さだまさしの芸術を考える

 さだまさし原作の映画2つが、先日、相次いで公開された。いずれも、人の心を打つ感動的なものだ。以前から大ファンである私は、彼の感性に、なお一層惚れてしまった。

 人気歌手のさだ氏は長崎出身。子供の頃には全国でトップクラスのバイオリニストだった。優れた音楽性や温和な人柄でよく知られている。

 「精霊流し」(日活/東北新社、2003.12.)は、さだ氏の自伝的な小説が映画化されたもの。舞台は長崎。小学生の雅彦は、父(田中邦衛)と母(高島礼子)に愛情豊かに育てられ、バイオリニストを目指していた。ステップアップするため、雅彦は鎌倉に住む母の妹の節子(松阪慶子)に預けられ、陽気な叔母と同年代の義理の息子と一緒に暮らす。雅彦(内田朝陽)は大学生になり、すでにバイオリンから遠ざかっていたが、そのとき様々な事件が降りかかってきた…。

 長崎の伝統である「精霊流し」「精霊船」の映像や、バイオリンが奏でる名曲「精霊流し」がとても美しい。原爆体験を有する節子が「自分に素直に生きていれば、苦しいことはあっても不幸にはならない」と繰り返す。この台詞が、私たちの心にジーンと深く染みこんできた。
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 二つ目の映画は「解夏(げげ)」(東宝、2004.1)。東京の小学校教諭である隆之は、特有な眼・粘膜症状のためベーチェット病と診断され、徐々に視力を失うことに。隆之は恋人の陽子を慮り、ひとりで故郷の長崎へ戻った。しかし、事情を知り追いかけてくる陽子。郷里の景色を目の奥に焼き付けようと、2人は坂の町を歩くのだ。次第に視界が曇っていく恐怖や悲しみ、家族や恋人の愛が、穏やかに映像で表現される。

 なお、解夏について若干解説する。古来、禅宗の僧は、座禅や行脚、托鉢で修行を積んでいた。しかし、インドの夏3カ月間は雨季で、外出には不便な季節。虫の卵や草の芽が生じる生命誕生の期間に歩くと、殺生をしてしまう。そのため、修行僧は庵に集まり、雨安居(うあんご)と呼ばれる共同生活で修行した。庵に食糧が寄進されて、これが寺院の始まりになったという。雨安居の始まりが結夏(けつげ、陰暦4月16日)、終わりが解夏(陰暦7月15日)と呼ばれたのだ。

 映画の中で、老学者が二人に諭す。「次第に視力が低下する時期は、恐怖を感じる苦しい行だ。しかし失明に至った時点で、その恐怖から解放される」と。その日は苦しみから解き放たれ、新しく出発できる日とも解釈できる。

 涙なしでは観られないこの映画。是非とも、病気で悩む患者さんや医療関係者にも観てほしい。
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 さだまさし氏は1952年に生まれ、72年に「グレープ」を結成してデビュー。「精霊流し」で第16回日本レコード大賞作詞賞受賞。その後、77年にアルバム『風見鶏』、79年『関白宣言』、82年フジテレビのドラマ「北の国から」のテーマなど、大きな反響を呼んだ。

 さだ氏は、映画監督として「長江」(東宝、1981)を手掛けた。さだ氏の祖父、父母が青春時代を送った中国を訪ね、長江の流れに沿って街と人々と歴史を追ったもの。しかし、この映画で莫大な借金を抱え込んだ。さだ氏はこれを人生のバネと考えた。その後、ニコニコして、顔晴り(がんばり)ながら、頑張ったのである。

 その活動の一つが、コンサート。日本では前人未到の3000回を超えてしまった。この回数は半端ではなく、単純計算しても、年間120回のペースで25年間もかかるのだ。

 さだ氏のコンサートには、私は必ず足を運ぶ。音楽を聴きにいくのではなく、楽しく心暖まるおしゃべりを聞きたいから。巷では、歌の間におしゃべりがあるのではなく、おしゃべりの間に歌がある、とさえ言われているほどである。

 さだ氏のコンサートは、開始時間が早い。この前は、午後5時30分から始まった。その理由は、話が湯水のように湧き出てきて、いつまでも尽きないから。以前にラジオのパーソナリティをしていたためかもしれない。よくあれほど、話し続けられるものだ。ほとほと、感心してしまう。

 なお、その内容が凄いのだ。文化・芸術・芸能・歴史など、幅広くてしかも深い。とにかく、言葉の端々にヒューマニティが溢れ、彼の優しい気持ちがほのぼのと伝わってくる。その一例が、「母をたずねて三千里」ではないが、「バイオリンのルーツをたずねて」さだ氏が英国まで行ったことだ。彼のバイオリンは、身体の一部でありとっても可愛い。いつどこで生まれて、どんなルートでさだ氏の元にやってきたのか。そのために、わざわざ英国の片田舎まで出かけ、ようやく100年以上前に誕生した所が明らかになった。さだ氏の愛情が注がれているバイオリンの音色は伸びやかで、楽器自体が嬉んでいるかのように、感じられた。
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 なぜ、さだまさし氏は素晴らしいのか?その理由を私なりに分析してみた。第1に、小学生の頃、すでに全国レベルのバイオリニストになるほどの音楽的才能があった。子供のピアニストやバイオリニストは、訓練だけではトップクラスにはなれない。優れた遺伝的因子が両親から授かったのであろう。

 第2は両親のファクターである。子供がそのレベルまで達するためには、家庭環境が不可欠だ。幼少の頃から家庭で大切に育てられ、生活習慣、価値観、物事の考え方、努力の継続など、基礎がきちんと築かれていたはずである。

 第3に、小学校卒業と同時に、バイオリンの修業のために単身上京。文学少年でもあり、難しい哲学の書籍なども読みあさることもあった。これに似ているのが、作曲家のショパンである。音楽はもちろん、絵画や演劇など他の芸術でも人並み以上の実力を示したという。また、子供の頃から読書好きで、学生時代には学内新聞を発行したりしていた。歴史に名を残す音楽家は、文学にも精通していると言えないだろうか。

 第4に、さだ氏が大学生のころ、いろいろな苦境で落ち込むこともあったが、それらを克服したことである。青春時代に降りかかったストレスによって、さだ氏はさらに強くなった。「鉄は熱いうちに打て」と言われるが、逆境によって、大きく成長したものと思われる。

 以上の4つのファクターが、さだ氏の人生に関わったのではないだろうか。その結果、人の心を揺らし震わすことができる音楽的才能や芸術的感性、鋼のような強靱な精神力、風になびく柳のような柔軟性に富む優しさ、などが生み出されて融合したのではないか、と推論している。
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 さだまさしの音楽は、長年、老若男女に広く支持されている。その一因は、ゆったりと癒しが感じられるからだろう。癒しとは感覚的なものだけでなく、コンピュータでも解析可能。さだ氏の音楽をパワースペクトル分析すると、癒しの程度が数字で表わされる。「1/fゆらぎのリズム」に近いデータとなるのは間違いない。

 他の理由として、何度でも感動させられる歌詞がある。「関白宣言」や「親父の一番長い日」の歌詞は、誰もが共感できるウイットに溢れたもの。当時、この曲を聴いたりカラオケで歌ったりするたびに、みんなで一緒にクスッと笑ったものだ。今の時代と比べると、ちょっと不思議な現象、と思えないだろうか。さだ氏の音楽に包まれると、時間はゆっくり流れ、心はゆったりとなる。換言すれば、時間にも、空間にも、人間にも、余裕が生まれ、心が安らかで平和になるのだろう。

 最近、さだ氏は、世界平和を目指して、長崎に「ピースミュージアム」を建て、「貝の火運動」を続けている。これは宮沢賢治の「貝の火」という小説に由来しているものだ。

 「あなたが平和をイメージする曲は?」というアンケート結果がある。
上位10曲中に、さだ氏の歌として「祈り」「広島の空」「しあわせについて」「神の恵み」の4曲が選ばれている。

 他の6曲を下記に示すので参考にされたい。

「故郷」(文部省唱歌、岡野貞一)
「イマジン」(ジョン・レノン)
「さとうきび畑」(森山良子)
「戦争を知らない子どもたち」(ジローズ)
「花はどこへ行った」(ピート・シーガー)
「アメイジング・グレイス」(本来賛美歌、現在放映中のTV番組「白い巨塔」のテーマ曲)

 私が薦めるCDとして、コンサート3000回達成記念の「燦然會」や有名な12曲を含む「さだまさしベスト」などがある。いちど、目を閉じて、さだまさしの歌詞を味わいながら、優美なメロディで心を癒してみてはいかがだろうか。

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