カラオケと健康

 内科専門医会四国支部代表世話人である板東 浩先生は、内分泌・糖尿病学を専攻する医師であるとともに、ピアニストとして音楽家の仕事もしています。また、インラインスケートの全国大会で入賞という快挙を演じるなど、彼のタレントには全く驚かされます。もしかしたら、特別の遺伝子が組み込まれているのかもしれません。このたび、彼は、何と、日野原重明監修、板東 浩編曲のCD付きの楽譜集「日本の四季のうた バイオミュージックから斬新なハーモニーへ」を出版されました(音楽之友社、1200円)。彼自身がピアノ演奏し,春の小川、赤とんぼなど日本人にとって懐かしい曲がお洒落に編曲されています。いちど、お近くの楽器店や書店で買ってあげてください。(内科専門医会会長 小林祥泰)

 5年前、木々が紅葉に包まれはじめた頃、私はデンマークのSteno病院で糖尿病の研修を受けていた。ここは,かつて糖尿病の権威として知られたHagedorn先生が研究されていた病院である。病院のホールには,すべての国民から尊敬されている先生の肖像画が掲げられている。日本糖尿病学会にもHagedorn賞という研究奨励賞があるほどだ。そのお姿を拝見すると,優秀な頭脳が入った頭はハゲトルン状態で,後光に包まれて輝いているように思えた。

 冗談はさておき。ハードな研修を終え、私は仲間と一緒に夜のコペンハーゲンに繰り出した。酔っぱらいが闊歩する日本の歓楽街とは異なり、人々は静かな趣で町を行き交う。街角のバーに立ち寄り、ボックス席に陣取った。テーブルの上には、ビールサーバーがあるだけ。つまみもなければ、店員の愛想もない。他のテーブルでも、若者達がビールだけで何時間も会話を楽しんでいる。その素朴な異国の雰囲気が私たちを包みこみ,安堵感さえ与えてくれる。

 その雰囲気から浮かび上がるようにカラオケ装置が据えられていたのに驚いた。よく見ると日本のP社製のレーザーカラオケだ。ここにも,日本が世界に誇る音楽文化が根づいていた。早速,約2000曲の英語の歌の中から自分の持ち歌を見つけ,得意のJapanese Englishで熱唱。小さなステージだが,無我の境地に心は大きく膨らんでくる。地元の若者は、スタンダードな名曲を好むようだ。我々も一緒に加わり、音楽を通じて国際交流。音楽に国境はないことを実感したひとときであった。

 カラオケは楽しく,かつ最も有効な音楽療法の一つである。現代はストレス社会。誰もが心と体が疲れて病んでいる。心身を癒すには、音楽が最も適している。自分が好きな曲を選び、大きく深い呼吸で思い切り歌う。大きく深い呼吸で、自分に酔いしれ、スポットライトを浴びて、スターになった自分に,ストレスは霧散していく。

 カラオケは、1970年代半ばに登場した。飲み屋のカウンターから生まれ、スナックで生演奏に代わり、録音テープを使う新しいサービスが始まった。カラオケ機器が初登場し、その後家庭用カラオケがヒット。カラオケの勢いは止まるところを知らず、レーザーディスク(LD)カラオケまで発展。92年からは電話回線を使った通信カラオケが登場し、曲数が飛躍的に増え、新曲導入もスピードアップした。近年は、カラオケボックスが広く普及し、低料金のため、学生や主婦なども手軽なレジャーとして楽しむようになってきた。

 その反面、いろんな問題が浮上してきた。1万曲以上の曲数を揃えるために、目次本は電話帳なみの厚さで、新曲の洪水によって、歌える歌、歌いたい歌が探せない「選曲難民」が増えてきた。また,簡単に歌えない歌が多くなり,「歌唱難民」も増えた。

 最近のベストチャート,安室奈美恵のCan you cerebrate?をみてもご理解頂けると思う。確かに良い曲ではあるが、わざわざ音程を高くしてあり、字余りの歌詞で、速いテンポで一気に歌い上げなければならない。ちょっとやそっとの練習では歌うのは至難の技だ。近年のヒット曲は,高揚感や緊張感を保ちながら,聴く人すべてを引き込んでしまう一体感をも表現しなければいけないからだ。容易に歌えないからこそ素晴らしいというのが、現代の価値観である。

 しかし、考えてみればこれは本末転倒。本来、みんながリラックスして楽しめるはずのカラオケが、特別のものになり、楽しめなくなってきている。カラオケの将来にすこし翳りがでてきたいうニュースも頷ける。変化が早すぎて、ついていけない人々も多くなってきたのである。「カラオケ窓際族」とでも言えようか。

 この現象は、科学技術の進歩と似ていなくはないか。最初の頃は理解できるが,最先端の話になるとわからないので聞く気がしない。ワープロなら打ってみる気になるが,難しいコンピュータの操作になると触れたくもない。すなわち、難解でマニアックなレベルになると,人間は許容できなくなるのだ。許容できなくなると,感情論での賛否の議論が始まる。多くの場合,感情論が独り歩きして,革新的なハズの最新技術がおぞましい悪魔の技術になってしまう。その最たるものがクローン技術だろう。

 昨年,世界中の話題をさらったクローン羊の研究は、本来、人間の病気を治療するための実験から始まった。クローンの有用性は理解できるが、クローン技術がここまでになると,「孫悟空の分身の術」みたいに軽いノリではすまされない。人間に応用しないから大丈夫と言われても、過ぎたるものには拒否してしまう。「クローン人間が出現か?」というような驚愕するニュースが全世界をかけめぐっている昨今、少し、立ち止まって考えたほうがよいのではないかという見方も無理はない。

 現代社会の急速な変化は,通信カラオケの分厚い目次本ややたらと難しい最新曲目にも似て,接する人々を疲れさせてしまう。やはり,人間には,身の程に合った「ほどほど」のスピードが似合っているのだ。「ほどほど」のリズムに合わせて人々の心を癒す,と近年注目を集めているのが音楽療法。これをカラオケに応用すると・・・。

 人々の心には,忙しすぎる,給料があがらない,妻がきれいにならない,などと不平不満がいつもくすぶっている。そこで,まず,日本人の心の故郷である「演歌」を,恨み辛みを込めて唄い込む。次に,学生時代を共に過ごしたフォークソングやポップスを,思い出に浸りながら爽やかに奏でる。最後に,気分がのってきたら,練習を重ねたヒットソングに挑戦してみよう。自分も変わり,回りの見る目も変わってくるはず。

 これをマスターしたら,次に目ざすは達人のレベル。オドオドしながら無理して若者の歌を歌うのではなく,誰がいようといまいと,ど演歌を平気で聞かせてやろうと,太っ腹人生を歩もうではないか。

 右を向いても左を向いても暗いニュースばかり。その上に,社会に乗り遅れているという意識が,良い方に作用するハズがない。改めて自分の足元を見つめ直し,「ほどほど」の中の豊かさに気づけば,社会を見る目も違ってこようというものだ。以前に,中年層が演歌・歌謡曲を歌っていた古き良き「オジカラ期」のように。

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