しゃぼんだまとバブル

 「しゃぼんだま飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで、こわれて消えた」

 ステージには、黒いコスチュームの男性ピアニスト。スライドで映写されたしゃぼんだまの絵と歌詞を背景に、彼は「しゃぼんだま」の曲を歌いながら、ピアノを弾いている。足は華麗なステップを踏みながら、4ビート。聴衆は、一緒に歌いながら手足を動かし、心も身体もリズムカルに揺れていた。

 これは、文部省委託事業によるワークショップの一こまである。男性ピアニストとは、実は私のこと。今回の企画では、音楽に加えて運動も併せて行う「音楽運動療法」の理論と実践を紹介し、会場内を音楽とダンスの渦に巻き込んだ、というわけである。

 話はもどるが、「しゃぼんだま」の2番の歌詞「しゃぼんだま消えた 飛ばずに消えた
   生まれてすぐに、こわれて消えた
     かぜかぜ吹くな しゃぼんだま飛ばそ」
は、作者の野口雨情が、可愛がっていた親戚の子供が病気で亡くなった時に、書き下ろしたとされる。美しくはかない子供の命を詠んだのが、「しゃぼんだま」なのである。

 さて、「しゃぼんだまが壊れる」ことを、別の言葉で表現すると、「バブルがはじける」となる。現在の日本は、バブル経済がはじけた後遺症が長く尾を引いており、これは一種の慢性病と診断される。日本の生活や慣習なども深く関与しているので、生活習慣病とも言えるだろうか?治療には、メスならぬ、大なたを振るわねばならないかもしれない。病院なら、OR (operating room)で悪い箇所を切除されるところだ。手術を受けた患者は、リカバリールームで手厚く看護される。しかし、経済のリカバリーは簡単ではなさそうである。今日の経済状態は戦後最悪とも言われているので、とりあえず、ER (emergency room) に搬送しなければならないのだろうか?経済の血液に相当する「お金」の流れが悪くなっているのが、現状である。臓器を企業とするなら、「多臓器不全」に陥っている状況で、次々と経営が悪化し、緊急な手術が必要な状態である。

 話はかわって、音楽家の中には、バブルがはじけた人も多い。何といっても、代表格はモーツアルト。天才ともてはやされ、パーティ漬けの日々を送っていたが、晩年には、悲惨で惨めな最期となってしまった。

 また、バブルなどとは関係がなく、常に貧困につきまとわれていた作曲家は、かのベートーベンである。疾病や難聴にもめげず、人生と闘い続けていた。その一方、交響曲第9番「合唱」で、歓喜の歌を私たちに与えてくれるなど、超人ぶりを発揮した。

 一方、裕福で安定した人生を送った作曲家には、メンデルスゾーンがいる。彼は、銀行家の家庭に生まれ、回りの一族も資産家で、祖父が著名な哲学者であるなど、文化や教養レベルも高かった。このような生活感が、彼の明るい雰囲気の作風に大きく影響していると考えられる。

 著名な作曲家や音楽家、芸術の巨匠たちをみると、バブルがはじけて、どん底の生活から這い上がって、歴史に名を残した人は多いようだ。常識的な思考や生活からは、ある枠をこえた発想は生まれない。芸術家の人生には、「波瀾万丈伝」がつきものなのだろうか?

 Life is short, Art is long. という言葉がある。
人生は短いからこそ、貴重で素晴らしい。したいことが一杯あっても、できないから幸せだ。もし、不老長寿の薬が作られたら、人生は楽しくなくなり、苦痛となる。ストレスを感じながら、渋々、仕事をしていると、血圧があがり、脳の血管のどこかが破裂するかもしれない。だから、仕事も遊びも、楽天的にやっていきたいものだ。

 私達の大切な命は、宇宙的・地球的ものさしで計れば、一瞬。音楽も瞬間の芸術であり、消えてしまうからこそ美しい、とも言える。一度、モーツアルトが作曲した「短くも美しくも燃え」を聴きながら、人生を考えてみるのも、いかがだろうか?

powered by Quick Homepage Maker 4.91
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM