オルゴールから進化

 ●発明王エジソンの声だ!私の目の前にある蓄音機では、黒色の円筒形のカラムがクルクルと回っている。ここに音声が録音されているのだ。その成分は蝋(ろう、パラフィン)とのこと。そういえば、蝋に電気データを保存する方法が、以前にテレビで放映されていた。蓄音機には、小さな音を聞くために、医師が用いる聴診器をつないだり、音を増幅するために黄金色のラッパをとりつけたり、という工夫がなされている。

 実は、私がいる所は、将棋の駒で知られる山形県天童市。ここに「ARSBELオルゴール博物館」がある1)。ARSBELとは“優美なる芸術”のこと。テーマとなる二人の天使が、妙なるオルゴールの音色と共にこの地へ舞い降り、彼らはギリシャ神話で美しい琴を奏でるオルフェウスの琴を守り、祝福したという。

 私は観光ガイドを調べ、単なるオルゴールのコレクションだろうと思いながら、訪れてみた。しかし、実際は全く違っていたのだ。

 まず驚いたのは、麗しい女性スタッフが、オルゴールについて解説してくれる。そのプレゼンテーションが素晴らしい。音楽や文化、歴史のエッセンスをコンパクトに教えてくれるからだ。さらに、実際に気持ちよいオルゴールの音色で私たちの身体を優しく包み込み、癒んでくれるからだ。
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 ●今回、私は基本的なことに気づかされた。オルゴールとは、宝石箱などに備わっていて可愛らしい音楽を奏でる装飾品(ornament,adornment)の一つと思っていたのだ。

 しかし、オルゴールとは「音楽をもう一度聴きたい」という人々の願いが具現化されたルーツだったのである。すなわち、音の記録と再生の歴史について、そのオリジンの存在とも言える。

 そもそも、音楽とは、発せられたら直ちに消えてしまう「瞬間の芸術」であった。すべての音も、また、人の声や歌も同様である。この常識であったことが、人間の夢と工夫とパワーにより、大きく換点することになったのだ。

 スイスで1830年代に、時計の技術を用いて誕生したのがシリンダーオルガンであった。当時は、金属の円筒に、ピンと呼ばれる針を一つ一つ職人が打ち込んだ。ピンにひっかかって音を出すのは、櫛の形に似た櫛歯(くしば)。この先は針の先ぐらいの、とても細い構造になっている。だから、わずかにずらしながら、1つの円筒に8曲のピンを打ち込むことができたのだ。この黄金色に輝くシリンダーと数万ものピンを目の当たりにすると、その微細な高い技術に声を失うほどである。

 シリンダーの製作はすべて手作業で行われ、非常に高価なものだった。1880年代になると、円筒の代わりに大きい円形の盤がドイツで発明される。このディスク・オルゴールは画期的な代物だった。というのは、1台の機械があればディスクの交換で数多くの曲を聴くことができ、量産ができるようになったからだ。

 この技術が米国にも広がり、家庭では卓上型が、パブやレストランでは、営業用に家具のような大型のミュージックボックス(musicbox)が普及する。コインを1枚入れて曲目を選択すると、ディスクが動いて回転し音楽が流れてくるのだ。これは、私が子供のころによく見かけた「ジュークボックス」の原型で、全く同じもの。しかし、これも歴史とともに変遷を遂げていく。

 蓄音機の時代の到来だ。オルゴールが衰退し、高級な装飾品の中に組み込まれるようになった。あるいは、オルゴール+蓄音機、オルゴール+ピアノ=自動演奏ピアノ2)などの合体型が、生き残りをかけて登場してくる。

 その後はレコードの時代となり、SPからLPへと発展したのはご存じであろう。LPレコードは魅力があり、収集家も少なくなかった。しかし、雑音がないCDが登場すると、あっという間にCDに取って代わられた。確かに技術の進歩は喜ばしいが、変化が速すぎて、ゆっくりと音楽に浸りながら考える暇もないような気がする。
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 ●アンティークな数々のオルゴールの中で、私が興味を覚えたのは、パイオニアの創業者・松本望氏が所有したもの。以前にベルギーで買い求め、20年後に日本に運んできたという。ディスクには、「ヴェルディの乾杯の歌」と記載がある。

 パイオニアといえば、ステレオなどの音楽機器メーカーで、子供の頃から慣れ親しんでいる。私が御世話になっている日本音楽療法学会(その前身の日本バイオミュージック学会)は、日野原重明先生が代表を務められていることもあり、長年パイオニアから多大な援助を受けてきており、文化的サポートに感謝したい。

 また、1993年にデンマークのSteno病院(糖尿病の専門病院、Novo Nordisk社関連)で1週間研修を受けた際、皆でダウンタウンに出かけ、パイオニア製のレーザーカラオケ(英語の曲が2000曲内臓)で、ビートルズを一緒に楽しく歌ったことを懐かしく思い出した。
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 ●さて、ここで、私が山形を訪れるようになった経緯を説明しよう。平成16年10月、第18回東北地方糖尿病教育担当者セミナーが、天童市に隣接する山形市で開催されたからであった。

 今回のテーマは、
1) 糖尿病の療養指導の理論と実践、
2) いかにメッセージを伝えるか、
3) 参加型ディスカッションと面白くてためになる講演、などである。その中で、私が特別講演を担当させて頂いたというわけ。テーマは、山形大学の富永真琴教授からのご依頼による「イラストと川柳で学ぶ糖尿病」。私の著書と同じで3)、タイトルからも推測されるように、通常の教科書的な講演ではない。食事・運動や音楽療法のエピソードを紹介したり、ピアノを演奏したり、聴衆と一緒に歌ったりするものだ。

 従来、私は講演の機会を多数頂いており、最近はプレゼンテーションが楽に感じる。というのは、パワーポイントを駆使すれば、TV映像やスケート映像などを簡単に含められ、聴衆にインパクトが強いメッセージを送ることができるからだ。

 つまり、私から外方へ(ex)発散する(press)ことで、伝えたい内容を表現(expression)し、そのプレゼンテーションと内容が良よければ、聴衆の心の中に(in)に烙印をおす(press)ように、印象的な(impression)仕事ができることになる。

 常に、工夫しながら楽しみながら継続してきた4)。一番嬉しく感じるのは、参加者のキラキラ輝く眼差しや笑顔。これが、私への最高のプレゼントになり、「さらに飛躍するぞ」と、やる気や元気が湧き出てくる。
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 ●このたび、山形では、齋藤茂吉記念館(精神科医、二人の子息が齋藤茂太と北杜夫)、佐藤小夜子記念館(歌手)、浜田広介記念館(童話作家)、将棋記念館などを訪問できた。いずれも、お洒落でわかりやすいプレゼンテーションを堪能し、大きな収穫を得た。

 音楽を含む芸術や文化は、今後どのように発展していくのであろうか?真善美を追求しながら、各人が自分の世界を模索し、極め、情報を発信していく。その場合、発信する内容と方法について、それぞれに考える必要があると思う。

 内容は、普遍的なものでは価値がなく、個性的な存在を目指し、研鑽し磨きをかけていく。方法は、自分だけ満足したらよいのではなく、受け手である一般の人々に、どう訴えるのか。五感を刺激し、見て聴いて触って、意図が伝わり納得してもらわねばならない。プレゼンテーションの手段がポイントとなるだろう。

 現代はITの時代。パソコンあり、数千曲の音楽が内臓されたiPodあり。近い将来、CDやDVDから、リムーバブルハードや他の素材へと、もっと形は小さく容量は大きくなっていくだろう。

 どのように方法や手段が便利になり洗練されても、本来の内容が重要であるのは当然である。現代の問題は、ハイテクが進むのと反比例して、人間味が失われていくことである。こんな時期だからこそ、真善美を追求していく芸術を、もっと大切に考えるべきではないだろうか。

 今後、医学や科学、芸術の分野で、内容の発展とプレゼンテーションの進化が、どのような方向に進んでいくのかを、いちどゆっくりと考えてみたいものである。

資料
1) http://www.arsbel-tendo.com
2) 名称はフルート&バイオリンソロピアノ。
譜面は穴があいたロール紙であり、紙面が送られるとともに、穴の部分からふいごにより風を送りこまれ、パイプオルガンのように音が出る楽器
3) 板東浩. イラストと川柳で学ぶ糖尿病. 総合医学社. 2003.

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