振るほうがよい。読者の先生方で、これを悟られた人も多いだろう。

● 6)「スポーツ」の語源
 「スポーツ」という言葉の語源をご存じだろうか。そもそもラテン語の「ポーター」に由来する。日本なら「赤い帽子」と言えば、わかりやすい。日本人が外国の国際空港に到着すると、荷物を勝手に運んで「1000円、1000円」と要求してくるあのポーターだ。
 本来、portare(物を運ぶ)という意味であり、13世紀になるとフランス語でディスポーター(desporter)となり、この頃に英語圏に移って、sportになったという。
 読者はここで、疑問に思うだろう。portareになぜdesがついて、その後なぜdeが取れたのだろうと。この経緯について、説明しよう。 
 13世紀頃は、市民が権利を認識し始めた時期。ポーター(物を運ぶ)とは、労働や厳しい仕事を意味していた。一方、仕事を離れたときはどうだろうか。遊んだり、球技をしたり、力を競ったりしたのだ。これらは、仕事から離れており、ポーターから離れているので、接頭語のdesを付けてdesporter(仕事をやめて楽しむ)となった。その後、この単語がイギリスに渡り、desporterの最初の発音のdeが取れてしまい、sportとなったというわけ。同じように日本語でも、「まったく」→「ったく」→「たく」となる例がある。

● 7)競技スポーツと生涯スポーツ
 古代ギリシアに始まった競技の理念は、アゴニーズ(agonize:格闘)で、死ぬまで戦うことだった。これがローマ時代における、コロシアムの決闘に引き継がれるのだ。罪人が動物と闘ったり、人間同士でも命を賭けて闘ったのである。
 以上に述べた両者は、ちょうど、スポーツの2面性に対応しているようだ。すなわち、生涯スポーツと競技スポーツの2者である。
 生涯スポーツは、「楽しむ」ことが第一義だ。いつでも、どこでも、いつまでも、スポーツを実践すると、体力の維持向上、生活習慣病の予防、仲間との歓談が得られる。
 競技スポーツはオリンピックを頂点とし、究極的には人間の潜在能力の限界を追求するもの。困難に立ち向かって逆境を克服したり、自己抗力感や自尊感情を持ち続けたり、時には名声が得られることもある。
 マスターズ陸上選手627例に対するスポーツ価値意識を調査すると7)、即時性志向が43.2%、中庸型が25.1%、禁欲性志向が31.7%であったという。
 通常の日本人の場合、スポーツの価値意識は即時的にあると思われるので、私たち医師は、生活習慣病の予防の意味も兼ねて、うまく指導していきたいものである。

おわりに
 普段、仕事や趣味、遊びについて、私達は区別して考えることが多いように思われる。確かにこの分類は妥当であり、グループ分けしやすい。
 しかしながら、私の場合、どうもクリアーカットに分けられない。というのは、仕事の中にも、厳しい部分もあり、遊び心も含んでいる。スポーツといっても、いつも楽しんでいるが、とことん厳しくて苦しいこともしばしばある。
 ここで大切なことは、スポーツの練習で非常に苦しくても、嫌ではないことだ。自ら進んで、自分の身体を追い込み、呼吸や循環、筋肉を刺激している。だから、苦しさの後には、爽快感がやってくるなど、その「メリハリ」が好きで楽しいのだ。なお、「滅り張り」とは、和楽器の弦の張力を変え、音程を調節することに由来する。
 私が尊敬する大リーガーのイチロー選手は、「タフの状況からは逃げられない。苦しさはなくならない、でも、その緊張感を楽しんでいる」とコメントしている。
 私の生活習慣にはOFFはなく、仕事もスポーツも音楽もすべてONであり、その中に厳しさも楽しさも遊び心もあると言えよう。思いつくまま記して長文になってしまったが、天野一夫先生ならびに下都賀群の医師の方々に対して、本稿に何かお役にたてるような内容が含まれているならば幸いである。

文献・資料
1) 板東浩. イラストと川柳で学ぶ糖尿病. 総合医学社, 2003.
2) http://hb8.seikyou.ne.jp/home/pianomed/
3) 板東浩、小松秀司. スケート中級者への上達アドバイス. メディカルリサーチ,2004.
4) http://www.navelskate.com/
5) 有川秀之. マスターズ陸上競技会100m走の分析. 埼玉大学紀要 体育学篇 25:1-11, 1992.
6) 日本プライマリ・ケア学会主催 アジア太平洋国際家庭医学会、於京都、2005年5月
7) 逢阪十美、藤原健固. 全日本マスターズ陸上競技選手権大会参加者の競技志向に関する研究, 中京大学体育学論叢41-1, 41-55, 1999.

図1~9 割愛

表1 野球リーグの打率の推移

年齢 年度 打率 備考

34 1991 .309 10位  
35 1992 .411 4位
36 1993 .578 1位
37 1994 .424 1位
38 1995 .411 6位
39 1996 .313 14位
40 1997 .366 未集計
41 1998 .500 未集計
42 1999  ー リーグなし
43 2000 .462 2位
44 2001 .158 20位以下
45 2002 .313 14位
46 2003 .407 打席不足
47 2004 .371 13位
48 2005 .400 シーズン途中

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