たまにはラルゴ

 身長180cmで180kgという超肥満体の大学教授クランプは、温厚な紳士だが気弱で内気な性格。デブのために動作も鈍く、大学ではドジの日々を送っている。ある時、彼は恋に目覚め、やせようと決意。専門分野の遺伝子生物学で、開発中のDNAを操作するやせ薬を自分自身に実験してみる。これと同時に自身満々で口八丁手八丁のコメディアンに変身し、歌や踊り何でもござれのキャラクターに変身してしまう。

 これは、1996年に公開された映画「ナッティプロフェッサー・クランプ教授の場合」の1シーン。特殊メイクやハイテク技術が、底抜け教授を演じるエディー・マーフィーを盛り上げ、デブの悲哀と苦悩を見事に描いた超爆笑コメディに仕上げている。

 映画じゃさえないデブも、ことミュージシャンになると事情が違う。先頃、世界的に著名な男性オペラ歌手3人のジョイントコンサートが横浜アリーナで開かれた。巨体を揺すりながらの熱唱はテレビでも放映されたが、彼らの声はすさまじかった。医学的に分析すると、おそらく声帯には程よく脂がのり、うまくビブラートがかかる。さらに、太った身体自体が楽器ででもあるように音を震わせる。もちろん、鍛錬も想像を絶する程のものがあるのだろうが、この体形・デブであることも重要な素質と考えられる。

 肥満には、遺伝と環境が影響している。私は、プライマリ・ケア医学の仕事で、東南アジア諸国を訪れる機会が多い。今までに中国、韓国、香港、台湾、シンガポール、マレーシア、ラオス、タイ、ベトナム、インドネシア、スリランカなどに出かけた。暑い気候、スパイシーな食事、仕事の内容、生活習慣などいろんな因子が考えられるが、いつも感じるのは、街角に肥満の人を見かけないことだ。一方、本邦では、同じアジア人種でありながら、肥満が多い。巷では様々なダイエットが溢れ、ダイエット関係の雑誌も多い。これは食生活が肉食主体の欧米諸国並みになり、明らかに食べ過ぎていることが大きな原因だ。成人病(生活習慣病)の発症も低年齢化の傾向がみられており、国民の将来の健康についてつい危惧をしてしまう。

 他方、肥満の原因に、視床下部にある摂食中枢と満腹中枢のバランスも挙げられる。脳内ホルモンによる影響もあるだろう。近年、肥満(obesity)に関連する遺伝子のOB遺伝子が発見された。近い将来には、肥満のメカニズムがこれまでとは別のアプローチで解明されてくるだろう。

 古くから、身体の形は性格に影響すると言われている。先の映画では、クランプ教授が肥満体の時は優しく気弱な性格。一方、スリムになった時には、自信満々で攻撃的な性格となり、このニ重人格が、彼の心の中で葛藤し、対決する事態となる。肥満の裏には食生活に代表される豊かさが見える。豊かになって、成人病の病巣を身体に抱き、心まで気弱になるのではワリが合わない。日本は戦後五十年以上、世界に類を見ないほどの急速な発展を遂げた。これが、肥満に代表される豊かさの歪みを生んだのは皮肉な話だ。

 経済も人も進化すると、進化に伴う弊害に襲われる。バブル経済とその破綻は経済の進化の歪みとも取れるし、成人病も人の進化の歪みかもしれない。これによく似た話は、はるか昔の地球上に見いだすことができる。皆さんは化石でなじみ深いアンモナイトをご存知じだろうか?約四億年前、地球上に出現し6500万年前の白亜紀末、恐竜の滅亡と前後して地球上から完全に姿を消してしまった。アンモナイトは、とぐろを巻いた蛇が石化したものとであるとの説もあり、蛇石と呼ばれたこともあった。その後、フックの法則で有名なR.フック(1635-1703)らによって、絶滅した生物の遺骸であることが正しく認識されるようになった。アンモナイトの名前は、1789年に見つかった化石の形が古代エジプトの最高の神である太陽神アモンの角に似ていたことが命名の由来だと言われている。本邦では、化石の側面が菊の花に似ていることから、菊石類と呼ばれている。

 アンモナイトは現生のイカやタコと類縁のオウムガイと同様、殻を背負って殻の中に軟体部をおさめ、体液を出し入れして潜水艇のように海中を浮き沈みして生活していたようだ。身体の先端にあるロートから海水を噴出して泳ぐこともできたとされるが、あまりすばやい動きはできなかったらしい。その胃からは、有孔虫や貝形類の殻、海ユリの破片が発見されており、外洋性のアンモナイトは、プランクトンを主要な食物としていたと考えられる。

 身体の大きさは、古生代では径が2-3 cmで中生代では10 cm以上、中生代末には2-6 mのものまであった。進化とともに大型化したことがうかがえる。これとともに、殻の形も変化し、ねじれたり、巻かない棒状やかぎ状になる「異常巻き」が出現、約3億5000万年という長期にわたる進化のドラマの幕を閉じたのである。異常巻アンモナイトの殻は奇怪な形をしたものが多く、絶滅を予告する「遺伝子的消耗」の産物であるとされていた。ある生物が絶滅期に近くなると、異常形態の出現が見られることは生活の特殊化がひどく進んだためと説明されている。

 絶滅の理由のひとつは食性の変化で、生活習慣の多様化や生息圏の拡大と密接な関係がある。次に、大型化し動作が鈍くなったために、他の真頭魚類などの動きの速い補食者たちの餌食になった可能性がある。さらに、身体の構造が複雑化し、外界の環境変化に対する適応能力が失われたため、白亜紀に世界的な規模で起こった海進・海退などが原因で絶滅したと考えられている。

 進化をめぐる学説には、E.ケッヘルの「段階の法則」(1866年)やL.ドローの「進化限局の法則」(1893年)などがある。前者では、生物群の進化には段階性があり、祖先型→多数の種の分化→発展・繁栄→滅亡へと進む。また後者では、特殊化し過ぎた種族はその子孫を残さずに滅びる、とある。これらの法則は、われわれ人類に対しても当てはまらないだろうか?われわれ新人類は、アンモナイトの1万分の1程度、約5万年の歴史でしかない。しかし、人類はこの間に食生活が変化して体は大きくなる一方で、顎が小さくなり、歯がなくなるなど、既に大きな変化が見られている。今後、学説による死滅までの歴史に刻まれていく人類の変化を思うと、憂うつな気分になってしまう。

 絶滅へ猛スピードで突き進む人類の傍らで、中生代から延々、生き続けている種族もある。爬虫類のカメだ。鶴は千年、亀は万年と言われる長寿の象徴だが、なぜ、そんなに長く生きられるのだろう。動きは遅く、攻撃もしない。硬い甲羅の中に、手足を、頭を引っ込めて頑強に身を守る。これらが理由だろうか。この中で、他の種族へ応用が効くとしたら、その速度が考えられる。カメの進化速度は、その動作と同様、とても遅かったのではないかと思う。食性も大きな変化はなかったに違いない。

 徳島県には、私の友人で鎌田誠一さんという日本古生物学会会員の化石収集家がおられ、数多くの化石を発見している。カメ類の新種(Amyda species)も発見し認定されるなど意欲的に活動しておられる。彼は、静かな自然の中に身を委ね、谷の細流、小鳥のさえずり、木々のざわめきと一体化し、何百万年、何千万年の時を超えた化石と対話している。太古のロマンを感じながら、風や水、木々の歌を聴く時こそ、心が自然の波長に同調できると、彼は言う。

 私たち人類は、種族として長く生きていくために、アンモナイトやカメから学ぶことは少なくない。食生活しかり、日々の営みもまたしかり。バブル崩壊後、今後の日本経済は年率2,3%の低成長時代を迎えている。これはおそらく21世紀初頭まで続くだろう。効率至上主義から、ゆとりや心が重視される時代、slow and steadyをキーワードに、のんびり、ゆっくり。時には立ち止まりながら生きていくのが、真の豊かさかもしれない。

●参考資料
1)著者は日本プライマリ・ケア(PC)学会の国際交流委員会委員長。日本PC学会は世界家庭医学会(World Organization of Family Doctors)の一員で、アジア地区で指導的立場を担っている。
2) 春山茂夫.脳内革命vol.1,2.サンマーク出版 1995, 1996.
3) 福田芳生. 古生態図週集・海の無脊椎動物.   川島書店, 1996.
4) 鎌田誠一氏 779-34 徳島県麻植郡山川町字翁喜台213-25 Tel:0883-42-7016

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