キューバで思索する

 いま私はヘミングウェイと共にいる。彼が生涯愛したキューバ。首都ハバナにあるアンボス・モンドスホテルの5階に、ヘミングウェイのゆかりの品々をおさめた博物館がある。足を踏み入れると、タイプライターやペン、ベッド、釣りの道具、写真など、当時が偲ばれる世界にタイムスリップできそうだ。

 窓から外を眺めると、レンガ作りの古い建物が立ち並ぶ。向こうの山と調和し、そのまま風景画にぴったり。しかし、街の中心部では道路が掘り返され、古い建物が取り壊されつつある。最近ユネスコからの経済的援助により新しい町へ生まれ変わりつつあるが、少し寂しい気もする。
       ◇  ◇  ◇
 さて、私がこのたびキューバを訪れた理由を説明しよう。メンタルヘルスの国際学会がハバナで開催。音楽療法士の友人がシンポジストとして招待されたので、一緒に合流させていただいたというわけ。その先生は平成14年度文化庁在外研究員としてキューバの国立劇場に音楽と舞踏の研修に派遣され、現地に知己も多い。そのため、私は同国の知識階級の人々とも交流でき、同国の生活状況も深く知ることができた。

 その国立劇場で、ちょうど現代舞踏を鑑賞できた。プログラムには「Danza Contemporanea De Cuba」。英語ならComtemporary Dance of Cubaとなる。すでにヨーロッパで公演し、高く評価されていると聞く。

 ステージは、一人の歌い手とボンゴを叩く一人の打楽器奏者から始まる。シンプルな発声と基本的な手足の仕草。これが音楽と舞踏の基本で、色で表現するなら白と黒だろう。「Get back to the origin」という表現に近いようだ。

 その後リズムが展開していく。334という10拍が3つあり、3333という12拍が続き、全部で42拍のリズム。それに合わせて複雑な振り付けのダンスが披露される。この変拍子は、専門家なら認知できるが、一般の人では数えられないかもしれない。不協和音をうまく使いながら、複雑な振り付けを加えていく。心の緊張と弛緩に合わせたリズムと和音で、ダンスを包み込んでいた。踊り手の5人がユニットを組む。ソリストの男性は手が長く表現力が素晴らしい。女性が、タイの踊りのように微妙な手の動きを加えている。

 クラシックあり、ジャズダンスあり、サルサあり。バレエの芸術性豊かなものや、ファンキーでコミカルなものもある。ラストシーンでは観客が拍手喝采。瞬時に立ち上がり、スタンディングオーベーションで大いに盛り上がったのだ。

 芸術性とは色気につながるもの。男と女の性の営みをいかに舞台で表現するか。サルサの音楽や世界各地の舞踏もこれに関わる。男と女がこの世にいるからこそ、愛があり、喜びがあり、悲しみがあり、人生があり、芸術が発展し昇華していく。ここに人間の本質があるのかもしれない。
       ◇  ◇  ◇
 そもそも、キューバはコロンブスによって発見された。当時、カリブ海の先住民族はスペインによって征服され、過酷な労働と疫病により数年で全滅。その後、アフリカからの奴隷を金鉱で働かせ、サトウキビや煙草の栽培、家畜の世話をさせることに。その際に、複雑な宗教や洗練された文化、音楽が伝わった。ここから優秀な打楽器奏者や歌手たちが生まれ、音楽がミックスされて、現在のラテン音楽のサルサに発展してきているのだ。なお、サルサとは、ソースや源泉、本来という意味である。

 この歴史によって同国の公用語はスペイン語。hは発音せず、jが日本語のヤ行となる。だから、Japanはジャパンではなくヤパンと発音。私の名前のHiroshiはイロシと読まれ、Jiroshiと書けばヒロシとしゃべってくれる。

 これと逆の例が、南アフリカ共和国のヨハネスブルグである。綴りはJohannesburgであり、日本語ではヨハネスブルグと呼ばれる。しかし現地は英語~フランス語圏で、ヨハネスではなくジョハネスとの発音だった。外来語が日本に入ってきたの言語ルートの違いのためだろう。

 なお、スペイン語での名前の特徴を紹介しよう。苗字ではなく名前の語尾が、女性ではア行、男性ではオ行になる。たとえば、友達なら女がアミーガ、男がアミーゴとなるわけ。女性の名前の語尾はニーナ、マルガリータなどア行が多い。だから、「・・子」という日本女性の名前は国際的な場で、男性と思われることがあるという。
       ◇  ◇  ◇
 現代のキューバは社会主義国家である。以前には貧富の差はなかった。しかし、1993年に経済改革により市民のドル所有を解禁するなど、資本主義経済システムを導入。その後ドルが普及し、人々の生活の格差が広がっている。

 人々の平均的な月給は200~300ペソ(800~1200円)で、ペソで支払われる。知識階級でもせいぜい500ペソというレベル。国民の日常生活はすべてペソを用い、食費が占める割合のエンゲル係数は90%以上という。

 一方、同国の観光業は外貨を稼ぐ経済の中心。外国人はすべてドルやユーロで支払う。タクシーを数時間チャーターすれば数十ドル。1ヵ月の給料以上だ。メーターはあるが、実際には正規の料金ではなく交渉次第。英語がわかるドライバーは10人に1人ほど。外貨は国に吸い上げられ、労働者へはペソで支払われる二重構造だ。

 たとえば、ビュッフェでランチを食べる場合、現地人と一緒ならペソで、外国人ならドルで支払う。同じランチでも一桁違う。そういえば、小説家の村上龍氏がキューバの魅力的な生活と音楽を紹介している。そのためか観光客が増加中だが、通常、国民の暮らしはわからない。その点で、私は貴重な経験ができた。同国には、自宅の一室で外国人を宿泊させて外貨を獲得する制度がある。このKASA(家の意味)に私は宿泊し、他のKASAや一般人の生活を垣間見る貴重な機会を得た。

 そこで印象的だったのは、平均的な人々の生活だ。同国の配給について、具体的な数字がある。1ヶ月に米は6ポンド、豆(黒色)は12オンス、砂糖(白色)は3ポンド、油(料理用)1ポンド、歯磨き粉は1家族1本(4-8人なら2本、9人以上は3本)。コーヒー豆は15日間で4ポンドで、石鹸や洗剤も不足しがちだ。

 食物については、たまねぎ1個が1ドル。スパイスは高くガーリックがあるだけ。キューバ産のパイナップルは20ペソ、アブガドは15~20ペソと1日の給料に相当。りんごやマンゴは米ドルで40セント、卵は1カ月に6個だ。肉1ポンドは7~8米ドルで、特別な機会にだけ食べられる。最近、ひき肉が世の中に登場してきた。

 ただし牛乳の配給は多く、0~7歳には1日に1リッター。7~13歳にはヨーグルトが配給されるが、豆乳のために味は良くない。通常のヨーグルトは1個が1ドルだ。なお、家族に胃潰瘍や糖尿病など病人がいると申告すれば、牛乳は薬でもあるので考慮してもらえる。
       ◇  ◇  ◇
 歌と踊りのエンターテインメントとして知られる「トロピカーナ」を訪れた。米国資本のショービジネスによる外人専用のクラブだ。サルサなど快活な音楽とダンスを楽しめる。中心部からタクシーでわずか15分走ると、全く想像できない別世界がそこに広がっていた。

 入場料は65-85ドルで、食事付きなら10ドルアップ。ツーリストとしては通常の価格だろう。しかし、同国民からみれば、信じられないだろう。直径10mほどの円形ステージの周りに、数百席の観客席がある。夜9時に到着すると、荘厳なクラシックの演奏が始まった。ステージ上には、キーボード1、バイオリン4、チェロ2と、生演奏を楽しめた。夜10時からが本番だ。数多くの踊り子が頭の上に大きな飾りをつけて、リズミカルに踊る。上半身が裸体の場合もあり、フランスのパリ・シャンゼリゼ通りのクラブに似ている。

 音楽と舞踏を楽しみながら、キューバという国について思索していた。国民および観光客、ドルとペソの二重構造。音楽スポットとして、国立劇場やトロピカーナもあれば、一方で、街角のワンショットバーもある。カクテルを片手に生演奏を愉しむ旅行客もいれば、その建物の傍らで、街路に流れ出てくる調べをジベタリアンで聴く若者の姿も印象的だ。

 サルサの音楽は明るく快活だ。地理や気象のファクターもあろう。しかし、経済的に余裕がないからこそ、相互に助け合い、音楽が人々の生活に必須であるのかもしれない。「そのうちに、こんな苦しい状況なんて去るさ!」、と強く生きる人々にエールを送りたい。

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM