ゲーテの詩と音楽

 フランクフルト国際空港に私は降り立った。列車に乗り15分で中央駅に到着。古風な感じの町並みで、銀杏(イチョウ)の絵やイラストをよく見かける。イチョウ並木でもあるのかと思いながら歩き、ガイドブックが示す目的地に着いた。
    ◇     ◇     ◇
 訪れたのは「ゲーテハウス」。入口のサインボードがなかなかお洒落だ(図1)。ゲーテの生家と博物館が一緒になった5階建ての屋敷で、裕福な家柄とわかる。中に入ると、ゲーテ縁りの品々が数多く収められている。階段を昇っていくと、ゲーテの肖像画が出迎えてくれた(図2)。ハンサムで知的な雰囲気だ。近くには、ゲーテ自身が愛用した机がどっしりと構える(図3)。これが歴史的傑作を生み出した机なのか。私にもその能力を授けてほしいと、祈りを捧げてはみた。

 世界的詩人ゲーテの名前は、Goetheと綴る。その発音は、Go"theとウムラウトのo"があるため、オと喋るつもりで口を尖らせてから、エとしゃべってみるとよい。すると「ギョエテ」とやや奇妙で曖昧な発声となるのが、本来の発声に近い。

 ゲーテの業績は膨大だ。展示物の中で興味深く感じたのは楽譜が多いこと。実はゲーテの詩に多くの作曲家が曲をつけていた。モーツアルトは1曲、ベートーベンは5月の歌など10曲以上、シューベルトは魔王など50曲以上に至る。

 たとえば有名な曲に「野ばら」がある。ドイツ語の題名は、Heidenro"sleinで、Heiden(荒野の)+Ro"slein(バラ) という意味。

 原語の歌詞は
Sah ein Knab' ein Ro"slein stehn, Ro"slein auf der Heiden,……と続く。

 この詩に対して何と約100種の野ばらが作曲されている1)。ベートーベンも作り、日本で有名なのはシューベルトとウェルナーの2つ。ウェルナーの楽譜には、シューベルトのEinfluβ(影響、感化、合流)のUnter(の下で)1829年に作曲したと記されている(図4)。

 野ばらの歌詞を、近藤朔風の訳で示す。

1番:童は見たり 野中のばら
   清らに咲ける その色愛でつ 
   あかず眺むる 紅におう 野中のばら

 実は、野ばらの詩とゲーテの失恋とが関係あるというのをご存じだろうか。20歳のゲーテが大学で学んでいるとき、可愛い娘フリーデリーケと恋中に。結局彼は彼女との関係を断つが、良心の呵責の念はずっと消えなかったという。この詩には、ゲーテの苦しい心が滲み出ているのである。2番と3番の内容をチェックしてみよう。

2番:手折りて行かん 野中のばら 
   手折らば手折れ 思い出ぐさに  
   君を刺さん 紅におう 野中のばら 
3番:童は折りぬ 野中のばら  
   手折りてあわれ 清らの色香  
   永久にあせぬ 紅におう 野中のばら

 バラという花は彼女を、手折るとは関係を持つこと。原文では、少年が「折っちゃうぞ」、薔薇が「あなたを刺すわよ」とのやりとりがある。だから、色っぽい情景を伝えているのだ。名前や発音も曖昧なら、詩の表現も曖昧にして、比喩的に深い意味を包含しているのである。

 ここで、日本のフォークソング「バラが咲いた」(浜口倉之助作詞作曲)について考えてみよう。
 
 バラが咲いた バラが咲いた 真っ赤なバラが
 さびしかった僕の庭にバラが咲いた……
 野ばらの影響があるように感じないだろうか。
    ◇     ◇     ◇
 ゲーテハウスで、イチョウのイラストを見つけた。スタッフに尋ねてみると「銀杏は認知症の薬だから」との返事。ああ、そうだった。銀杏は、脳内の血行を促進するサプリメントとして、欧米で広く処方されているのを思い出した。

 銀杏の国際的な名称は「gingko biloba」。この語源について、本来「銀杏」を読み間違った発音がそのまま伝わったという。英語ではgingkoと綴り、発音はギンコウとなったのだ。銀杏の葉は、gingko bilobaと訳す。biとは2つの、lobeとは「葉、裂片、突出部」のこと。肺の上葉、下葉というあのlobeである。そういえば、銀杏の葉の形は、両側に2つ突出部がみられる。

 ゲーテが銀杏を詠んだ詩を紹介しよう。

Gingo Biloba (1815) >(独)
Dieses Baums blatt, der von Osten
Meinem Garten anvertraut,
Gibt geheimen Sinn zu kosten,
Wie's den Wissenden erbaut.(1)
  Johann Wolfgang von Goethe (ゲーテ)

 これを英訳したのが下記である。

Gingko Biloba (1815) >(英)
This tree's leaf that from the East
To my garden's been entrusted
Holds a secret sense, and grist
To a man intent on knowledge.(1)

 日本語に訳してみると、この木の葉は、東洋の国から渡来したそして私の家の庭に植えられた葉っぱが放つ神秘的な香りと効能は研究に勤しむ人のように格調高い。

 この4行に続く8行を英語で味わってみよう。

Is it one, this thing alive,
By and in itself divided,
Or two beings who connive
That as one the world shall see them?(2)
 Fitly now I can reveal
 What the pondered question taught me;
 In my songs do you not feel
 That at once I'm one and double ?(3)

 これにはゲーテ特有の比喩が含まれ、直接的な理解は難しい。おそらく「葉っぱの先は2つに分かれている。いずれもが個人と仮定すれば、お互いに一緒に育ち協力したり、暗黙で了解したり、反目したりする。歌を歌えば、心の中の2個の自分が、一つになったり二つになったりする」いうような意味かもしれない。
    ◇     ◇     ◇
 最後に、フランクフルトといえば、医学で有名な学者を御存じだろうか。かの有名なフランクフルト市立病院のアルツハイマー博士が、痴呆患者の脳組織を研究し、世界に発表したのだった。当地は学術的な著名人を輩出しているのだ。

 なお、ゲーテ(1749-1832)の能力と脳力はずっと元気で、82歳という長命だった。彼の詩に曲をつけた同時期の作曲家として、モーツアルトは35歳、シューベルトは31歳、ウェルナー は33歳、ベートーヴェンは57歳と短命だった3)。

 もしかしたら、ゲーテが銀杏をいつも服用していたからこそ、認知症もなく長生きしたのだろうと、私は推理しているところである。

資料
1)「野ばら」の研究者の坂西八郎・元信州大学教授が「わらべはみたり…『野ばら』88曲集』、「楽譜『野ばら』91曲集」、「野ばらの来た道」を出版している。
2) ゲーテ(1749-1832)、モーツアルト(1756-1791)、ベートーヴェン(1770-1827)、シューベルト(1797-1828)、ウェルナー (1800 -1833)と、ゲーテが存命中の時期に、これらの作曲家が活躍した。
3) 著者HP http://hb8.seikyou.ne.jp/home/pianomed/

図1 ゲーテハウスの玄関
図2 ゲーテの肖像画
図3 ゲーテが愛用した机
図4 ゲーテ作詞、ウェルナー作曲の「野ばら」の楽譜

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